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(回答先: 未来を作り出すには実現可能な道のりを考え出さねばなりません。 投稿者 考察者K 日時 2007 年 7 月 06 日 07:12:24)
>未来を作り出すには実現可能な道のりを考え出さねばなりません。
確かに。私はそれなりに実現可能な道のりを考えたつもりなのですが。後は皆さんの知恵と協力次第といったところです。
マスコミと政党を巻き込むことができさえすれば結構うまくいくと思うのですが。
>今回のheartさんのご意見は結構深いのだろうと思っています。
>しかし、それでも単純で浅いのでしょう。
単純な思いつきであり、浅いとも思いますが、思い入れは日々強く、深くなっていく一方というところです(笑)
聡明な阿修羅諸氏にこの浅い意見を深くしていただきたいと思っているのですが。
>・・・例えば、heartさんの望むであろう3つの勢力中の
>>【 護憲派(共産+社民+新社会+9条ネット)】
>という一つの勢力ですが現在、共産党は誹謗中傷と云う手段をもちいて拒否しています。
九条ネットは新社会党の隠れ蓑、といったような批判についてでしょうか。
(この件についてはほとんど把握していないので的外れなことを言うかもしれませんが、)
新社会党から候補者が出ているという事実がある以上、新社会党が九条ネットという新しい名前に便乗しているという見方はできるのではないでしょうか。
ですので、私は共産党による九条ネットに対する批判は誹謗中傷だとは思いません。
ただ、それを理由にした共闘拒否はすべきではなかったとも思っています。
他方、九条ネットという新たな受け皿を作ることがよかったかというと、私はあまりよくは思っていません。九条のみを大きく掲げる政党には政権担当能力はありません。目的は九条死守のみであるといっても過言ではない「政党」である以上、国民にしてみれば政権を任せることはできないし、九条ネット側も、政権をとることはさらさら考えていないでしょう。
九条ネットに誰が投票するのか、考えてみてください。九条は大切だと考える層です。
一部、自民、公明、民主保守系の支持層の中にも、九条は守らなければと考える人はいるようですから、そうした人の受け皿に少しはなるかもしれません。しかし、ほとんどは、社民と共産の票を食うだけに終わるでしょう。九条だけにそこまで思い入れのある人というのは大抵は社民、共産支持層でしょうから。まあ、天木直人みたいに、既存の政党では絶対ダメだと言い張る人もいるにはいますけど(だから天木直人が九条ネットから出馬するのは納得できる)。
九条ネットは社民、共産党に対し共闘を呼びかけていますが、それならばもっと早くに党を立ち上げるべきだったと思います。社民党、共産党の参院選立候補者が内部では既に大体固まっている段階で、共闘という名の「立候補予定者の一部を降ろせ」という呼びかけは、国民だけでなく党員の政治生命と生活も守りたい党からすれば、どう考えてもありがたい話ではありません。拒否反応を示すのは仕方がないでしょう。
>これでは、将来的にも有効な協力関係は形成されません。
どうやったら共闘が可能になるのか、また、共闘を阻んでいるのは一体何なのかを、調べる必要があると思います。よく言われるのは共産党の唯我独尊体質ですが、社民党はなぜ共産党とでなく民主党との共闘を優先したがるのか、とかも、分析すべきでしょう。政策の面で共闘するのなら共産党とやるべきなのに、なぜ民主党なのか。拒否しているのは共産党なのか、社民党なのか。
ただ、どちらに主要な原因があるにせよ、どうすれば共闘させることができるのかを考えることに主眼を置くべきだと思います。
>一方、その他の勢力は【財界の支持】を得る手法において、いつでも大同団結をするのでしょう。
カネの力は偉大ですね(笑)
>庶民が「革命を決意する場面まで達するのが良い」のか?
>庶民が「飼い殺しに甘んずる政治にとどまるのが良い」のか?
