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シオニズムの隠された歴史:第6章(ラルフ・シェーンマン著)《全訳、その1》【「ホロコーストの死霊」による憑依現象】
http://www.asyura2.com/0601/holocaust3/msg/358.html
投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2006 年 8 月 07 日 01:49:20: SO0fHq1bYvRzo
 

シオニズムの隠された歴史:第6章(ラルフ・シェーンマン著)《全訳、その1》
【「ホロコーストの死霊」による憑依現象】


●これは米国のユダヤ人で左翼活動家であるラルフ・シェーンマンが1988年に書いた『シオニズムの隠された歴史』の一部で、シオニストがいかにファシストやナチスと同類の「反ユダヤ主義者(アンチ・セミティスト)」であるか、を、様々な角度から事実を採り上げて論証している章です。長いものですので、2回に分けて訳出して投稿します。

(『シオニズムの隠された歴史』全文は以下のサイトで:英語)
http://www.marxists.de/middleast/schoenman/index.htm
Ralph Schoenman
The Hidden History of Zionism (1988)

またラルフ・シェーンマン自身については次を参照してください。
http://en.wikipedia.org/wiki/Ralph_Schoenman
Wikipedia : Ralph Schoenman
http://karws.gso.uri.edu/JFK/the_critics/Schoenman/Schoenman_bio.html
Biography of Ralph Schoenman

この投稿につけた【「ホロコーストの死霊」による憑依現象】という副題に「???」の人も多いでしょうが、これは最後までお読みになればお解りになるでしょう。


●また今までならこのような翻訳を作った場合は私からのコメントを別にして投稿していたのですが、それでは本文のどの部分に関するコメントなのかわかりにくい欠点があるため、今回は実験的に訳文の途中途中で区切りの良い箇所にコメントを挟んでみたいと思います。また全体を通しての感想は翻訳が終わった最後につけるようにしましょう。

本文中で「++++++++++++++++」でくくられてある箇所に、その部分までの内容に関する私からのコメントを記入するようにします。

訳文中の[1][2]等の数字は原文にある注釈の付いた部分で、脚注に出典資料、参考資料を挙げておきます。


*******************************************************************************
【原典Url】
http://www.marxists.de/middleast/schoenman/ch06.htm

ラルフ・シェーンマン著  シオニズムの隠された歴史

第6章:シオニズムとユダヤ人


 もしパレスチナの植民地化が強奪の連続によって特徴付けられるとすれば、我々はシオニスト運動の振る舞いについて、パレスチナの犠牲者たちに対するもの(我々は後でこのテーマに戻るのだが)ばかりではなく、ユダヤ人自身に向けてのものを検討する時間を持つべきであろう。

 ヘルツル自身がユダヤ人のことを次のような形で書いた。『私は反ユダヤ主義に対してより自由な姿勢を作り上げた。今はそれを歴史的に理解し始め後悔し始めている。とりわけ、反ユダヤ主義と「戦う」試みを空虚で無駄なことだと認識していたのだ。[1]』シオニストの青年組織であるHashomer Hatzair (青年防衛隊)は次のような表明をした。『ユダヤ人というものは、肉体的にも精神的にも、普通で自然な人間の戯画化である。社会の中の一個人として、ユダヤ人は決まりきった社会的義務に逆らいそれを投げ出して、秩序も訓練も何も知らない。[2]』ジャボチンスキーは全く同じように『ユダヤ人は非常に悪い人々だ。その隣人たちは彼らを嫌うがそれは理のあることだ・・・唯一の救済の道はイスラエルの土地に移住することだけである。[3]』シオニズムの創始者たちは反ユダヤ主義と戦うことを放棄しそして、筋の通らないことなのだが、反ユダヤ主義者を自分たちの同盟者と見なしたのである。なぜなら、彼らはユダヤ人たちを住んでいる国から取り除きたいという願望を共有していたからなのだ。次第に彼らは似たようなユダヤ嫌悪と反ユダヤ主義の価値観を持つようになった。シオニスト運動が反ユダヤ主義者自身をその最も信頼すべきスポンサーであり保護者であると見なすようになったからである。

