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(回答先: 核燃サイクル小史―◇県論二分 激しさ増す反対運動 ( デーリー東北) 投稿者 クマのプーさん 日時 2008 年 4 月 14 日 09:09:56)
http://www.daily-tohoku.co.jp/tiiki_tokuho/kakunen/kikaku/shoushi/shoushi_03.htm
◇天王山 反核燃大きなうねり
(2008/04/09)
反核燃運動は大きなうねりとなった。一九八九年七月の参院選では、反核燃を掲げた三上隆雄氏(無所属)が、消費税を導入した自民党への有権者の反発もあって圧勝した。
十二月の六ケ所村長選では“核燃凍結”を訴える土田浩氏が、“積極推進”の現職・古川伊勢松氏を破った。九〇年二月の衆院選でも、白紙撤回を訴えた社会党の二候補が自民現職を抑えて当選。
一連の選挙結果は推進派に大打撃となり、社会党や農業団体、市民グループなどの反核燃派は「県民の意思は明確。次は知事職を奪う」と息巻いた。
迎えた九一年一月の知事選に、反核燃派は弁護士の金沢茂氏を擁立。「推進」の現職・北村正b氏、「凍結」の山崎竜男氏が三つどもえで争った。
自民、電力業界は「北村氏が敗れれば、核燃サイクルが頓挫する」と危機感を抱き、現職を強力にバックアップ。自民は首相、閣僚が次々と来青する異例の選挙態勢を敷いた。
結果は約八万票差で北村氏の勝利。続く参院補選にも敗れた反核燃派は「金と権力に屈した」とじだんだを踏んだが“天王山”の敗北により、運動は次第に下火に。
四月改選の六ケ所村議会では反対派がゼロとなり、土田村長も慎重姿勢ながら事業を容認していった。
“快進撃”の口火を切った三上氏は次の参院選で敗れ、後に県議に転じた。今年二月には、民主党入りの条件として、反核燃の旗を降ろすことを迫られ「安全が保証されるなら推進もやむを得ない」と、これに応じた。三上氏の姿勢転換は、反核燃運動の退潮をあらためて印象付けた。(随時掲載)
91年青森県知事選
2月3日に投開票され、4選を目指した現職の北村正b氏=自民公認=が32万5985票を獲得して当選。無所属で新人の金沢茂氏=社会、共産推薦=は24万7929票で及ばなかった。自民を離れ、参院議員から転身を狙った無所属で新人の山崎竜男氏は、16万7558票にとどまった。投票率は66・46%で、過去2番目の高さ。
〈91年2月4日付本紙・北村氏四選〉
有権者は保守県政の継続を選択した。北村陣営は、保守分裂と核燃問題に絡む革新勢力の台頭を逆に利用し、組織内部で危機感をあおり、これをテコに自民票をまとめ切ったのが勝因。県民は、核燃に不安を抱きながらも再び保守に回帰した。結果を見る限り、直接利害の絡む、身近な知事選と国政選挙とは違うと意思表示したことだけは事実。強固な保守のカベの前で、反核燃勢力は“玉砕”した。
…後略…
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