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(回答先: 世の中で起きることは自分の鏡 投稿者 sunflowers 日時 2008 年 1 月 28 日 23:42:08)
排泄物でさえ不可視の、衛生管理されたプラスチックの容器のような世の中で、
僕たちはそこに生かされている実験用の「ラット」のようなものかもしれない。
その容器とラットの管理者がいたずらに、少し温度を変えたり、えさの量を減らしたりすると、狂いだすラットが出て、ほかのラットを理由なく殺したりする。
僕らはこの容器で何が起こっても、もう嘆息することも、仰天することもなくなってしまったのではないだろうか?
生かさず、殺さず、いろいろなおもちゃを与えられながら、飼育されている。
このラットたちは、いま、人件費、必要経費、雑費、偏差値いくつ、使用人、お客、消費者、時に兵隊という名で呼ばれるが、みな、「人間」のはずだ。
この世のありさまを、本来、疎外、物象化(?)、各種専門用語で説明するのだろうが、今日は、ひとつだけ書いておく。
「葛藤の回避」
親との葛藤、子供との葛藤、自分自身との葛藤、歴史との葛藤、世の中との葛藤、客との葛藤、雇用者との葛藤、その葛藤から生まれる「昇華された経験(?)の獲得」を国民全体でサボってきたということだ。
とりわけ、「死」との葛藤回避。
そのツケがたまりたまって、今の日本のザマをつくっている。
sunflowers さんこんちは、古いけど、フロムあたりを読んでみるのが良いのではないですか。