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http://www.daily-tohoku.co.jp/tiiki_tokuho/kakunen/kikaku/shoushi/shoushi_01.htm
◇立地協力協定 巨大開発、方向転換
(2008/04/03)
一九八四年四月、電気事業連合会が県に対し、使用済み核燃料再処理、ウラン濃縮、低レベル放射性廃棄物貯蔵の“三点セット”の受け入れを要請。下北半島への立地が取りざたされていた核燃料サイクル構想がついに動きだした。
一九七〇年代に始まった六ケ所村のむつ小川原開発は、二度のオイルショックの影響もあって企業誘致が一向に進まず、行き詰まっていた。打開策として、県は核燃サイクル基地の立地先を探す電力業界、国など関係機関と水面下で立地に向けた協議を進めていた。
再処理工場の立地場所は東通村も候補に浮上したが、最終的には三施設とも六ケ所に決まる。石油コンビナートを中心に巨大工業基地を建設するという同開発計画は、大きく方向を転換した。
突如、持ち上がった巨大プロジェクトに県論は二分された。特に風評被害を懸念する農、漁業者は反対の声を上げたが、当時の北村正b知事は八五年四月、村とともに電力業界と立地協力の基本協定に調印。核燃サイクル基地の受け入れを決めた。
破たん寸前の開発の促進に加え、巨額の投資、国の交付金、電力業界による地域振興と、経済的に出遅れた県にとって見返りは魅力的に映った。
一方、県民の懸念に対し、北村知事は「施設の安全性は最終的に国が担保する」「風評被害には電事連が地元と協議する」などと、国や電力業界に対応のげたを預けた。
現在の三村申吾知事も、不安を訴える県民に「施設の安全確保は一義的に国と事業者が果たすもの。県は対応を注視する」と繰り返す。県のスタンスは、四半世紀後の今に至るまで変わっていない。
(随時掲載)
むつ小川原開発
高度経済成長が続く1969年に閣議決定された「新全国総合開発計画」に盛り込まれた。小川原湖北側に重厚長大型の産業を張り付ける巨大開発構想。多くの村民が立ち退き・移転を強いられた。
地元は国、経済界主導の開発を期待したが、国策としての位置付けがあいまいなまま、経済情勢の変化もあって構想縮小を繰り返した。企業誘致も進まず、核燃料サイクルを受け入れた時点では、破たん寸前だった。
〈84年4月21日付本紙・電事連が県に立地要請〉
…前略…
巨大開発・むつ小川原開発はこのままでは幻に終わる。加えて、むつ小川原開発会社は一千二百億円以上の負債で倒産寸前。何が何でも土地を売らなければならない。
…中略…
電力業界、県、政府の思惑が一致、「渡りに船」とばかりに飛びついたのはいいが、それはむつ小川原開発にとって起爆剤になり得るのか。むしろ、終えんを告げることになりはしないかという危惧(きぐ)の声もないわけではない。それだけではなく、青森県の歴史的な分岐点になるのではないか。時間は十二分にある。「核燃料サイクル劇」は今、幕を開けたばかりなのだ。
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