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ナチスとシオニストの興味深い関係について若干の考察
先日私は次の投稿をしました。
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http://asyura2.com/0601/holocaust3/msg/358.html
シオニズムの隠された歴史:第6章(ラルフ・シェーンマン著)《全訳、その1》
http://asyura2.com/0601/holocaust3/msg/361.html
シオニズムの隠された歴史:第6章(ラルフ・シェーンマン著)《全訳、その2》
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下のホロコースト板にある拙稿では、「その1」にある「600万人」に関する摩訶不思議について突っ込んだのですが、今回は「その2」の中にある、ナチスとシオニストのこれまた奇妙な関係について取り上げてみたいと思います。
反シオニスト活動を続けるユダヤ人左翼、ラルフ・シューマンはその著書『シオニズムの隠された歴史』(第6章)の中で次のように述べています。
【原典Url】
http://www.marxists.de/middleast/schoenman/ch06.htm
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【拙訳文、引用開始】
シオニストの裏切りの極地は、1953年になって始めて知られるようになったシオニズム運動とナチス・ドイツとの間で交わされた一連の合意によるハンガリー在住ユダヤ人の犠牲であった。ブダペストのユダヤ機関救出委員会(the Jewish Agency Rescue Committee)のルドルフ・ケストナー(Rudolph Kastner)博士は、ハンガリーにおける「ユダヤ人問題を解決させる」ために、アドルフ・アイヒマン(Adolf Eichmann)との秘密協定に調印した。これは1944年に起こった。この協定は80万人のユダヤ人の運命を閉ざしたのだった。
ケストナーがアイヒマンとの合意を結んだときに彼が外国のシオニスト指導者の命令を受けていたことが後に明らかにされた。その合意はハンガリーのユダヤ人の運命に関して沈黙を守るという条件で600名の優秀なユダヤ人を救うものであった。
【引用終り】
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これに対して私は拙稿で次のようなコメントを付けておきました。
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【引用開始】
もしもナチスが本当に『ユダヤ人絶滅』を願望しその決意していたというのなら、彼らにとって最も恐ろしい敵となるべき「優秀なユダヤ人」を選別して欧州の目と鼻の先にあり油田地帯を背後に控えたパレスチナに送り込む手助けをして、ヒトラーが最も恐れ憎んだと信じられている「ユダヤによる世界支配」を益々容易にするような、そんな馬鹿げた協定を結ぶでしょうか? だとすればヒトラーは『悪の権化』でも何でもなく単なる薄ボケたアホでしょう。
この「ケストナー=ナチ協定」が存在する以上、ナチスが行ったことは『ユダヤ人絶滅作戦』ではなく「イスラエル建国のためのユダヤ人選別作戦」だった、したがって、「シオニストにとって不要なユダヤ人の始末」はあったとしても『ユダヤ人絶滅のためのホロコースト』など存在しなかった、ということになります。
【引用終り】
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ナチスが優生学を極めて重大な興味を持って推し進めていたことは明らかです。つまり「優秀な人材」こそが国を作り歴史を動かすことを信じて疑わなかったはずです。「その他大勢」の者達はしょせん「sheeple」に過ぎず、精々が「取替えの効くコマ」以上のものではなかたでしょう。その感覚はシオニストにも共通するものです。
《欧州600万人のユダヤ人の希望は移住に集中されている。私は質問された。「あなたは600万人のユダヤ人をパレスチナに送りたいのですか?」と。私は答えた。「いいえ」。・・・。私は、その悲劇の奥底から[パレスチナに向かう]若い人々を救い出したいと思う・・・。年長者たちは消え去るだろう。彼らはいずれにせよ自分自身の運命を背負うだろう。彼らは塵だ。残酷な世界の中では経済的にも精神的にも塵だ。・・・。若い枝だけが生き延びると定まっているのだ。彼らはそれを受け入れなければならない。(Chaim Weizmann reporting to the Zionist Congress in 1937 on his testimony before the Peel Commission in London, July 1937. Cited in Yahya, p. 55.)》
そう、『彼らは塵』なのです。しょせんは塵から生まれ塵に帰るものでしかありません。生き残るべく選別された「優秀な人材」のみが価値を持つわけです。
シオニストがナチスをはるかに上回る優生学的な見地を持っていたことは、次の資料からも明らかにうかがうことができます。
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http://asyura2.com/0505/holocaust2/msg/822.html
超重要情報!「どこかで聞いたことのあるような」鬼畜の所業。
http://asyura2.com/0505/holocaust2/msg/823.html
子供たちへの放射能照射のデータは、アメリカのためというよりはイスラエル自身のために必要だった
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優生学に基づいた人間観を持つナチスが、将来パレスチナで「ユダヤ人国家」を作るべき「優秀な人材」の選別に力を貸していたことは明らかでしょう。この「ケストナー=ナチ協定」だけではないのですが、ナチスが「生き残るべき優秀なユダヤ人」を『塵ども』から選別するための重要な役割を果しているわけです。それでは、「ナチスによるユダヤ人大虐殺」の主導権をとっていたのは、ナチスなのでしょうか?それともシオニストなのでしょうか?
