★阿修羅♪ > 昼休み6 > 480.html
 ★阿修羅♪
どひょう(あっ有り難うございます)に・・・(同じ土俵ぎわに)立ちましたね
http://www.asyura2.com/0510/lunchbreak6/msg/480.html
投稿者 薬品代謝 日時 2006 年 4 月 09 日 02:38:06: rfexvtdx/WsWI
 





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投稿者 ワヤクチャ 日時 2006 年 4 月 08 日
http://asyura2.com/0510/lunchbreak6/msg/479.html
貴方のおっしゃる意味は概ね了解しました。
 ………… ………… ………… ………… …………

>言葉のジャングルの中で格闘するのか
>単純化された政治的目的の為に奮闘するのか
>という選択のようですね。
ゲリラ戦隊はジャングルに勝算をみますね。そして求めるところ、
人が死なないジャングルは、言葉のジャングルでしょう。
枯葉剤や子爆弾の蜂の巣、飢餓や疫病つきの大火傷、
墜落ヘリのローターによる人体切断(諸人の胴体斬り)よりマシだと思います。(これもメディアデマかもしれないが)

言葉の迷路とかいって、面倒な知的労働の刻苦を厭うのが怠惰なのでしょうね。
(あくまでも「宣誓していない一般市民」の無知、怠惰そのものはいっこうに構わないと
思いますし、運動する「義務」もないでしょうが)

>いずれにせよ政治は後者の単純化された目的で動きます。
>小泉政治も「財政破綻→改革」という図式の中で動きました。
>我々は単純な動きに対する批判とそれに対抗する「単純な動き」をつくりつつ
>それを媒介にして認識を真理に近づけるという方法を取らねばならないと思います。
単純さに対して単純さを宛がうことをたぶん、同じ穴のムジナといいます。
それは散々やってきたはずです。
「好戦的な」二大政党制をみるまでもなく、単純化ではあまりに喪うものが多いと思っています。

複雑になれば予測不可能性が増大してチャンスは生まれるでしょうが、
単純な図式(弁証図式)にもちこまれれば、最後は悪魔(共産主義者や
テロリストといった自作自演の勧善懲悪用キャラ)が倒されて、
末端の正直者(熱狂的な真性活動家)もろとも
併呑(統合、総合)されてしまう、ということだと思っています。

大団円(その段階)を迎えれば、逆らう者はいなくなるでしょう
(責任「追跡」、「深層」解明、審議・動議の切断といいますか、多数採決にも似て?)、

およそカルトやテロリストなどというものは、予防接種のように「抗原キャラ」として弱めてあるのだと
思います(例えば証拠充分な「対権力」裁判闘争を引っ込めて
急に負けを認めたり、互角の集計で敗れると某大統領候補達みたいに怪しいですよね)。
(しかもカルトやテロリストには政府の裏金資金源の違法業務を担う役割りもあるで
しょうし、いざとなれば特殊部隊等を投じて介入し、殉職・死滅させたり、
死滅したと称して施設ごと隠滅する事ができる便利さもあるでしょう)

一方、輿論誘導としては、単純化しなければ弁証化できない(つまり、某司会者のように、
話を無理やりTV映りのよい二手に大同小異で分け、一方が敗れることで「勝負形式」で
納得させるような世俗の、ギャンブル文芸的な演出技法が満了しない)はずで、
単純化は彼らの狙いの中(内側)でしょう。

いうなれば(皆に分かりやすいような)単純な対抗手段は、
「選挙参謀」の戦略の中に組み込まれているプリセットオプションのはずなので、
唯一の方法として意表を突く場所から攻める、ということだと思います。
(さすがに全座標、つまり発想の全てに防空網を被せる予算も技術も「組織国家システム」には無いはずです。
ちなみに「奇襲という形態」からトラウマ的に忌むかの嫌な予感が走る点は知ったことではありませんね)

しかし、向こうは、これをされたくないが為ということなのか、
先回りしてゲリラが好みそうな誘蛾灯の旗印を(大掛かりに)立ててくるでしょう。
つまりは潜伏する敵を燻るよりも、蕩尽できない欲動を、兵糧攻めとセットの
飴で引き摺り出すというのでしょうけれども。

