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(回答先: 海岸線は誰のもの、不動産でお金もうけか、食べ物を得る所か。先住民の強い信念 (ニュージーランド) 投稿者 東京音頭 日時 2006 年 9 月 19 日 12:52:01)
小生の口癖になっている<白人一神選択教>の文化と<原住民>の文化の対立ですね。
一昔前に「共有地の悲劇(コモンズの悲劇:ギャレット・ハーディン)」という本が、ある趣味人の世界のベストセラーになったのですが、まさに白人一神選択教世界の共有は悲劇の元ですね。
ニポン人は、<白人一神選択教世界の共有地>概念の持つ問題点をかなり早期に気がついていて、ハクジンを真似た法体系の中にも、随所に<総有>の概念が残っています。
つまり、英語のコモンズと日本語の共有地とは、同音異義に近いのですね。ニュージーランドの土地も、ハクジン移民者と原住民マオリの共有地(共同)の概念が全く異なるようです。
ハクジン法の共有(コモンズ)ではニポンの共有とはうまく整合しないので、ニポンでは早くから<総有>という用語で所有形態を表現しています。
マオリの人々はニュージーランドの所有者であり、その権利はワイタンギ条約でアングロサクソン政府も認めているはずなんですが、いわゆる<条文解釈>という<白人一神選択教>の御得意戦術によって、その権利の剥奪は著しいものがあるようです。
欧米<白人一神選択教>の文化に洗脳されてしまったニポンでも、この問題は大きな禍根を残してしまいました。
近頃は、倭人、アイヌ人、琉球人などに見られる土地所有の概念は、おそらく世界の標準的(グローバル・スタンダード)な概念なのであって、<白人一神選択教>の所有概念おそが<普通じゃない>のではないかと思っている次第です。
簡単にいってしまうと、世界標準的な考えは<土地は神からの借り物・預り物>なのであって、所有するものではないと言った表現になると思います。
どんなに人手をかけても、手を抜いた途端に原野に帰ってしまう自然を所有することに無理があるのです。
土地が所有出切ると考えるのは、世界は神がヒトザルに与えたものという<白人一神選択教>特有の特殊思想から生まれるもののようです。
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