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存在をつぶさに見ているかそれとも言葉の世界でうっとりとしているか?
という分かれ道がありそうです。
政治とは現実の存在をつぶさに観察しなければ何をなすべきかは分からないハズです。
ところが「根本的な社会変革」とか「資本主義社会を乗り越える」という概念にうっとりと酔ってしまっている人々には現実的な一歩一歩の改革など「どうでもいい」事のように映っているようです。
そういう現実の一歩一歩が多くの人々を救うかも知れないのに「どうでもいい」のです。
ここで政治的な目標が何なのかが問われる。
具体的に人々が少しでもマシな生活ができるようになればいいのか?
それとも「悪辣な資本家」をギャフンと言わせるような革命的な改革(革命と改革は対立概念かも知れませんが)が必要なのか?
私も若かりし頃は後者のような心情を持った過激派でした。
しかし、それはひょっとすると楽して暮らせる資本家に対する嫉妬心からくるルサンチマン的心情ではないかと思うようになりました。
という事は自分が資本家になれば解決する話ではないかと。
で、そんなではダメだと思いました。
そこで具体的に人々の生活を見て改善する人になろうとしてきたと思います。
革命という言葉から生活向上という具体的存在の改革へのワヤクチャの認識の発展でした。
龍頭蛇尾みたくて済みません。