多少とも、(もとより体制インタフェイスや深部権力というのは必要なところには気前よく)資金援助して
体裁を整えるのだと思いますが、反体制分子を「単純な誘惑」と「単純化の誘惑、
エネルギーを発散させやすそうな、専念・反復で済むような楽な作業、ルーティン運動、
そして永世情報閲覧業務(この場かもしれない)の下に集めればいいのですね?
それで、少なくとも士気のベクトルを分裂させて弱体化させることができるのでしょう。

藁をもすがって「力」を求める天下国家好きの若者(?)は、安易な「可能性」に殺到し、
ここで一網打尽となるはずです(外に出れば写真に撮られるでしょうし)。
安保闘争など愚の骨頂かもしれませんが、
貴重な教訓でしょうね、マトモに活かせられれば。
しかし、変人でない「秀才」は一番確率の高いところに群がって、火炎放射を浴びるのですね。
飛んで火に入る革命家ですか。

情報の詳細に囚われる人は森への想像力が失われているのかもしれませんし、オタッキーな情報秀才では
自分をナビできないかもしれないのですね。

>そのような活動の中にしてこそ貴方達が語る難解な言葉の
>意味も理解できるようになるでしょう。
難解さそのものにも戦略的意味はあるでしょうけど。
(そういう方法論をかんがえてもみなかった人に批判されたくはないし、
商業的に「職業利権」保護という目的で、またはスタイルとして「難解」にしている人とは、
軽率に混同されたくもないかもしれません)

>いきなり言葉の迷路に迷い込みたくはないです。
それは、皆さんが言葉の世界の調査、探索をサボってきたからでしょう。
というか、忙しい世俗と、「皮相な陰謀研究の」情報あつめという無間地獄にいるのでしょう。
世俗の煩わしさそのものがどの程度までか仕組まれているはずですし、まさに術中ですね。

もし、ようやく気づき始めて、20年遅れていることにも気づいた場合には、
20年の遅れを謙虚に認めることでしょう。
それでも真意が掴めたならば差はグンと、一足飛びに縮まるのではないでしょうか。

>可能性をあげつらえばあらゆる可能性があります。
>しかし、そんな話を山ほどしていても仕方がないでしょう。
それを貴方達が、ああでもない、こうでもないと、やっているんでしょう?

それに「相手に入り込む」という手法は、敵側の(味方としても)「積極的な常套手段」でしょうから、
嫌なことでしょうが、可能性として、まずは味方を疑うのが基本ともいえる世情だと考えるのがいいでしょう。

そして情報戦においては、どちらも、そういう工作を遣りあっているにしても、
中枢は敵味方問わず、「汚染された敵」と
みたほうがいいかもしれませんね。(すると味方も反転されて、情報を信用できなく
なるわけですよね。それでも惰性的に漫然と収集するか、疑心暗鬼で続けるのか、ということでしょう。
しかし、それほど管理支配が進んできていることは、やはりありうるでしょうね。
過去の人達ですら、血縁世襲王政にまんまと騙され、酷い目に遭って
いるはずなのになお、まだ万世皇統なんてやっているのですよね。
無力だからというより、半分騙されて、黙認して無力なのでしょう。
たとえ、全面的に騙されていて言葉の独り歩きで「現実は無」という分野のほうが多いとしても)

したがって敵は味方サイドから現れるものと思えば、
敵としてバレバレに煽ることなど「本職」はしていないということになりますか。

敵だと思っている情報源が実は囮で、実体(本隊)はもっと大きなトロイの木馬なら、
総崩れにされますよね。まあしょせんは家畜奴隷ではないですか、簡単に、
全体的に騙せる下等知能でしょう、狡猾な存在にとっては)

