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(回答先: 権力者にとっては我々は家畜のような存在でしかないと言いたかったのです。 投稿者 ワヤクチャ 日時 2006 年 11 月 26 日 22:02:55)
>で、何故そんな残酷になれるのか?と考えた折に元々人間には残酷な面が備わっていると申し上げたかったのです。庶民でもそういう面があるのだから生まれてから死ぬまで権力の座にあり続ける人々の感覚は我々の想像を絶するものだろうと言いたかったのです。感情で動いているというのではなく殺しても何とも思わないゲーム感覚で世界運営をやっているだろうって話です。むろん、支配に失敗したら反乱で断頭台に送られるかも知れないという恐怖心はあるでしょうけどね。でも手を尽くしているので中々そうはならないと思っているでしょう。
確かに中国や朝鮮の支配層も欧米の支配層も残酷ではある。しかし、今の世界支配層が中国皇帝や汗やスルタンやカリフとは異なる存在であることは確かだ。だから、あまり庶民の延長で支配層の論理を解釈されると、その特殊性を曖昧にされるんじゃないかという不安がある。今の世界支配層の論理は明らかに古代の奴隷制や中世の封建制とは違う論理で成り立っている。残虐性の中にも企業利益が貫徹していると思う。そこを曖昧にしたら、訳が分からんようになると思う。今の支配層はインカ皇帝でもビルマ国王でもバリ国王でもなく、バックにある西洋の資本主義と金融資本の発達を抜きに現在の世界支配を考えることは出来ないだろう。つまり、なんというか中東やモンゴルや日本、朝鮮、中国、アフリカ、アンデスにも残虐行為はあったが、今の世界支配層のような支配の発想というのは出てこなかったのだ。非西洋には発想が出てこないような支配の仕方がある。ピグミー族やアメリカ先住民やマサイ族やブッシュマンやアボリジニーの人間に「お前に世界の権力を与えよう」と言っても、考え付かんような手段で支配されている気がする。その一つが大衆の意識と欲望を誘導まで支配し、誘導して利益を上げるという支配の仕方である。単に徳川家やオスマン朝の支配がそのまま世界的に拡大したのが現在でないことを私は確認したい。つまり、これまでの支配は年貢さえ納めれば後は商人が好きにせよという地域を世界的に拡大することで世界帝国を目指していた訳だ。今問題となっている近代的な世界帝国は内面までの支配を目指し、一見民営化によって自由主義に見えても実際は経済統制を非常に重視する国家であるという違いがあると思う。私は現在の世界支配思想を経済の実情から離れて空中に浮いた形で解釈することは観念的であり、何も撃つことができないと思うのです。