 テオドル・ヘルツルは誰あろうフォン・プレーヴェ(Von Plehve【訳注:レニ・ブレンナーはPlevheとしている】)伯爵−ロシアにおける最悪のポグロムであるキシネフ(Kishinev)のポグロムの実行者−に接近して次のような提案をしたのだ。『私があの土地[パレスチナ]に行けるよう援助をしてください。そうすれば[ロシア皇帝主義者の支配に対する]反乱は終わるでしょう。[4]』フォン・プレフヴェは承諾し、そしてシオニスト運動に資金援助を約束したのである。彼は後にヘルツルに不満を漏らした。『ユダヤ人たちは革命政党に加わりつつある。我々はシオニスト運動が移民に向けて働く限りにおいて君たちに同情的だったのだ。君は私に対する運動を正当化する必要は無い。君たちは転向者にお説教をしているのだ。[5]』ヘルツルとワイツマンは、パレスチナにおけるロシア皇帝主義者の利益を保証し、西欧とロシアからそれらの『有害で破壊的な無政府主義と共産主義のユダヤ人』を取り除くための助力を提供した。
 我々が今までに注目してきたことだが、全く同じ提案がトルコのスルタン、ドイツのカイザー、フランス帝国主義と大英帝国に対して、シオニストたちによって為されていたのである。

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【私からのコメント(1)】
通常、左翼ユダヤ人は右派系シオニストから「ジュー・ヘイター」「自虐的ユダヤ人」と非難されることが多いのですが、この論文でシューマンは、シオニストこそが「ジュー・ヘイター」「自虐的ユダヤ人」である、という見方を貫いています。シューマンにとっては(これは同僚のレニ・ブレンナーやノーマン・フィンケルシュタインなどでもそうですが)シオニストは何よりも「民族の裏切り者」であり、右も左も、シオニストも反シオニストも、その『民族主義度』を競っている点では一致しているように思えます。要は人間をまず「親ユダヤか、反ユダヤか」に別けてから話を進める点では「ユダヤ人か、ゴイか」に分別する伝統的な手法の枠内にとどまっているわけです。(本当はユダヤ教徒の中には異なる様々な要素がある、特にアシュケナジムの出自は重要なのですが、一般的に左翼と言われる人たちは触れたがらないようです。)
ここから以降に展開されるナチスやファシストとの関係はもちろん事実なのですが、シューマンはそれをもっぱらこういった「民族の裏切り者」という観点を強調して取り上げているため、英国や米国、ソ連、そして世界のユダヤ人組織同士の関連とそれぞれの世界戦略・戦術との関係がわかりにくくなっている欠陥があります。
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[シオニズムとファシズム]

シオニズムの歴史は―その多くは覆い隠されているのだが―薄汚いものである。

ムッソリーニはレヴィジョニスト・シオニストの青年運動であるベタルの小隊を作り上げたのだが、彼らはムッソリーニ自身のファシスト集団に見習って黒シャツを着た。

メナヘム・ベギンがベタルの長となったとき、彼はヒトラー・ギャングどもの茶色のシャツを好んだ。それはベギンとベタルのメンバーがあらゆる会合や集会に身に付けて出かけたものであった。その場で彼らは、ファシストの掛け声でお互いに叫びあい会合を開きそして閉会したのだった。

シモン・ペティルラ(Simon Petilura)は、897回の異なる襲撃で28000名のユダヤ人の命を奪ったボグロムを指揮したウクライナのファシストであった。ジャボチンスキーは、赤軍とボルシェヴィキ革命に対抗する反革命の戦い−その中で革命を支持する農民や労働者、知識人たちの殺害するのだが−で、ユダヤ人警察軍をペティルラの軍隊に同行させようと提案してペティルラと同盟の交渉をしたのだった。


[ナチスとの協力]

 欧州の悪意に満ちたジュウ・ヘイターたちを招きいれ、そして、パレスチナにおけるシオニスト植民地の財政と軍事のパトロンとして、最も邪悪な運動や政権と同盟を結ぶ戦略は、ナチスを排除するものではなかったのだ。

 ドイツのシオニスト連合は1933年6月21日にナチスへの支援を綴った文書を送った。【注記:同年1月、ヒトラーが政権を握る】その中でシオニスト連合は次のように記している。