その真偽を確かめる必要は無いと思います。現に「味方」の語ることは、
何れにせよ、大いに間違っているでしょうから。しかし、この話は別の機会でもいいでしょう。

ただ言えるとすれば、コストが掛かり過ぎる奇妙な(偏執的に芸の微細な)演出はせず、「圧倒的で」
「圧倒的に単純な」ほうへと一気に目を向けさせて、そこで大芝居を打つだろうことでしょうね。
だからこそ、偏執的に奇妙な振る舞いをこちらがすれば、初期インパクトを免れ、
催眠術師の公演が成立しないというのですね(例えば助走の間、目を瞑っていたりと)。

しかし、残念ながら、皆さんは教育という超陰謀の洗礼を受けた労働者でしょうから、
大枠は洗脳された上で、部分的に闘っておられるのでしょうね、自己と(御自身の妄信と)。
それで、無駄は労働者として失格と躾けられ、手懐けられて、無駄なことは手を抜く、
などと平然と言い放ったりできるのでしょう。とはいえ余暇ですら、ムダをする自由も
無いのでしょうか、それこそ「人類」の巨大な「損失」かもしれませんけど。
(余暇でも競争力を維持すべく練磨稼動する、製鉄所か原発なんですね)

人間が失い、喪わされたことが、その実、ムダなことそのものであるとすれば、
無駄というのが実のところ労働支配という「目的統合」を回避させ、
「剪定されない個別」の回復になるのだと思いますよ。
むしろ、人間こそが無駄ができる動物だと思うのです。

そういう意味からして難解という在り方は知的というよりも、もっと「低能」な、
無駄な遊びでもあろうし、遊びが労働社会を切り崩す亀裂なのでしょうし。
趣味と実益、運動戦略と遊びの一致をみるのですね。
運動の場を戦場にしたい人は、効率よく、
狙い撃ちされるほど見通しよく、闘うはずです。
そして最後は、合理的に支配され、偽りの社会「合意」形成プロセスの
エネルギー資源として弁証統合されてしまうのでしょう。

反対に極度に合理的なものは資本の蓄積に与し、軍事技術の進歩に寄与するぐらいのものでしょう。

単純化(少数量の捨象)というのは
合理性の実現だと思うのですが(そして繰り返しになるでしょうが)、
誰かがそれをつとに望んでいるのではないですか?

人間の一筋縄でいかない(まさに言葉にもできないほど)複雑な実態を、単純で
わかりやすいものに摩り替えているとすれば誰でしょう。
学舎で過ごしたぐらいで、わかった気になったり、人間の精妙な内実の入り組んだ小路を
「集合主観のコミュニケーション的意思決定」というハイウェイに取り替えてしまう欧米人とは誰でしょう。
あるいは、区画整理は年貢管理の風通しであろうから、ゲリラ的方向とは逆なのではないですか。

選挙で「委任状」を巻き取り、単純な国会手続きに置き換え、
二手に分かれて、賛成意見、反対意見、結論という、
馬鹿げた三段階、三拍子のリズムで(アリバイめいた形骸的)処理を積み上げていくような、
捏造的合意造りというものがあるでしょう。脈々と流れる肯定型コミュニケーション論とでもいうのでしょうか。
おそらく世界が主観だと言ってしまうところから、「全ては合意」となり、
そこに合意をつくりだす錬金術が生まれてくるのですね。

その超気宇壮大な、
またはワケのわからない国民主権、集票制度、三権分立(そして司法機関)などという
陰謀詐術によって、仮想ともいえよう世界の、意思ロンダリングのスキームが形成されているのでしょう。

ところで自分としては、人の知らないことを多く知っていると思いますが、
知っているからこそ、(教えてみせろというなら)馬鹿な教えかたはしたくない、ということがあるでしょう。
「難解」を説くのに「平易なだけ」では
目的実現に忠誠を誓うことにはならないと思います(つまりは知らせ気づかせる仕方、
一律にこうというのではなく、伝え方も複雑な事情もあるのですね。それを偽ったり隠す必要があるのでしょうか。
平易なら読まれるとも限らないでしょうし。もちろん学問的複雑というのがよいなどとは言っていないどころか、
思うわけも無いつもりですが)。

そんなわけで話の単純化も危険であるばかりか、それを強いるなら、
「単純化というような指示内容も」「強いること自体も」体制インタフェイスそのものなのでしょうね。
しかしまあ、気安く促されなくとも、ちゃんと昼休みに書いているでしょう(ヒントしか書けない場合もあるでしょうが)。

さて、ともかく最も「人間一般の本質」を突いて、合理的なのは「手品」の手法だと思いますが、いかがでしょう。
その手法を取り入れ、力が欲しいから同じような単純化に手を染める、
というなら、自身として異な話だとお思いになりませんか?

