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(回答先: アリを沢山透明のガラスケースに入れて争わせて楽しむ。 投稿者 ワヤクチャ 日時 2006 年 11 月 26 日 20:04:33)
>それが人類を支配している人々の娯楽なのではないでしょうか?
>旅行もうまいもんも美女も酒も麻薬も欲しいだけ手に入れたら後は人類イジメぐらい>しかすることありませんゼ。旦那。
>ちょこちょこイジメてみて人類がどう対処するのかを見て楽しんでいるんだと思います。
>このように一般庶民にも残酷性は潜んでおり、まして、生まれた時から何不自由なく欲しいものが手に入る特権階級の人々にとっては一般の人類など家畜にしか見えないでしょう。豚を堵殺するように人間を殺すと思います。何の良心の呵責もなしに。人類全体に対して生殺与奪の権を持っていると思っているでしょう。当然のように。奴等の世界観はそんなものでしょう。でなければ無数の残酷な出来事は起こっていなかったとも思います。
もちろん、庶民にも残酷性は潜んでいる。しかし、この残酷性自体がビジネスになるとは誰も思わないでしょ。
>人類家畜化計画ではなく最初から人類は家畜のようなものだったのです。権力者にとっては。飼い慣らす対象でしかありません。不穏な動きをするヤツは殺すしかないと思っているでしょう。
ある意味では当たりですが、先進国では通常一線を超えなければ暗殺されません。ここの投稿者の人もされてないでしょ?
ただ下っ端はともかく上の連中はめっくらぺっぽう残酷な事をやっている連中ではない。常に計算が入っている。この計算は通常の人間にはない計算があると思う。
いくら庶民にも残酷性があると言っても、「大きくなったら貧しい人々を苦しめたい。医療を破壊したい」などと作文に書く子供はいないし、新規出店を考える経営者がある街や国を破壊したいとは思わないはずです。
戦争の周期、地域には計算があるはずだ。彼らは金にならない事はしない。一定期間が過ぎたら他の地域に戦争状態を移すという事がこれまでになされているように思う。権力者の考えることを四畳半の延長で考えてはいけない。
たとえば、イラクの警察や警備会社は日本のそれとは全く違うものだ。通常、企業をテロから守る警備会社、テロから市民を守る警察がテロをする。これで利益を上げる奴がいると普通の人間は理解できるでしょうか?一般人が理解できない範囲があるのです。
四畳半の延長の幸福を求めるだけで理解しようとしてはいけないと思う。世界の支配構造というのは一般人が考えるよりはもっと複雑なはずです。また、この構造・システムを掴む事が大事なのだと思います。その理解なしに俗な欲望だけで分かったつもりになっても、ずれた分析しか出てこないと思うのです。
そもそも世界を動かすなどというのは、半端なことではない。そんな事が何故可能になったのかは、研究していかないといけないと思います。たとえば、世界ではなく自分の住んでいる町を動かすことを考えてみて下さい。これだけでも相当な力がいりますし、複雑な利害関係が絡んできます。
自分の住んでいる町の役所が道路を拡張したいと考えた。その際、自分の住んでいる家を引っ込めて狭くしないといけなくなった。普通の自宅なら狭くて窮屈になってもまだ耐えられるかも知れないが、自営業だと狭くなることで、どれ程保証金をもらっても埋められないような商業的損失が出る可能性がある。市レベルでもこんなに難しい訳です。いえ、どこまで言っても市レベルの対立が基本なのでしょうが。
とにかく世界を動かす構造などというのは、ものすごい入り組んだ利権が絡む訳ですから、この構造を分析していかないと本物の世界は見えないでしょう。頭の中で考えた世界と現実の世界は違う。
自営業のAさんとサラリーマンのBさんと公務員のCさんでは皆置かれている状況が違うのです。庶民と言ってもサラ金地獄で死にかかっている人からレジャーに行く余裕のある人まで様々ですし、必要とするものも様々な訳です。
世界を動かすような連中になれば、というより庶民ですら感情だけで行動することはない訳です。世界支配層の中にすらサディスティックな狂気ではなく、正気の恐さを分析しないといけないと思います。トヨタのカンバン方式は下請いじめ自体が目的なのではなく、利益を上げることが目的なのです。
アメリカの支配層は別にアホでもマヌケでもなく、どこまでも抜け目なく賢い奴だと思ってます。アメリカが破滅しても、彼ら自身が困る訳ではありませんから。軍縮と軍拡の繰り返し自体が彼らの計算の範囲内な訳でしょう。
アメリカは終戦直後に日本人を皆殺しにしようと思えばできるじゃないですか?無条件降伏後にもっと日本人の大量虐殺をやる事だってできるのですよ。じゃあ、爆弾はどこでも世界中どこでも好きな所に落とせばいいのかと言えば、非常に限定された地域内において落とすのです。決して庶民の感情の延長線上に戦争や経済政策なんか考えたらダメだと思います。「私にも残酷な所がある」で納得するような事象が戦争ではない。感情ばかり見せて、何の利害関係の分析もない戦争映画は、そういう意味では平和構築にはある意味役立たないかも知れません。バックにあるものが何も見えないからです。
戦争を人の心の問題とする人間は戦争体制を撃たないからダメかも知れないですね。これまでずっと学校でも戦争は人の心の問題にされてきたでしょう?戦争抑止でも自分の欲望以上に、現実の実態を見るべきでしょうね。現実の実態が分からない者がいくら欲望を持っても何も実現しないからです。他人には他人の都合があるのですから、全て私の欲望に合わせる訳にはいかんのですよ。私達はお互いそうです。普通一人のわがままばっかり聞いたらみんな怒るのに、皆を動かそうと思うなら、それなりに知恵もいるし、弁も立たないとダメでしょう。自分達だけ得して皆に損させることを納得させてるのだから賢い奴等だと思います。そのからくりは理解しないと、いくら「一億円当たらないかなあ」と欲望持っていても取られるばっかりだと思いますし、理解しないとこれからは生きていかれへんようになると思います。実際そうなってきているのです。
素人がプロのギャンブラー見て自分と同じや思ったらアカン!そう思ったらしまいに自殺するハメになるがな。