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(回答先: 三大勢力構築後の最終段階では、財界による専制政治を廃する「革命」が起きます。 投稿者 heart 日時 2007 年 7 月 05 日 02:29:55)
>heartさん どうもです。
この意見はここに付けるのが妥当か?単独意見にするか?迷った挙句にレスと云う形にしました。
今回のheartさんのご意見は結構深いのだろうと思っています。
しかし、それでも単純で浅いのでしょう。
>【政治は、一部の強者たちの利益のために行われるものであってはなりません。
国民が皆、「他者を傷つけてまで自己の利益を追求しない」というモラルを守りながら自分に正直に、努力も息抜きもしながら生きていさえすれば、そこそこ物心両面で豊かな生活を送れるようにすること。
それこそが政治が果たすべき役割だと私は考えます。】
この意見は正しいでしょう。
しかし、そこに至る過程の考察にはあやしい側面と妥当な側面が入り混じっています。
例えば、heartさんの望むであろう3つの勢力中の
>【 護憲派(共産+社民+新社会+9条ネット)】
という一つの勢力ですが現在、共産党は誹謗中傷と云う手段をもちいて拒否しています。
これでは、将来的にも有効な協力関係は形成されません。
一方、その他の勢力は【財界の支持】を得る手法において、いつでも大同団結をするのでしょう。
庶民が「革命を決意する場面まで達するのが良い」のか?
庶民が「飼い殺しに甘んずる政治にとどまるのが良い」のか?
heartさんのこの主張は、その2つの思いの中間点で揺れていると云う感じすらします。
多分、heartさんの考察はかなり深いところに達しています。
これ以上進めば「多くの人に理解されない所に進んでいく」でしょう。価値観が一般的ではないところに至ると云う意味です。
しかし、だからと言って「もう少し単純思考に戻す」としたら、元の木阿弥ともなるでしょう。
深きを見るのが良いのか?見ないのが良いのか?
進むのが良いのか?
たった一人でも真実に達しようとするのか?
護憲を叫びながら「財界の人達の人権は無視する」という行動(=革命)に進むのは大きな矛盾も抱え込みます。
その反面で、財界指導の政治に甘んずるのなら「半永久的に民衆は飼い殺し」でしょう。
Kも思考の袋小路で立ち往生しています。