 《・・・ ドイツ人の生活の中で起こっているような民族的生命の復活は・・・ 同様にユダヤ人の民族主義グループの中でも起こらなければならない。
 人種的原則を確立させた新しい[ナチの]国家の基礎に立って、我々は、同様に我々自身のために我々に与えられた領域の中で祖国(the Fatherland)のための実りある活動が可能となるように、我々の共同体をこの国家のあらゆる機構に適合させることを切に望んでいる・・・ [6]》

 この方針を拒否するどころか、世界シオニスト組織(WZO)会議は1933年に、ヒトラーへの反対運動を呼びかける議案を240対43で否決したのだ。

 まさにこの会議の最中に、ヒトラーはWZOのアングロ−パレスチナ銀行との交渉合意の声明を出したのである。このようにしてドイツ経済が極めて脆弱なときにナチ政権へのユダヤ人によるボイコットをぶち壊したのであった。そのときは大不況の真っ只中であり、価値を失ったドイツ・マルクで一杯になった樽を転がしていたのだった。世界シオニスト組織はユダヤ人のボイコットをぶち壊し、中東と欧州北部一帯でナチ製品最大の販売主となったのだった。彼らはハアヴァラ(the Ha’avara)を設立したのだが、それはドイツのユダヤ人資本家からの資金を受け取るように作られたパレスチナの銀行だった。そしてその資金を利用してドイツ製品が非常に大量に購入されたのだ。


[SSを取り込む]

 必然的な結果として、シオニストたちはSS保安部(S.S. Security Service)のブラウン・フォン・ミルデンシュタイン(Baron Von Mildenstein)をパレスチナに送り込み、彼はシオニストの支援で6ヶ月間そこに滞在した。ヒトラーの宣伝相ジョセフ・ゲッベルス(Joseph Goebbels)はこの訪問を1934年にDer Angriff (猛攻撃)という12部の報告書にまとめ、シオニズムを褒め称えた。ゲッベルスは片面にスワスチカを、もう片面にはシオニストのダビデの星をあしらった大型メダルを作るように命じたのだ。1935年5月に、SS保安部主任のラインハルト・ハイドリッヒ(Reinhardt Heydrich)は、ユダヤ人を《二つの種類》に区別した文書を書いた。彼が好んだユダヤ人はシオニストたちである。《我々の善意は我々の公式な好意と一緒になって彼らと共にある。[7]》1937年には労働『社会主義』シオニストの軍勢であるハガナー(ジャボチンスキーにより創設)は一人のエージェント(フェイヴェル・ポルケス;Feivel Polkes)をベルリンに送り、ユダヤ人の富をシオニスト植民活動のために開放することと引き換えに、SS保安部のためのスパイ活動を提供した。アドルフ・アイヒマンがパレスチナにハガナーのゲストとして招待されたのである。【注記:ユダヤ人への迫害を決定的にしたニュルンベルグ法はすでに1935年に制定されている。有名な「水晶の夜」は1939年11月に起こった。】

 フェイヴェル・ポルケスはアイヒマンに次のように伝えた。

 《ユダヤ民族主義サークルはラディカルなドイツの政策を非常に喜んでいます。なぜなら、パレスチナにおけるユダヤ人の人数が飛躍的に増大するだろうし、そしてそれによって遠くない将来にユダヤ人がアラブ人に対して数的に優越できるだろうと推測するからです。[8]》

 シオニストとナチスの協力的活動についてのリストはまだまだ続く。欧州のユダヤ人を裏切るシオニスト指導者の信じられないほどの意欲に対して、一体どう説明すればよいのだろうか? イスラエルの擁護者によって出されるイスラエル国家のための総体的な理由付けによると、それは、迫害に直面するユダヤ人たちの避難を意図したものである、とされてきたのだ。

 しかしその逆に、シオニストたちは欧州にいるユダヤ人たちの救出のいかなる努力をも彼らの政治目的を満たすものと見なしていなかった。それどころかそれを彼らの運動全体に対する脅威と見ていたのである。もし欧州のユダヤ人たちが救われるとしたら、彼らはパレスチナ以外の場所に行くことを望むであろうし、救出作戦はシオニストによるパレスチナ征服の計画とは何の関係も持たないものになるのかもしれないのだ。

