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いま、一般企業で、営業職や事務職で大卒のインテリジェンスを必要とする仕事があるのでしょうか? リサーチとか、よほどの専門職だろうとおもいます。
一方、芸術系しかり技術系の研究職では、普通、大卒の知識では未熟でしょう。
平均的な家庭の子弟は、よりよき職を求めるがゆえに、上の学校へ行くといっても過言でないとおもいます。それはたいていは学問の習得とは無縁なことであるのはいうまでもありません、それしか選択肢がないのだから、悪いといっているのではありません。
だから、高校が予備校化、大学が就職予備校化し、「普通科」を卒業した生徒が「世界史」を学んでいないという、悲喜劇が生まれています。
畢竟、学大、学生の質が落ち、大学なり高等教育機関の数とその国民の知性や文化と比例しない、最近の日本が証明しているとおもいます。今ほど、アカデミズムの権威が失墜している時代があっただろうか。大学のセンセ?タレント?
それだったら、学問に向いていない子供のために、
四年制でもいいから、商業高校や、工業高校を充実させて、ある程度即戦力として通用する、「職業人を育成する教育システム」をつくればいいと思う。
親、本人、学校、教師、企業にとっていずれにも好都合ではないのでしょうか?
週に二日は,工場で見習いをさせればいい、「良い職業人」との接触は「良い」緊張感を生むし、学校の遊園地化を防ぐことにもなるとおもいます。
つまり工業高校を工専、商業高校を商専に近いものにさせる。中学出たら、すぐ、職業人を意識させればいい。腕に職をつけ、そして生涯教育(専門知識でも、一般教養でもいい)で自分を一生磨けるような、教育システムにするといいと思うのです。
そして、生涯教育を促進するようなシステムは、世の中を活気づけるとおもうのです。
だらだら長時間労働、後は、「飲む打つ買う」では、国の未来はない。
蛇足ですけど、私は、もし「手に職、腕に技術の価値」が上がれば、国粋団体の会員数は減少すると思います。なぜかは書きません。
私は、今の学歴社会のシステムは、ねずみ講か、堀江氏の錬金術に類似している思っています。このシステムの「信仰」をあおり、半強制で参加させられる、あるいは、なかばだまされて株を買う、そうすれば、「ねずみ講の親」、「大株主」、「勝ち組」の価値がどんどん上がる。しかし、大多数のものは、空クジをつかまされるだけ。
この勝ち組たちは、今、上で、描写したような「職業人」の社会的地位の向上なぞ絶対に望まない、自らの価値低下をまねき、国(民)益に通じる教育改革なぞ絶対にさせないとおもいます。
なぜ団塊の世代が生まれたか、考えてほしい、貧しいけど、未来に託する希望があったからだ。