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02/01 16:18 ネパール国王が暫定統治 内閣解任し、非常事態宣言
【ニューデリー1日共同】ネパールのギャネンドラ国王は一日、
デウバ首相の内閣を解任し、暫定的に自ら直接統治すると宣言した
。国営テレビなどを通じて国民に伝えられた。非常事態も宣言され
、首都カトマンズでは電話回線が遮断されているという。
政党勢力からの反発は必至。ネパール共産党毛沢東主義派による
反政府武装闘争が続く同国が、さらに混乱する可能性がある。
ギャネンドラ国王は「内閣が総選挙実施に失敗し和平も達成でき
なかった」と批判。国王主導で新内閣を発足させ「三年以内に平和
と民主主義を回復する」と強調した。
デウバ首相は毛派に対し和平交渉再開を呼び掛けたが毛派は拒否
。首相は総選挙を強行する姿勢を示していたが、地方を中心に国土
の三分の一以上を毛派が実質支配する状況で、選挙の実施が疑問視
されていた。
同国王は二〇〇二年十月にも当時のデウバ首相を解任、親国王派
の首相を任命し自ら実権を握った。しかし政党勢力が民主化を求め
て抗議を続けたことなどから昨年、デウバ氏を首相に再任した。
毛派は王制打倒などを求め一九九六年から武装闘争を続け、これ
までに政府軍兵士や警官、毛派メンバー、一般市民ら約一万人の死
者が出ている。
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[2005-02-01-16:18]
02/01 17:00 ネパール王室
ネパール王室 1769年、シャー(グルカ)王朝が国を統一。
英国との戦争後のラナ家一族による統治を経て1951年、王政に
復古した。60年、マヘンドラ国王は憲法を停止し、専制政治を敷
いた。72年に即位したビレンドラ国王は、大規模デモなど民主化
運動の高まった90年11月、主権在民や複数政党制を定めた新憲
法を公布。国王は象徴的な存在となった。2001年6月、ビレン
ドラ国王が妻や王族らとともに息子の皇太子によって殺害されたた
め、同国王の弟のギャネンドラ王子が国王に即位。民主化に反対だ
ったとされるギャネンドラ国王には、殺害事件の「陰の首謀者」と
の疑惑も出ている。(共同)
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[2005-02-01-17:00]