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【私からのコメント(2)】
ここまでに書かれてあるナチスやファシストとシオニストとの関係は有名な話なのですが、ただムッソリーニがジャボチンスキー集団に軍事訓練を施したことは書かれていません。アイヒマンに関しては、自身がユダヤ系であったという説もあるほどシオニスト贔屓であり、「イスラエル建国」に最も力を尽した人物の一人です。どちらにせよ彼らは全員、イスラエル建国という「共通の目標」を持って動いていたようです。
私から見れば「コーディネーターは誰だ?」という関心が持ち上がるのですが、シューマンの頭の中では、ナチスという『絶対悪』と手を結んだから「民族の裏切り者」である、という以外の思考回路は存在しないようです。一方で別方向からシオニズムとイスラエル建国に強く関わっているソ連については、彼らは何も言いません。たぶんスターリンが『絶対悪』ではないからでしょう(笑)。
今からも多くの例が出てきますが、「イスラエル建国」のためには、「反ユダヤ主義」と「ユダヤ人への大迫害」は必要不可欠のものだったわけです。(これはソ連でも一緒だったのだが。なお、メナヘム・ベギンはソ連経由でパレスチナに入った。)欧州のユダヤ人をナチ印(あるいはスターリン印)の箒で掃いてシオニスト印の塵取りでかき集めパレスチナに放り込んだ、という寸法です。これを、コーディネーター無しの偶然に起きた利用のし合い、と受け取る神経にはクビをひねらざるをえません。(ま、そのコーディネーターを想定すると「陰謀論者」と言われるのですが。)
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[欧州のユダヤ人を犠牲にする]

 1930年代を通してのナチスとの協力的行動と相関性のあるものとして次の点がある。米国と西欧の移民法改正の試みが迫害を受ける欧州のユダヤ人にとって申し訳程度だが避難先を提供する目的で議論されていたときに、これらの努力をストップさせるために積極的に組織活動を行ったのがシオニストたちだったのだ。

 ベン・グリオンは1938年に英国の労働党シオニストの会合で次のように報告した。『もし私が、ドイツに住むすべての子供たちを英国に運び込むことによって救うことができるがエレツ・イスラエルに移送することによってなら半分しか救えない、と分かったとしたら、それなら私はこの第2の選択肢を採るであろう。[9]』このパレスチナ植民地化とアラブ人制圧という強迫観念によって、シオニストたちは、絶滅に直面しているユダヤ人たちのどのような救出にも反対した。なぜなら、優れた人材をパレスチナに振り向ける可能性が妨害されるかも知らなかったからである。1933年から1935年までの間に、WZOは移住許可証明書を求めるドイツの全ユダヤ人のうちで3分の2をはねつけたのである。

 労働党シオニストの新聞ダヴァル(Davar)の編集長であったベレル・カツネルソン(Berel Katznelson)が『シオニズムの残酷な基準』として描いたものだが、ドイツのユダヤ人たちはパレスチナで子供を産むには年をとりすぎており、シオニスト植民地を建設するための職業を欠いており、ヘブライ語を話さず、そして彼らはシオニストではなかった。これらの絶滅に瀕しているユダヤ人の代りに、WZOは米国や英国やその他の安全な国々から6千人の訓練を受けた若いシオニストたちを導入した。さらに悪いことに、WZOがホロコーストに直面しているユダヤ人たちに対してどのような他の解決方法をも見つけようとしなかったのみならず、このシオニスト指導部は逃亡するユダヤ人たちに対する避難先を見つける努力に猛烈な剣幕で反対したのだ。

 1943年にもなって、欧州のユダヤ人が何百万人も絶滅させられつつあったときに、米国議会がこの問題を『研究するために』委員会の設置を提案した。ラビ・ステファン・ワイズは、米国第一のシオニズムの論客だったのだが、ワシントンに行きその救出法案に反対する証言を行った。それがパレスチナの植民地化から注意をそらすかも知れなかったからである。

 1938年に米国ユダヤ人会議のリーダーとしての資格で、ユダヤ人が避難先を見つけることを可能にする米国移民法のあらゆる改定に反対する手紙を書いたのが、このラビ・ワイズである。彼は次のように述べた。

 《何週間か前にあらゆる指導的なユダヤ人組織の代表者たちが会合を開いたことはあなた方にとって興味深いことかもしれない。・・・どんな具合にでも移民法を変更させるような法案を、この時期に、非ユダヤ人の組織が支持することを許さない、ということが決定されたのだ。[10]》


