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2)
だから、世界などというものは無いかもしれない。
われわれは、それぞれに、それぞれの場をつくり、
それぞれの場で生きているはずです。
統一されていない、全体としてこそ共通項を少なく捉えざるをえない世界が、ひろがっているだけであるはずなのに。
それらは物理的には緊密であって、有機的には緩やかであるかもしれず、
何重もの法則に支配されていないかもしれないのです。そもそも世界の法則は何重が許されているのでしょうか。
ただ人間であるというだけで、個性の異同を剥ぎ取り、それぞれの人間の場、世界と世界を連結させようとしますね。
絡み合っていても、関係が薄いものまで無理につなごうとしているかのようです。
そして、その関係を強化しようとしているようなのです、
人の場の関係まで、人の関係まで、人のことまで。
そして、本当に統一しようとしてきますね。
形だけでも。
形から入り、濃い実体へと、おそらくは。
世界というひとくくりが強調されるとすれば、
それが統一された世界への青写真であり、
統一された世界への第一歩であるから、ということなのでしょう。
統一すれば、いろいろと面白いかもしれない、
そうやって面白くない人まで巻き込むのですね、
最後の一人まで。
そうしないと統一できないでしょうから。