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(回答先: Re: 学校の複線化は、学問に向いていない子供にとっては福音となる可能性があると思います。 投稿者 こげぱん 日時 2007 年 1 月 21 日 01:06:49)
私が以前、或自治體の市長に宛てた提案書の職業訓練校の部分の拔粹です。
去年の春頃に提案しました。豫想は爲て居りましたが聞く氣は無い樣です。
其れ以外にも色々提案しましたので、只の煩さ方の一市民と云ふ扱いなのであ
りませう。
あの聯中は聞く振りをしてゐるだけで本當に聞く氣は無いのです。
聯中曰く、
「職業訓練校の社會的使命は終わつた」
のださうです。
職業訓練校の復活
人々の生き方は多樣である。勉強が得意な人もゐれば不得意な人もゐる。或いは早く社會の
一員として働き度いと考へてゐる人もゐる。或いはもつと勉學に勵み度いと考へてゐる人もゐ
る。實に樣々である。
以前の××市の教育體制であれば、勉強の不得意な子、早く手に職を附け度い、技術を身に
附け度いと考へてゐる子の中學校卒業後の進路の選擇肢の一つとして職業訓練校があつた。此
處に進學する事によつて高校・大學(或いは短大もしくは專門學校)に進學すると云ふ流れとは
違ふ進路として選擇する事が出來た。此處に進學する事で手に職を附け、其れぞれの就職先に
就く事で社會に自分の居場所を見出し、社會人として生きていく術を身に附ける事が出來たの
だ。ところが現在では職業訓練大學校(勿論此の學校は學校で役割を果たしてゐるであらうから
否定する積りはない)と成り、以前のやうな機能を果たすことが出來なくなつた。眞に歎かはし
い限りである。
此のやうな中學卒業後の多樣な進路の選擇肢をなくすべきではない。
行き度いとも思つてゐないが社會の風潮が、「高校にすら進學してゐない」人間を受け入れな
いと云ふ間違つた社會の風潮の爲に、目的もなく高校に行かざるをえない状況が、大量の中途
退學者を生み出し、引きこもりを生み出す一つの要因に成つてゐるのではないのか?其れが全
てとは勿論云ふ積りはないが、一人の人間としての生き方の選擇肢の一つとして職業訓練校を
復活する意義は大いにあると感じてゐる。
子供達に人間としての生き方を選擇する權利を奪ふべきではない。
人としての生き方は多樣なんだと云ふことを知らなければならない。
強く訴へる。かつての職業訓練校の復活をするべきである。
をはり