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(回答先: ラットからの脱却 投稿者 sunflowers 日時 2008 年 2 月 03 日 21:56:21)
人生楽しく生きるというのは、悪いことではありません、人の生きる理想です。
「楽しく生きる」、いろいろ解釈可能なのですが、
その言葉の中に、ギリシャの哲学者は、「徳」とか、「善」ということばが含まれてないといけないと書いていたのをうろ覚えしています。
私は道徳家ではありませんが、買ったり、遊んだりするだけの「楽しい」生活は、仕舞いには、飽きるとおもいます。
自己否定とか、自己犠牲だとか、言う言葉を聴きながら、青春時代を過ごした世代です。葛藤という言葉にことさらこだわるのかもしれません。
一番大切な葛藤は、自分との対話、考えながら生き、生きながら考えるということだとおもいます。
生きる意味を問われれば、私は、人であり続けることだと答えるようにしています。
ある女医の言葉を受け売りしているに過ぎませんが、この言葉を聴いたとき、目からうろこが落ちたのを今でも覚えています。
現代人は、自然という名の「タコ糸が切れてしまった凧」のようなものだとおもいます。自分が生まれ、いずれは帰っていく自然から切り離されてしまって「生きている」。
ですから、ときに山を見たり、田園を散策したり、母なる自然と接すると、
自身が充電される気になります。
蛇足ですが、なぜ人は夕焼けに心を打たれるのでしょうか?
生物を増やしたければ、適温、適食、そして夜暗く、、良い環境を与えてやれば、成長します。
人間もそうです。いま、とても人間が、健全に成長する環境でない、だから、不安を持つ、メス(失礼)が子供を生みたがらない、動物的本能として当然のことと思います。この中で「人が人であろうとすること」は、チャレンジするに価する」ことだとおもいます。
私は今、うまくいかなくて、もともと、50の願いの一つがかなえば、ぼろもうけとおもいながら生きています、そして人生持久戦ですから、フーリエ曲線のように山あり谷ありです。
努力しすぎても、サボりすぎても、良い結果はでないようです。
REに値しないまとはずれの駄文のようだ、失礼。