もともと単純化は大衆世俗のニーズですよね。この世俗大衆を造形した神が深部権力なら、
間接的にニーズを誘発させているのも深部権力でしょう。

そういう悪辣きわまりないであろう連中が、日頃「家畜奴隷」を労働という重い足枷で縛っているのなら、
「世間話」は単純でないと疲れるだろうし、単純なほうへと誘導されるでしょう、自然に。
だからこそ、単純な主流の全滅から距離を置くことで
少なくとも自分達は難を逃れ、知らず知らずのうちに加害者に合流しなくても済むというイメージですか。

それを左傾の人間(特殊な労働者)同士、労働者の「運動エネルギー」を効率よく取り出すために、
例えば「労働者に優しい指示書」を書くのだとすれば、まるで深部権力が描いているであろうテーマパーク
「労働ランド」が「運動ランド」に摩り替わってしまうようなことでしょう。

いわば体制インタフェイスと左派中間管理サイドとの「余暇(時間)資源」のシェア争いですね
(労働時間価値というのか、の)。

独自文化を逆構築し、また読み解くという、
エネルギーコストは敵味方に負担的に作用するからこそ、
敵や邪魔な味方を篩い落とすシールドだと感じませんか?

あたかも身体論的ソフトエネルギーパス、精神論的コジェネレーションみたいな文脈を持ち込んで、
「労働者に分かりやすい表現を」などというのは、滑稽ですらあるでしょうね。

つまり、話を戻すなら、
工作者が味方として話を微妙にズラしていく瞬間が、僅かに本性を仄見えさせて、
それを見極める、まさにそのときなのかもしれませんよ。
(または、味方のエネルギーを殺いで運動のさまたげになる、何も判っていない「厨」とか)

たとえば潜入先として、複雑な世界や、独自な用語では味方を装いづらいものがあるはずで、
分散した「小規模集団」では、装う投資もしづらいということで、
潜入するのは諦め、羊の群れを追いやるように、解体の圧力をかけてくる、ということでしょう。

曰く「そんなことをしても無駄だ」「少しでも結集して大同団結しなければ負ける」と、
すでにある反体制運動の檻へと括り込む(統合のほうに煽る)のが「偽の友」という話ですね。
ひと纏めにすれば火炎放射の効率がいいというわけですね。

かんがえてみれば、
人数を集めなければ負けるなら、
(多数派には)絶対に負ける、ということではないですか。(もう幻想はいいでしょう)

>多くの人々が信じているであろう共通の主観の中で活動するしかないと思います。
それは御自分でも危険だと思いませんか?

>そうする事によってその主観を判定する事ができるのです。
古い主観パターンから選ぶのではなく、せめて
新しい主観を作って欲しいものです。(分散運動の実体価値と分散価値)

>人間が世界の多くを言葉として把握している事は同意します。
>しかし、異常気象は言葉ではありません。
環境問題も(これまでと同じ意味で)また言葉ですね。
近年の気象は、そのときどきで異常だったでしょう。
子供のころから(毎年とはいわずとも、思い出したように?)
異常気象、異常気象といっていた気がします(食傷ぎみというか)。
例えば似たような話として、
少年犯罪が増えるなり、凶悪化しているという話も恐らく、限りなく「無」に近いでしょう。
これは言葉だけの世界(当該領域)に、それを裏づける別の言葉(中継概念)や実態(実体空間)が
何も無かった、ということではないですか。

で、異常気象というのは、環境問題という(近年から顕著らしい)、一つの破滅プロセスの派生事項なのですか、
それなら今ここで個個に挙げる意味があるのかという話かもしれません。
しかし恐らく、これはシナリオですね、
真偽いずれであったとしても。

