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(回答先: 自分自身の感性、そして、他人への共感力から生まれるのではないでしょうか。 投稿者 heart 日時 2007 年 1 月 20 日 21:28:52)
たまたま、いい価値観や感性を持った人はいいですが、そのような機会がなかった人々に対してはどうすればいいのでしょうか?
価値感や感性から形成される論理があると思います。
その論理を持ってそのような人々と対話をする事が有意義なのではないでしょうか?
学校の秩序の方が反戦の意志としての君が代不規律よりも大事だと思うような人に対して如何に話しかければいいのでしょうか?
彼の論理の優先順位は我々反戦派とは違っているのでしょう。
その事を言って理解させる必要があるのですね。
念頭に置いている状況把握が異なるって事もあるでしょう。
ならばこちらの状況把握を理解させる努力が必要なのでしょう。
そのような対話は相手の視野を広げ価値観や感性の変化をもたらすのではないでしょうか?
価値観や感性が違えばもう何を話しても無駄なのであれば(バカの壁)もう我々に勝ち目はないのかも知れません。
闘争とは組織戦です。
こちらの人数を増やすという事です。
Kさんを組織できないのであればそれは我々にそのような能力しかないという事を示すものであるのかも知れません。
もちろん、Kさんを罵倒している人も内心はKさんに気づきを与える目的でやっているのだと思います。
そうでなければ排除要求になるでしょうから。
Kさんは「排除要求をすればいいじゃないか。」などと書きます。
彼には相手のこういう気持ちを汲み取る感性に欠けた所があるのかも知れませんね。
話がKさんの話になってしまいました。
要は対話は価値観や感性を変えられるのではないか?って話です。