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>「日本に共産主義を入れる」というのは「赤の運動」として、まず、受け入れられない種類の運動でしょう。「赤色分子」というのは「過激派」であり「秩序と日本文化を破壊するものだ」というイメージを団塊の世代以前には色濃くあります。
>中核、核マル、赤軍、連合赤軍といった過激派は「市民の命より革命を重要としました」
>これでは、市民の支持は得られなくて当然でしょう。
「市民の命より革命を重要とする」傾向は過激派にはある。さらにそこには少数の前衛が多数を指導するという考えがある。地に足がついてない運動なのだ。
何が秩序で日本文化なのかは置いておくとして、市民の命を守るために何をするかを考えるのが政治運動の役目だと思う。
綺麗事言ったって、人間収入がある事が一番大切なんですね。収入がある事、すなわち雇用が地方にある事、それが大事なんです。既得権益を破壊すれば雇用が拡大する訳でもなければ、既得権益を守れば雇用が守られる訳でもない。とにかく新しい事業を作る事が大事なんです。
雇用が拡大すれば、自公保守でも社共革新でもタレントでも官僚出身でもいいですよ。青島・ノックは期待に応えられなかった。だから極右に負けた。政治は思想以上に雇用創出の実績なんですよ。霞を食って生きている訳ではない。革命だけ掲げて、何の雇用ももたらさない人間に付き合うゆとりは一般人にはない。
しかも、彼らは一般人まで内ゲバに巻き込んで生命を危険に晒しました。これでは反発を受けて当然です。団塊の世代だって、受験の段階から学生運動やるために大学に進学した人はほとんどないでしょう?
しかも、彼らは戦術を過激化させ一揆主義に走る事で警察の介入を招き、党派主義で労働運動の分裂を招きました。その上で一部の党派には元地上げ屋と結託するなど、次第に暴力的な運動ゴロとしての性格を露にし始めました。
若者が変わった以上に、学生運動が信用できなくなったのです。学生運動のリーダーはそこを自覚しないといけないのです。我々の世代ではすでに学生運動は信用を失い、彼らがケレンスキーやノスケのような弾圧者の本性を持っているのではないかと警戒されていたのです。事実そうでした。
大衆から浮き上がった独裁的な運動が急進革命に走る時、最後に来るのは破滅でしょう。日共は一時極左路線で議席ゼロになり再建に苦労したのに、六全協の反省が新左翼にはほとんど生かされなかったのです。死者は生き返らず、失った信頼は回復できません。地元・職場・市民に足のない運動がいかに悲惨な結果しか生まないかなのです。