緩慢な地球破壊を目論む皆さんがいるとすれば、自由資本主義の外でしょうから、
表裏から想像するより、深奥ではずっと裕福だと思いますね。
中堅の資本家が舞台で贅沢をやっている、それ以上の支配者は地球で「遊んでいる」かもしれませんよ、
それほど無尽の資金を生み出す小槌を持つという意味で。

そもそも環境問題はペンタゴンに組み込まれているような、
恐怖の煽りであるとともに、グロバーリズムの口実にもなる、と思っています。
環境対策はケムトレイル散布の理由に使われるかもしれないし、環境破壊とテロリストを結びつけて、
環境保護のための環境破壊(必要悪)だと騙って、それを敢行するかもしれませんし。
この可能性は杞憂でしょうか、杞憂めいていても考慮しておかないと、そうなってからでは巻かれるでしょうね。
また何でも温暖化やオゾンや黒点の所為にされても困りますね。

「環境問題」と近しいところで昼休みで重視されているのが、ケムトレイルなのだと思います。
ほとんど唯一、自分の目で「現象」と「行為」(因果関係)が確認できる
「陰謀分野」といっていいでしょう。

しかしケムトレイルには幸か不幸か「言葉」がありませんから、今からケムトレイルで
逆構築しようとしている人がいるということですね。もとより見たままの光景に、
テキスト(ナレーション)はついていないはずなのです。
視野や脳をいじることは出来るにしても、報道画像とは格段に違うでしょう。
自分の目で見る、この「生と日常」を信じる前提ならば。
または信じるからこそ、それ(生の内実)を脅かす「支配悪」(外形)が問題になるのでしょうから。(信仰宣言契約による絶対論理行使)

それこそ目撃された事実から、体験に根ざした未言語を発掘するということでしょうね。
言葉の世界の外側から、事実と照応されうる言葉を見つけるということであるはずです。
(もちろん、そこにも偽証がもちこまれうるでしょうから、
突き合わせと懐疑的検証が肝要でしょうね)

これは体験を言葉にするということで、すんなりと済むでしょうが、
他方、体験(内在)には無い伝聞「構造」を言葉にすると、
それはワケのわからない造語(組み換え語)となって(つまり単位語または具体語→
高次語または抽象語というように踏み込こんだりして)、
言葉のジャングルに迷うでしょうから、ある程度プランニングが必要となってきますね?
それに政治パターンを用語化するのが急務だとしても、
オペパターンの用語化は、抽象化が寧ろ不可欠なはずです。

難しい、難しいと妬まれたとして、それは皆さんが、
これまでサボってきたツケが溜まってきていて、
その所為で大変な課題になっているのかもしれませんよ。

それで結局こういうことですか。
社会科が得意で、自分も中心になって運動に参画できると思いきや、
内容が国語科だった(国語の問題にシフトした)ので
当惑する(記号論では失業するので困る)という、やはり保身的な話でしょう、これは。
しかし、実際はトータルというか、新しい分野だろうし、
教育の枠組みを踏襲したのでは意味が無いかもしれないわけです。

敵方も予算をかけて兵器の大規模開発と大規模作戦を実施して(もちろん
そんなものは全策動の一部でしょうが)集権を維持しているらしい
ことを、「渡欧して」実感すべきかもしれませんね。それで旧石器人の手槍を捨てて、
こちらも手間をかけ、廉価にして壮大な逆構築を、
一刻も早く始めるのがいいでしょう。(収益策動/処理策動、目的策動、両用策動/自体策動)