[逃避行に対する攻撃]

 シオニストの全指導部は、迫害を受けるユダヤ人たちに英国領の中で避難場所を提供するために英国議会の227名が政府に呼びかけた動議に対する反応の中で、その姿勢を見誤ることのないほど明らかにした。準備されたわずかばかりの試みは次の通りであった。

 《英国政府は、迫害を受けるユダヤ人の家族のために、モーリシャスと他の場所への移住許可証数百名分を発行した。[11]》

 しかしこの形ばかりの措置ですらシオニスト指導部によって反対された。1943年1月27日の国会審議で、その次のステップが100名を超える議員によって遂行されつつあったのだが、シオニストのスポークスマンは、これがパレスチナ植民の準備を含んでいないため反対するとの声明を出した。これが一貫した姿勢だったのだ。

 ハイム・ワイツマン(Chaim Weizmann)は、バルフォア宣言を準備しイスラエルの初代大統領になったのだが、このシオニストの政策を非常に明確にさせた。

 《欧州600万人のユダヤ人の希望は移住に集中されている。私は質問された。「あなたは600万人のユダヤ人をパレスチナに送りたいのですか?」と。私は答えた。「いいえ」。・・・。私は、その悲劇の奥底から[パレスチナに向かう]若い人々を救い出したいと思う・・・。年長者たちは消え去るだろう。彼らはいずれにせよ自分自身の運命を背負うだろう。彼らは塵だ。残酷な世界の中では経済的にも精神的にも塵だ。・・・。若い枝だけが生き延びると定まっているのだ。彼らはそれを受け入れなければならない。》[12]

 イツァーク・グルエンバウム(Yitzhak Gruenbaum)は、シオニストによって名目通り欧州ユダヤ人の状態調査のために設けられた委員会の議長だったが、次のように語った。

 《我々のところに二つのプラン――ひとつは欧州のユダヤ大衆の救出、他方はあの【訳注:パレスチナの】土地のあがない――が持ち込まれたとするなら、私は、1秒もかけることなく、あの土地のあがないのほうを選ぶ。我が民族の屠殺について多く語られれば語られるほど、あの土地のヘブライ化を強化し促進させる努力を大幅に少なくできるのだ。もし現在the Karen Hayesod[ユダヤ請願連盟]の資金をリスボンを通して送って食料のパッケージを買える可能性があるとしても、我々はそんなことをするだろうか。だめだ。もう一度言う。だめだ!》[13]

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【私からのコメント(3)】
 ここまでの部分で注目すべき点があります。1937年にシオニスト会議で語られたワイツマンの言葉の中に、《欧州600万人のユダヤ人の希望は移住に集中されている。私は質問された。「あなたは600万人のユダヤ人をパレスチナに送りたいのですか?」と。私は答えた。「いいえ」。・・・。》というくだりがある点です。
《欧州600万人のユダヤ人》??・・・ってことは・・・、「ホロコースト600万人」だから・・・、欧州のユダヤ人全員が殺された、ってわけか??
それにしてもこれ、1937年の言葉なんだよね。このときにすでに《600万人》?? この数字って、どこから出てきたんだ?? いずれにせよこのシンボリックな数字はすでに第2次世界大戦の以前から登場していたわけです。
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[抵抗運動に対する裏切り]

 1944年7月に、スロヴァキアのユダヤ人指導者ラビ・ドヴ・ミヒャエル・ワイスマンデル(Dov Michael Weissmandel)が、これらの「救出組織」に携わるシオニストの幹部たちに宛てた手紙の中で、アウシュヴィッツに送られる予定のユダヤ人たちを救出するための一連の方策を提案した[14]。彼は鉄道の正確な地図を示し、ハンガリーのユダヤ人たちが焼却場に移送されるのに使われる線路の爆破を強く勧めた。

 彼はアウシュヴィッツの焼却炉の爆破、8万人の囚人に対する武器のパラシュート投下、あらゆる絶滅の手段を爆破するための破壊工作員のパラシュート降下を提案し、こうして毎日1万3千人のユダヤ人の焼却を終わらせることを主張した。

 連合国がこの「救出組織」によって組織され公にされた要求を拒否するなら、ワイスマンデルは、資金と組織を持っているシオニストたちが飛行機を手に入れてユダヤ人のボランティアを集めそして破壊工作を実行することを提案した。