>heartさんのこの主張は、その2つの思いの中間点で揺れていると云う感じすらします。
たぶん違うと思います。
私は庶民に、飼い殺しに甘んずるな、という意味で、三大勢力制の構築という案を提示しています。
二大政党制の受諾は政財界及び国際金融資本家、軍産複合体による飼い殺しに甘んずる行為だと思っています。第三勢力への投票が実質的に、飼い殺しに対する明確なNOを意味するものとなることが理想です。
また、飼い殺しが頂点に達した段階での革命は起こりやすいかもしれません。しかし、政府による弾圧の厳しさもまた頂点に達しているでしょうから、犠牲者が出る可能性が高いです。
また、その頃には飼い殺しに慣れて「鈍感力」が発達してくる人も多いでしょうから、革命の必要性を感じないどころか、革命阻止に動く一般人すら出てくる恐れがあります。利権を巧妙に与えることで支持者をキープするという手法も政権側はとるでしょうから、いったん敵に餌を与えた(二大政党制を容認し、「彼ら」の勢力が大きくなった)後では、革命を決意するべきギリギリの場面に至っても革命の実現は難しいと思います。
まずは自民、公明を倒してから、それから民主党に圧力をかける、という考え方もあるでしょうが、それは回り道だと思います。最終的には第三勢力に力を持ってほしいという願いを持つ人なら、他の党に投票するのではなく正直に第三勢力に投票して、徐々に支持を伸ばしていくべきです。
二大政党制路線が既定化された後に、第三勢力の力を取り戻すのは難しいと思います。今少しでも議席があるうちに、さらに伸ばすことの方をこそ、考えるべきだと思います。
革命を決意する時期についてですが、安倍政権が次々と改憲・戦争準備法案を通して戦前・戦中への逆戻りを画策している今はもうすでに、革命を決意してしかるべき頃だと思います。
>深きを見るのが良いのか?見ないのが良いのか?
見るのがいいと思います。見たいです。
>進むのが良いのか?
進んだらいいと思います。
>たった一人でも真実に達しようとするのか?
一人ということはまずないです。いずれにしろ、少しでも真実に近づきたいです。そんなものがあるかどうかすらわかりませんが、それは真実らしきものに近づいたらわかるでしょう。
>護憲を叫びながら「財界の人達の人権は無視する」という行動(=革命)に進むのは大きな矛盾も抱え込みます。
全く矛盾はありません。
これに関してこのスレッド内の別の投稿で書いたことを、再掲します。
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Kさんは私の言う「革命」が財界人の人権を無視することを意味するとおっしゃいますが、それは人権の意味を履き違えた議論です。人権とは他者を踏み台にし て得るものではありません。隠遁希望者は別としても、他者とともに、他者のために生きるということを実践しようとする者だけが正当に有する、人として生き るために必要な権利を意味するものであると私は考えます。
また、人権とは英語で「human rights」と言います。浦部法穂という憲法学者によれば、rightには「正しい」という意味がありますから、人権とは、人として正しいこと、と解釈 できるとのことです。権利というよりは、正しいこと、なのです。人として正しいことはもちろん擁護しなければなりませんが、財界人の多くがやっていること は人として正しいことと言えるのでしょうか。私は言えないと思います。
私は何も、財界人が人として生きていけない社会を作ろうと言っているのでは ないのです。今のような他人を虐げることによって暴利をむさぼるというような、人の道に反した生き方は、他者の生(せい)を虐げる生き方であり他者の人権 と衝突しますから、そのような生き方は「滅亡」させます。しかし、滅亡させるのはそうした生き方であって、人そのものではありません。財界人も安倍も含め て皆が、衣食住はもちろん精神上の豊かさも享受できるような社会をつくることが私の願いです。(まあ、その前に財界人や安倍にはお灸を据えたいですけど ね)
(「<方法論>「第三勢力構築を」といったスローガンを掲げつつも、現状批判と代替政策の提示という正攻法でいく」http://www.asyura2.com/07/dispute26/msg/146.html投稿者heartより)
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>その反面で、財界指導の政治に甘んずるのなら「半永久的に民衆は飼い殺し」でしょう。
>Kも思考の袋小路で立ち往生しています。
Kさんは、財界人の人権と民衆の人権、どっちをとるかという問題にしてしまっていませんか?
どちらも獲得するのです。
財界人は、これまで知らなかった本当の人権を、そして、民衆は、これまで奪われていた人権を。
問題は金銭的な損得ではなく、人間的な豊かさなのですから。