(この「世界」は、所与の生存基盤を産業科学文明で狭め、また召し上げておいて、
さらに間接化させる制度で必需を品種質量において拡大し、供給すべき物品を交換材とし、
欲求させて労働(成果物)を回収している、というカラクリですね。
もちろん労働代価は交換されて、しかも混乱させたり、興奮させたり、圧迫したりする、
最終的には有害・減退・依存・指令型の商品なのかもしれません。
基本構造ではむろん、供給機会の増分は労働人口に分配されるものの、
「全体の過剰」として一部に集束する、ということだと思います。
そのなかで張り付くように立ち上がっているらしき総文化構築に
はたして如何ほどの真実的意味があるのか。そしてそこで放送、
報道、教育される共有情報の、どれかを信じないと始まらないからと、
得体が知れずに流布されているような、主調音すなわち「情報の
主流量」に着目して存在応報するのか、ということでしょう、または自分が選んだ場での局所主調音に云々。
しかし、それらの総体が、手の込んだセットとして出来上がるように布石、
構成された大掛かりな虚構培養装置ならば。実状は、まさに常に大衆総唯我論状態であるはずです。
しかし、或る種の哲学や主義主張、そして儀式教義は、誤謬原理から導出、演繹、延伸、分岐されていく
オートマトンかもしれないし、表層に世界の法則的真実とは別の意識が
芽生えるように種を撒いた「ジーンとしてのプロトコル命題の品種革命」だったかもしれません)

そこで自分の指先が届く感覚で手探りに世界を知り直す必要があるかもしれないし、
かといって知る必要というのではなく、的確に場合(可能性)を予期、予見、予想できる枠組みを
フォーマットとして取り返す必要があるのかもしれないのです。

それは強制された言語制度の、自主延長のごときの「美しく合理的な学術的標準語体系」や
いかにも怪しげな「客観的中立」といったようなものであってはならないはずなのです。
仮にもし、(幾何階層的)合理性を追求するなら、
究極では寸分の恣意的歪曲もが適わないような完全マトリクス、機械記号的なものに
する必要があるかと思いますが、ここでは逆構築の話でしょうから、それは、もっとムダも含めて人間的なもの
だと個人的に構想しますね。真実を自分の規格(言葉)で「厳格かつ恣意的に」語る
ということでしょう(既成パワーと対峙する日常として世を語り、
日常言語であるからには「厳格かつ恣意的に」云々)。
外部に規格決定されていて、新規にも、そうされ続けるのではなく、自分がつくる、もしくは自分が選ぶような。

しかし、そうやって逆構築するにしても、
「対抗構築」(押し返しやパロディーや部分突破や
逐次批判)ではなく、逆(独自方向、事実方向)でなければ無意味であるはずで。

そしてそれは方法論を持たずの、丸腰小手先の願望では実現しないのだと思います。
(それに昼休み以外の場で逆構築と独立した、さらに文明構築とは
異系の人倫的基礎を固めた逆構築者が居うるのかどうか)

>戦争も言葉ではないし、多くの不幸な事件も言葉ではありません。
>言葉で捉えらえられたものだから言葉に過ぎないというのは暴論でしょう。
言葉ですね、「それ」は。
言葉で捉えたなら、それは言葉になっているはずです。
まあ本質的には互いに、同じことをいっているのでしょうが。

とくに「戦争」ほど言葉の悪しき面の突出した用語も無いかもしれないぐらい、
その概念そのもので莫大な悲劇件数を生み出す凝縮的元凶ではないでしょうか。

人間は(企まれた、悪しき)言葉の奴隷下僕で、経済よりも観念(広義としては経済観念)で動くとすれば、
「戦争」は物量身体的事態ではなく、そこに導いているのは、
「国家大義」「個人大義」の世俗論理構成そのものなのだと思いますね。

本当は「戦争」という言葉を即刻やめて欲しいほど、魔力的影響力に
富んだまさに言霊中の言霊(呪物神)ではないかと思っています。

「戦争」という言葉を使わざるをえないような「強靭なパラダイム社会」の恐怖の程度も
さることながら、ともかくも便宜的な「戦争」という言葉の(便宜以上の)
使い方ひとつで、その人のレベルが決まるほどの、それ自体が非情な試金石でもあるのかもしれません。
(といいつつ、残念ながら「戦争」については、ここでの説明を
敬遠するつもりです。阿修ウィキでやりたいですね)

