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もし第2次大戦直後にインターネットがあったらホロコーストのプロパガンダはどうなっていただろうか
「ホロコーストの嘘」については何しろ60年以上も前の話で、物的証拠を「これだ」と目の前に指し示すことができない関係で、どうしても状況証拠の論議になる。とはいえ逆説的な言い方になるが911の「どえらい嘘」が、少なくとも大手メディアとその消費者の間では、(内心疑わしいと思っている人は、昨年のゾグビーの世論調査でニューヨーク市民の半数が「政府が怪しい」と考えていることが暴露されたように、アメリカでさえ相当数いるようであるが。)相変わらず堂々と通用している現実を見れば、「ホロコーストの嘘」が同じようにダビデの星系列メディアの半ば独占的な流通経路で世界中の人々にごり押しされた蓋然性は非常に高いように思う。きっと60年前も911の時と同じようにメディアが嘘半分の情報を垂れ流したのであろうことは想像に難くない。ただ今日ではインターネットが普及しているおかげで、911については真実を追求したいという意欲さえあれば、誰でも情報は入手できるが60年前にはこれは不可能であった。だから何十億という人間が600万人大虐殺の話を信じ込まされたのも無理はなかったのである。
いつのまにか600万よりは150万人の方が真相に近い、というのが欧州でも実は定説になりつつあるわけだが、この杜撰さはいったい何だろう。当時どの程度の事実に基づいた報道(というよりプロパガンダ)がなされたかが彷彿されるというものだ。150万であればポーランド人やロシア人、いやドイツの非戦闘員の犠牲者数の方がはるかに多かったことになる。無論だからといって150万の虐殺が正当化されるはずもない。ガス室の話は極端な誇張(おそらく大規模な人体実験があってそれが「組織的な人口処理」として神話化したのではないかと推察される)があったと思われるにせよ、チフスの蔓延を意図的に放置した虐殺であったこと、特に戦争末期には「最終的解決」のコンセプトの下でそれが遂行されたことも間違いないと思われる。実行したナチス関係者の責任が厳しく追求されたことも当然であろう。
それでもそういう経緯があるからといって、やはりユダヤ人だけに「特別な犠牲者」としての地位を献上するわけにはいかない。アルゼンチンの主権を無視してアイヒマンを誘拐・拉致したこともやはり、大虐殺があったから正当化されるという論理、「本当に頭に来るような非道いことをされたら、何をやってもいいんだ」の論理は、「チェチェン人はロシアに酷い目に遭わされたのだから、ベスランで小学生の300人や400人虐殺したって許される」というのと同じくらい歪んだ論理である。アイヒマンの件で特に「もの字」関係者ははずみがついて、他国での主権侵害が習いになってしまっているようなきらいもある。全く困ったもんである。
でもこの論理やっぱり「WTCで3000人も殺られたアメリカが頭に来るのも無理はない。これは超非常事態なので、グアンタナモでの超法規的人権侵害は言うに及ばず、イラク侵略も(イラン侵略も!)も仕方がない」の論理と全くそっくりだ。やっぱり仕掛け人がおんなじような発想の人だったのじゃないか、といったら勘ぐり過ぎか。