つまり、こういうことです。ナチスの蛮行にシオニストが加担したのでしょうか?それとも、シオニストの残虐な計画にナチスが加担したのでしょうか?
これは20世紀の歴史を見る場合に、キーポイントとなる事柄だと思います。阿修羅読者の皆さんはいかがお考えでしょうか。
次の論点を掲げましょう。少し長い引用ですが。
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【拙訳文、引用開始】
しかし欧州のユダヤ人たちはパレスチナの植民に対する興味を一切掲げようとしなかった。シオニズムはユダヤ人の間では周辺部の運動であり続けたのである。ユダヤ人たちは彼らの生まれた国で差別を受けずに住むことを、あるいはより寛容な民主的な扱いを受ける資本主義国に移住することで迫害を逃れることを望んでいたのである。
だからシオニズムはユダヤ人たちの必要性や希望に応えることが全くできなかったのだ。迫害が肉体的な絶滅への道を与えたときにその本当の瞬間がやってきたのである。ユダヤ人の生き残りとの実際の関係について最終的で唯一のテストを与えられたときに、シオニストたちは抵抗を率いるあるいはユダヤ人を守ることに失敗したのみならず、ナチの経済に対するボイコットの努力を積極的に妨害しさえした。彼らはその後でさえ自分たち自身の大量殺人者どもの保護を求めた。それは単に第3帝国がシオニスト植民地を作るのに十分に力を持っていたからだけではなく、ナチの行為がシオニストが想定したことと同調していたからである。
ナチスとシオニストの間には共通の基盤があった。それは単にシャミールの民族軍事機構がパレスチナに「民族的で全体主義的な基盤」の上に立つ国家を作るために行った提案の中に現れるばかりではなかった。ウラジミール・ジャボチンスキーは、その最後の著作である「ユダヤ戦線(The Jewish War Front :1940)」の中で、パレスチナ人についての彼の計画を次のように書いた。
《我々がアラブ人たちの脱出を穏やかに直視するためのこの偉大な道義的権威を持つがゆえに、我々は90万人が怖気づいて出て行く可能性について重要視する必要は無い。ヒトラー氏は最近、人口の移し替えによる評判を打ち立てつつあるのだ。[21]》
「ユダヤ戦線」の中にあるジャボチンスキーのこの注目すべき表明は、シオニストの思考とその道徳的破産に同調するものである。ユダヤ人の虐殺者たちはシオニズムに「偉大な道徳的権威」を与えた。何のために? 「アラブ人たちの脱出を穏やかに直視するため」である。ナチによるユダヤ人破壊の教訓は、シオニストにとって、パレスチナの人間たち全体に同様の運命をもたらすことが今や許されるべきものである、ということだった。
【引用終り】
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これに対して、私は次のようにコメントを書きました。
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【引用開始】
それはともかく、作者のラルフ・シューマンは、忘れているのか無視しているのか、ドイツ人を最大限に侮辱する表現でドイツ製品に対するボイコット運動を激しく呼びかけたのが当のジャボチンスキーであった事実を書いていません。『ボイコットを妨害』するもしないも無いもんで、これは彼らとナチスとの間の掛け合い漫才、要はユダヤ人に対する迫害(恐怖を用いてのパレスチナへの追い出し)を早く始めろ、という合図に過ぎなかったわけです。「ホロコーストの死霊」に憑依されている人の目にはこんな簡単なことすら見えてこないのでしょうね。
さらに『道徳』を言うならば、ジャボチンスキーは「ユダヤ戦線」を書く7年前に「鉄の壁」の中で『シオニズムの道徳』について次のように語っています。
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《シオニストの植民は、やめるのか、あるいは原住民のことなど考えずに進めるのか、のどちらかだ。それは次のことを意味する。原住民たちとは――鉄の壁の後ろの者たちとは――無関係なある権力の保護の元でのみ、植民は進行し発展させることができるのである。それは原住民たちが崩すことのできない壁である。
【中略】
我々はシオニズムを道徳的であり正義であると主張する。そしてそれが道徳的であり正義であるがゆえに、正義は果されなければならない。ジョセフが、シモンが、イワンが、アクメットが、それに賛成しようがすまいが関係ない。
