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(回答先: 核燃サイクル小史―◇立地協力協定 巨大開発、方向転換 ( デーリー東北) 投稿者 クマのプーさん 日時 2008 年 4 月 14 日 09:06:19)
http://www.daily-tohoku.co.jp/tiiki_tokuho/kakunen/kikaku/shoushi/shoushi_02.htm
◇県論二分 激しさ増す反対運動
(2008/04/06)
電気事業連合会から核燃料サイクル施設への立地協力を要請された当時の北村正■(哉のノなし)知事が、受け入れに積極的な姿勢を見せるにつれ、慎重論が多かった県内では農、漁業者を中心として次第に反対論が広がっていった。
一九八五年四月、県と六ケ所村は電力業界と基本協定を調印し、受け入れを正式に決めた。県論集約の段階では「立地諾否は県民投票によるべきだ」との意見もあったが、無視される形となった。
六月には、早くも施設建設に伴う日本原燃産業、原燃サービスの立地調査が始まったが、海域については施設立地による漁業への影響を懸念する関係漁協の了承が得られず、着手できなかった。
特に六ケ所村泊漁協では推進、反対派による対立が泥沼化。原燃二社は一年後、推進派が開いた総会の結果を受け、反対派が海上阻止行動をする中で調査を強行した。
さらに、四月には旧ソ連のチェルノブイリ原発事故が発生。原子力関連施設に対する県民の不安を一気に高めた。サイクル施設の建設が進む中で、反対運動には農業団体が加わり、九〇年代初めにかけて激しさを増していった。「開発を拒否すれば(農家は)哀れな道をたどる」と反対運動をけん制した北村知事が、かえって「核燃誘致は開発失敗のツケ。農民を愚弄(ぐろう)するものだ」として強い反発を受ける一幕もあった。
泊漁協は、今も原子力と漁業のはざまで揺れる。東通村に計画される原発三基の出力増強に伴う事業者との漁業補償協議は、金額が折り合わず、六ケ所村長に仲裁を請う事態となっている。(随時掲載)
チェルノブイリ
原発事故 1986年4月26日、旧ソ連(現ウクライナ)のチェルノブイリ原発4号機の制御が効かなくなり、爆発。大量の放射性物質を世界中にまき散らした。被ばくによるがん死者数を含めれば、被害の全体像は確定できていない。史上最悪の原発事故を契機に、日本国内でも原発アレルギーが広がり、県内では反核燃運動に拍車がかかった。
〈86年6月4日付本紙・海域調査を強行〉
…前略…
二度目の交戦も調査船団の撤退で、漁船側に「調査阻止」の安堵(あんど)感が流れた。長い沈黙が続いた午後五時、白糠の支援部隊が帰港。海域では泊漁船を中心とする二十九隻、調査船団二十四隻との対決となった。
夕闇に包まれ始めた午後五時二十分、調査船団は突如、進撃を開始し、へさきを三たび調査地点へ。漁船側の安堵もつかの間、全船入り乱れての混戦となった。
…中略…
ほぼ一時間にわたった“海戦”は、海保側の逮捕権発動という強行策と“技”で漁船側を制し、薄暮の午後六時二十三分、タグボートが海域に紅白の旗を付けたブイを投下、劇的な結末となった。
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