 ワイスマンデル一人ではなかった。30年代の終りから40年代を通して、欧州のユダヤ言論人は助けを求め、公の戦いを求め、組織化された抵抗運動を求め、連合国の政府の手立てに圧力をかけるデモを要求したのだが、それらは、シオニストの黙殺のみならず、英国と米国で提案され準備されたほんのわずかの努力にさえ向けられたシオニストの積極的な妨害に出会っただけだったのだ。

 ここに、ラビ・ワイスマンデルの心底からの苦悶の叫びがある。1944年7月にシオニストたちに書いた手紙で、彼は不信を込めて次のように問いかけた。

 《どうしてあなた方は今に至るまで何もしてくれないのでしょうか? この恐るべき無視に誰が責任を負うのでしょうか? あなた方の罪ではないのでしょうか? ユダヤの兄弟たちよ。自由という世界で最も素晴らしい幸福を手にしているあなた方の?

 我々はあなた方に――ラビ・ワイスマンデルは再び書いた――この特別なメッセージを送ります。昨日ドイツがハンガリーからユダヤ人たちを移送し始めたことをあなた方に知らせるために。・・・。移送された者達はアウシュヴィッツに向かい青酸ガスによる死を受けるのです。次のようなことがアウシュヴィッツの、昨日から最後のときに至るまでのスケジュールなのです。

 『12万人のユダヤ人が、男も女も、子供も老人も幼児も、健康な者も病人も、毎日くびり殺されることになる【訳注:原文は“to be suffocated”】』

 そしてあなた方、パレスチナの、すべての自由な国々の我が兄弟たちよ、そしてあなた方、すべての王国の大臣たちよ。この巨大な殺人に直面してあなた方はどのように沈黙を守るのでしょうか。

 何万人も何十万人も、そして600万人にならんとするユダヤ人たちが殺されているのに黙っているのですか? そしていま、何十万人もが未だに殺されつつありそして殺されるのをまっているのに、黙っているのですか? 彼らはあなた方の残酷さを嘆き悲しみながらその張り裂ける胸であなた方に助けを求めていたのです。

 何と残忍な。あなた方と殺人者たちは。あなた方もそうだ。ただ眺めるだけの沈黙という冷血のためです。あなた方が何一つせずに腕を組んで座っているからです。今このときにあなた方がユダヤ人殺しをやめさせ遅らすことができるかもしれないというのに。

 我が兄弟たちよ、イスラエルの息子たちよ、あなたたちは気でも狂ったのですか? 我々の周囲に地獄があることをご存知ないのでしょうか? 殺人者たち! 狂人たち! 憐み心を持つ者は誰なのでしょう? 安全な家から数ペニーを投げ与えるあなた方でしょうか、それとも地獄の底で血を差し出す我々なのでしょうか?》[15]