その他の道徳性など無いのである。》
(参照:ジャボチンスキー著『鉄の壁(The Iron Wall:1923)』【全訳】)
http://asyura2.com/0505/holocaust2/msg/540.html
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彼の道徳観は決してヒトラーのまねではなく、むしろ米国の原住民制圧の歴史から多く学んでいます。「鉄の壁」を一読すれば明白なのですが、シューマンはシオニストを《絶対悪》としてのヒトラーに結び付けたい一心で、こんな事実をも無視しています。
【引用終り】
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ウラジミール・“ゼエヴ”・ジャボチンスキーは、現在イスラエルで最も重要視されている「建国の始祖」であり、シャロン、ネタニヤフ、オルメルト、またイスラエル軍の強硬派将軍たちはすべてこの「ユダヤ・ファシスト」「ウラジミール・ヒトラー」の流れを受け付いています。この人物が日本でほとんど注目されないのは実に不思議な現象です。詳しい紹介はわずかに『真相の深層』誌で石峰昇一氏による連載がある程度でしょう。
日本では「ファシズム時代のシオニズム」(レニ・ブレンナー著:芝健介訳:叢書ウニベルシタス)が2001年に出版されており、その中でジャボチンスキーについて触れられているはずですが、ただこれにしても石峰氏が指摘している通り、ブレンナーの原著はZionism in the Age of the Dictators(『独裁者の時代のシオニズム』)であり、そのthe Age of the Dictatorsをわざわざ「ファシズム時代」と置き換えている点には、不自然な意図を感じざるを得ません。
それはともかく、このジャボチンスキーこそ、1934年に次のように言いながら対ナチ・ボイコットの徹底を激しく呼びかけたわけです。
our Jewish interests demand Germany's total destruction, collectively and individually. The German nation is a threat to us Jews.'(我々ユダヤ人の利害はドイツの全面的な破壊を要求するものである。ドイツ国家は我々ユダヤ人に対する脅威である。)
これはもう単なる「宣戦布告」以上に「ドイツに対する死刑宣告」であり、後にヒトラーに『水晶の夜』を決意させる格好の材料の一つになったでしょう。
ナチスの思想に共鳴しその後継者たちもナチスに近づき(その中には後に米国で「ネオコンの教祖」となるレオ・シュトラウスもいたが)、ワイツマンからは「ユダヤ・ファシスト」と、ベン・グリオンからは「ウラジミール・ヒトラー」と罵られたあの「修正主義者」ジャボチンスキーが(???)です。そしてそれを主流派の「労働シオニスト」たちが無視してナチス・ドイツ経済を大いに助けた、ということになりますね。(イスラエル「右派」の連中はこれを指摘して「左派」をイジメるのに利用していますが。)
だから「掛け合い漫才」と言わざるを得ない。
さらに、これは「ジャボチンスキー著『鉄の壁(The Iron Wall:1923)』【全訳】」をお読みいただきたいことなのですが、ジャボチンスキーの頭にあるイメージは明らかにアングロサクソンによる北米や南アフリカ、オーストラリアでの原住民制圧の歴史であり、その「道徳」であって、決してナチスによるものではありません。この『鉄の壁』が書かれた1923年にはナチスはその姿を大きく現してはいなかったし、そもそもナチスは「植民地における原住民の制圧の歴史」いわば「鉄の壁」など作ってこなかったのです。
ジャボチンスキーがナチスとヒトラーから学んだものは、むしろ『人口の移し替えによる評判(the popularity of population transfer)』です。つまりパレスチナからアラブ人を追い出してユダヤ人を移植させることの「正当性」「道徳性」だったのです。
さてさて、以上のようなナチスとシオニストの「掛け合い漫才」は「たまたま偶然に発生した」ものでしょうか?それともその「脚本家」がいたのでしょうか?
読者諸氏のご意見をおうかがいしたいと思います。