>私は未だ言語化されていないものを言語化したいと思います。
「未言語の言語化」には同意したいので、同じスタートラインに立てたかもしれません。

>それは言葉が捉え切れていない現実があると思うからです。
ですから・・・相手が先回りして、それに都合のいい規格(表現)をつけるのであれば、
その前に言葉の実効支配に対抗すべきはずで・・・いまや領土争いは、
脳内の大航海時代、脳内の覇権、植民地化、新皮質上の南北問題となっているのですね。

>「世界は言葉で成り立っている。」というのは明らかに間違いです。
>というかそれが間違いであるという主観の中で私は生きております。
>逆に貴方は全てが言葉であると証明できますか?
>貴方の文章ではそれは未だ証明されておりません。
>って言うか証明不可能でしょう。
>世界は言葉で成り立っているのではないからです。
>デマが言葉によって流布されているでしょう。
第一に、「そういった、テキストに教わった世界観」が、すなわち世界であるはずです。
しかもご丁寧にというのか、おまけに、世界を知っているかどうかのテストを言葉で
行い、その結果を半ばででも漠然とでも、追認しているわけでしょう。
第二に、世界というのは言葉ですね。最も単純な(前提からの)証明になりますか。
第三に、世界という概念(所記)が、この場合には規格だと思います。そもそも世界などというものがあるのか、
前にも引用されていたと思いますが・・・(「世界」は無いでしょう。 )。
http://asyura2.com/0510/lunchbreak6/msg/330.html
http://asyura2.com/0510/lunchbreak6/msg/329.html
http://asyura2.com/0510/lunchbreak6/msg/328.html

>しかし、デマを信じる事だけで生きている人間なんていないでしょう。
>シオニストもホロコーストの事だけを考えて生きているワケではないのです。
まあ宣伝担当の専門職は始終かんがえているのでしょうし。
また教義自体が「デマ」なら、宗教生活や修行は、デマの中での生活や人生でしょう、
奴隷しかり貧民しかりといった形での。そして現代人も、国家・民主、教育自体・教育内容といった、
情報(デマ)の界面に接触している境遇や職種の人が大勢いる、というふうに思いますが、
それに比して対物の生活体験、もっといえば知覚そのものは、ずっと深く広いでしょうね、
まして(恐らく)表象全体を含めたりしたら、どういうのか、もう。

なので・・・ケムトレイルとして観測される筋雲こそが、生活動線上で(とりたてて、適正な分析手法などを
用いず、その瞬間には、没個性の一般市民として原始的に)体験された事実なのであろうし、
対して他の情報については、圧倒的多数の「社会構造」
情報が、可能性に過ぎないテキスト(または添付画像)なのかもしれません。(措定可能性・否定可能性)

全ての政治というものは、「委ねて観る側」からすると
主として「テキスト」と「映像」とで頁(伝達内容)が組まれているはずで、
肌身肉眼で、権勢威力が生まれ出る泉を見られる幸運など、なかなか
無いものでしょう(し、CIAの野外工作員のリーダーでも「末端」ですよ)ね。

>全ての人間に真実の情報は常に断片であれもたらされているでしょう。
>言葉によってだけではなく、例えばいつまでも寒いというような状況によって。
ですが、環境変化の理由は、未だ因果関係が定かではないはずです。

異常気象や複雑系のゆらぎ・乱れは、「自然」でも起こりうると思います。
むしろ、異常があるのが「自然」(自然)でしょう。

異常気象の誘導体? それはフォトンベルト(火山・隕石・大周期?)の所為なのか、
寒気団(古代気象の極低温低気圧の再現物)の襲来か、
サンダーストームなのか、それこそ何とでもいえるでしょう(科学は「定説」でも、仮説らしいですよ)。

科学にとっても(ないしは「米国外部の科学」にとって)物質世界(地球)環境は、
複雑で・・・「見切り発車で、環境為害性を懸念、斟酌することなく、
各種プロジェクトをスタートさせたのではないか」と
思えるのと、また学界への「あからさまな圧力で、業界内部に、例によって」
「宣伝機関」が巣食っているとか(アメリカのように)・・・? 一部に秘密主義の蔓延り、
というのもあるのでしょうね、商業科学としても(軍事科学としても)。





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