★阿修羅♪ > 議論25 > 315.html
 ★阿修羅♪
Re: 「よりまし選択」を通じて最終目標をめざすというのは弁証法的なのか?
http://www.asyura2.com/07/dispute25/msg/315.html
投稿者 gataro 日時 2007 年 3 月 04 日 12:15:57: KbIx4LOvH6Ccw
 

(回答先: 東京都知事選について 投稿者 ワヤクチャ 日時 2007 年 3 月 03 日 18:20:30)

投稿を読んで、ワヤクチャさんは弁証法で言うところのジンテーゼが「よりまし選択」といっておられるように小生は理解しました。哲学的志向が苦手な小生ですが、ヘーゲルやマルクスの弁証法を簡略に説明している次の記述を読んで、「よりまし選択」=ジンテーゼとは言えないのではないかと思いました。

(別格的存在としての黒川氏は除いて)石原氏、浅野氏、吉田氏の3者のうち、(浅野氏によってまだ政策的なものは示されていないが)浅野氏は石原氏よりはましで票は吉田氏よりも多数獲得するのは間違いない。だから浅野氏を支持することを選択するというのでは、浅野氏選択が弁証法的運動を通じてのジンテーゼとは小生には思えないのです。対立物の葛藤の中から生み出されてくるのがジンテーゼのはずです。だから3者並べて「総合的に」判断して出てきた「よりまし選択」というのは弁証法的と言うよりはむしろ、形式論理的なのではないでしょうか。

小生は、自分の信じる道を独り追求するが信条ですから、都知事選候補者についての「徒労」に終わりそうな「論争」にはあまり深入りしたくはありません。ですがワヤクチャさんの「弁証法」の用い方に違和感を感じたものですから、レスさせていただきました。

以下は http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%81%E8%A8%BC%E6%B3%95 から抜粋。

<ヘーゲルの弁証法>

一般にヘーゲルの弁証法は、しばしば以下の3つの段階に分けて説明されるが実はヘーゲル自らがそのように分類したわけでは決してなく、フィヒテ、シュリングがカントの規定に対して述べたもので、ヘーゲルは逆にこれを否定した。

ある命題(テーゼ=正)と、それと矛盾する命題(アンチテーゼ=反:反定立、反措定、反立、反対命題とも)、もしくは、それを否定する反対の命題、そして、それらを本質的に統合した命題(ジンテーゼ=合)の3つである。全てのものは己のうちに矛盾を含んでおり、それによって必然的に己と対立するものを生み出す。生み出したものと生み出されたものは互いに対立しあうが(ここに優劣関係はない)、同時にまさにその対立によって互いに結びついている(相互媒介)。最後には二つがアウフヘーベン(aufheben, 止揚)される。このアウフヘーベンは「否定の否定」であり、一見すると単なる二重否定すなわち肯定=正のようである。しかしアウフヘーベンにおいては、正のみならず、正に対立していた反もまた保存されているのである。ドイツ語のアウフヘーベンは「捨てる」(否定する)と「持ち上げる」(高める)という、互いに相反する二つの意味をもちあわせている。なおカトリックではaufhebenは上へあげること(例:聖体の奉挙Elevation)の意。

なお、ヘーゲルの弁証法における「矛盾」は数学や(記号)論理学における「矛盾」 とは全く別物であるので注意が必要である。 平たく言えば、数学や論理学における「矛盾」とは「事実」としての矛盾である。 つまり例えば「神は存在し、同時に存在しない」などのように現実的には絶対にありえない状況が数学や論理学における「矛盾」である。

それに対しヘーゲルの弁証法における「矛盾」は「主張」における矛盾である。 つまり例えば「神は存在すると考える」と「神は存在しないと考える」がヘーゲルの弁証法における「矛盾」である。

これは上の例と違って「絶対にありえない状況」ではないので、数学や論理学における「矛盾」とは異なる。


ソクラテスの対話と同じように、ヘーゲルの弁証法は、暗黙的な矛盾を明確にすることで発展させていく。その過程のそれぞれの段階は、その前の段階に暗黙的に内在する矛盾の産物とされる。 またヘーゲルは、歴史とは一つの大きな弁証法、すなわち奴隷制という自己疎外から、自由と平等な市民によって構成される合理的な法治国家という自己統一へと発展する「精神」が実現していく大きな運動だと認識した。


<マルクス主義における弁証法>

カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスは、ヘーゲルは「頭でっかち」だと考え、彼の考えを「地に足をつけた」ものにしなければならないと主張した。すなわち、ヘーゲルの観念論による弁証法における観念の優位性を唯物論による物質の優位性に反転させることで、唯物弁証法(唯物論的弁証法)またはマルクス主義的弁証法が考え出された。この弁証法を歴史の理解に応用したものが、史的唯物論(唯物史観)であり、この見方は、マルクスやエンゲルス、レーニン、トロツキーの著作に見て取ることができる。この弁証法は、マルクス主義者の思想の核心的な出発点となるものである。

エンゲルスは『自然弁証法』において、唯物論的弁証法の具体的な原則を三つ取り上げた。

「量から質への転化、ないしその逆の転化」
「対立物の相互浸透(統一)」
「否定の否定」
これらがヘーゲルにおいても見られることをエンゲルスも認めている。1.は、量の漸次的な動きが質の変化をもたらすということをいっており、エンゲルスは例えば、分子とそれが構成する物体ではそもそもの質が異なることを述べた。2.と3.に関するエンゲルスの記述は少ない。しかし、2.はマルクス主義における実体論でなく関係論と結びつく内容であるといわれる。つまり、対立物は相互に規定しあうことで初めて互いに成り立つという、相互依存的で相関的な関係にあるのであって、決して独自の実体として対立しあっているわけではない、ということである。3.はヘーゲルのアウフヘーベンと同じである。エンゲルスによれば、唯物論的弁証法は自然から弁証法を見出すが、ヘーゲルのそれはちょうど逆で、思考から自然への適用を行おうとする。

スターリン主義における弁証法的唯物論は、政治的イデオロギーの側面が非常に強かったため、だんだんと教条主義的、また理論的に破綻したものへと変わって行った。ソビエト連邦の哲学者の中で最も有名な人物は、イバルド・イリエンコフである。彼は、観念論的偏向から解放されたマルクス主義的な弁証法の研究を続けた。

 次へ  前へ


  拍手はせず、拍手一覧を見る

▲このページのTOPへ      HOME > 議論25掲示板

フォローアップ:

このページに返信するときは、このボタンを押してください。投稿フォームが開きます。

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。