 シオニストの指導者は誰一人彼の求めに応えようとしなかった。西側の資本主義政権のどこも強制収容所の一つさえも爆撃しようとしなかった。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
【私からのコメント(4)】
 この1944年のラビ・ワイスマンデルの言葉の中でもやっぱり『600万人』が登場します(!?)。さらに『毎日1万3千人のユダヤ人の焼却』とも書かれています。
ところで、アウシュヴィッツ館長のピペル博士の研究では「アウシュヴィッツで100万人」ということなのですが(これはアウシュヴィッツの門の石板にも書かれてあるようですが)、この「ワイスマンデルの手紙」(脚注[15]にあるサイトで全文を読むことができる)とやらが戦後の偽作でないとしたら、どこから上記のような数字が出てきたのでしょうか。1日に1万3千人で100万人、ということは、ホロコーストは何と!80日足らずで終わった、ってことか!!??
(参照:ピペル博士ねえ。「ガス室」が『戦後に再建された』ことを白状した人だな?)
http://asyura2.com/0601/holocaust3/msg/181.html
それにしても、毎日1万3千人ずつを焼却処理する焼却炉って、よっぽど馬鹿でかいんだろうな・・・。ナチス・ドイツもよっぽど石油が余り余っていたと見える・・・。毎日毎日、煙のモクモクと悪臭が、さぞものすごかっただろうね。いまでこそ改良されてるからマシだけど、昔の火葬場で2〜3人焼いただけでも何とも言えぬ臭いがかなり離れたところまで漂っていたからね。煙を吐きまくっている煙突の写真とか悪臭で息を詰まらせた大勢の人の証言とか・・・、あったかなあ・・・??
 またワイスマンデルは連合軍によるアウシュヴィッツの空襲を要求していますが、ピペル博士によると44年にアウシュヴィッツは空襲を受け、その際にガス室と焼却棟は防空壕に転用され(青酸ガスの染み込んだ防空壕とは!!)、それ以後はビルケナウのみが稼動していた、ということのようです。
 もちろん現在の欧州では「600万人」をわずかでも減らすならば刑事犯罪です。思想取り締まりに関してはナチス政権と遜色無い状態なのですが、ビルケナウを含むアウシュヴィッツで100万人としたら、あとの500万人はどこで「ガス殺」されたんだろ??(やべえ、やべえ。これ以上は言わんどこ。)
 そしてこの「600万人」ははるか以前から予定されていた象徴的な数字のように見えます。何せ、戦争中の何の調査もなされていない段階で、すでに「600万人」「1日1万3千人」と解ってたんだって!! まあ何とも素晴らしいことだ!!
 たしかにワイスマンデルの言葉は、特にユダヤ人にシオニストの残虐さと「反ユダヤ性」をアピールする目的のためには、「これでもか、これでもか」と感情に訴え感情を揺り動かして強烈な印象を与える非常に効果的なものでしょう。しかし現在の目でちょっと冷静に見ると、このような奇妙な点が次々と見つかります。「ホロコースト」の死霊に取り付かれてしまうとこんなことも見えなくなるのでしょう。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

【翻訳(その2)に続く】


【脚注】

[1]. Marvin Lowenthal, ed., The Diaries of Theodor Herzl, p.6. Cited in Lenni Brenner, Zionism in the Age of the Dictators (Westport, Conn.: Lawrence Hill, 1983) p.6. (または次を参照のこと)
http://www.marxists.de/middleast/brenner/ch01.htm#1

[2]. From Our Shomer “Weltanschauung”, Hashomer Hatzair, December 1936. Originally published in 1917, Brenner, Zionism, p.22. (または次を参照のこと)
http://www.marxists.de/middleast/brenner/ch02.htm

[3]. Brenner, The Iron Wall. (または次を参照のこと)
http://marxists.de/middleast/ironwall/01-youth.htm

]4] lbid., p.14.  (または次を参照のこと)
http://www.marxists.de/middleast/brenner/ch01.htm

[5] Ibid. (同上)

[6] Brenner, Zionism, p.48.  (または次を参照のこと)
http://www.marxists.de/middleast/brenner/ch05.htm

[7] Ibid., p.85.  (または次を参照のこと)
http://www.marxists.de/middleast/brenner/ch07.htm

[8] Ibid., p.99.  (または次を参照のこと)
http://www.marxists.de/middleast/brenner/ch08.htm

[9] Ibid., p.149.  (または次を参照のこと)
http://www.marxists.de/middleast/brenner/ch13.htm 

[10] Ibid. (同上)

[11] Rabbi Solomon Schonfeld, Britain’s chief Rabbi during World War II. Faris Yahya, Zionist Relations with Nazi Germany (Beirut, Lebanon: Palestine Research Center, January 1978), p.53.

[12] Chaim Weizmann reporting to the Zionist Congress in 1937 on his testimony before the Peel Commission in London, July 1937. Cited in Yahya, p. 55. (または次を参照のこと)
http://www.jewsagainstzionism.com/antisemitism/holocaust/index.cfm

[13] Yitzhak Gruenbaum was chairperson of the Jewish Agency’s Rescue Committee. Excerpted from a speech made in 1943. Ibid., p.56.  (または次を参照のこと)
http://world.mediamonitors.net/layout/set/print/content/view/full/16683

[14] Ibid., p.53.  (または次を参照のこと)
http://www.marxists.de/middleast/brenner/ch24.htm
http://www.marxists.de/middleast/brenner/ch25.htm 

[15] Ibid., pp.59-60.  (または次を参照のこと)
http://www.fantompowa.net/Flame/weissmandel_lublin.htm


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