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「サンデー毎日」2004.09.19号
義務教育崩壊へのカウントダウン
「地方で生まれるとバカになる」
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誰も言わないので、あえて言おう。知事さんたちよ、「地方分権」を錦の御旗に坂本竜馬にでもなったおつもりか。改革の志士気取りもいい加減にしてもらいたい。そのために、日本の教育が崩壊するカウントダウンが始まったのである。
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義務教育の責任を国が放棄する、という政策が着々と進んでいる。経済アナリストの森永卓郎氏はこの動きを、
「地方に生まれた子供たちをどんどんバカにしていこうとしている。そうやってバカにして格差をどんどん広げていく。所得格差を拡大させるような政策を進めていって、お金持ちがロクな教育を受けなかった子供たちを召使に使うというような、ひどい世の中に変えていくのが本当の目的ではないかと疑ってしまいます」
とまで言う。
深刻な事態なのだ。
この政策を後押しするのがわが知事さんたち。8月18日、19日に新潟市で開かれた全国知事会議で日本の義務教育をガタガタにする意思決定をしたのである。
無論、好んで義務教育を崩壊させようとは思っていないに違いない。しかし、この会議は結果的に日本の教育が崩壊に向かう転機として、後世に名を残すかもしれないと思うのだ。
高知の橋本大二郎、宮城の浅野史郎両氏ら従来型ではない個性派知事でさえ、この意思決定に賛成した。警察の情報公開に取り組み市民の意を酌むことで知られる浅野知事などはむしろ会議の推進役を務めた。
では、一見「革新的」な政策の何が危ういのか。
話を進める前にまず、「わが知事」の考えはどんなものか、図1でチェックしていただきたい。知事さんの決定はすなわち民意であると、そんな理屈にもなりかねない。いったん決まってから、
「こんな民意に与した覚えはない」
と言っても後の祭り。どの知事がどんな発言をしたのか、しっかり覚えておいたほうがいい。
全国知事会議から、知事の発言を記録しておく。
例えば、神奈川県の松沢成文知事は言う。
「国がお金を握っているから義務教育が守られてきたわけではない」
そして、政府に提出する国庫補助・負担金削減リストに義務教育を入れることには反対する少数意見を付記することに対して、
「国と戦いをやっている。その軍議という認識が必要だ。戦いのツールのリストに、こちらがバラバラなことを示す文書を付けてはならない」
と臨戦状態である。
穏当なものとしては熊本県の潮谷義子知事が、
「一般財源化することで、むしろ地方の特色が生まれてくる」
といった具合。浅野知事などは旗振りに力が入り、
「こんなこと今までの知事会にはなかった。千載一遇のボールが来ている。打たないわけにはいかない」
つまり、義務教育費は負担金の廃止リストに入れる重要度は高くないが、国庫負担である必要はないということだ。
錦の御旗は「地方分権」である。
全国知事会長、梶原拓・岐阜県知事は会議終了後にマスコミに向けて、
「歴史的な節目。明治維新ならぬ、平成維新である。地方分権革命だ」
と高らかに謳い上げた。
今、流行の新選組・近藤勇どころではない、気分はもう、薩長同盟をまとめた、坂本竜馬なのである。
もちろん地方分権は結構なことだ。霞が関・中央集権体制の崩壊には賛成である。地方分権推進に反対するのは、省益に汲々とする官僚ばかりだろう。
だが、地方分権推進のためとはいえ義務教育に手をつけることは、
「やっちゃあいけないこと」(前出・森永氏)なのである。
なぜか。
「義務教育は憲法に定められた国民の権利であって、義務でもある。たまたま、財基盤の弱い県に生まれたからといって、質の低い義務教育しか受けられないというのは憲法違反ですよ」
森永氏はさらに続けて、
「義務教育にかかる人件費は必ず出て行く経費。だから補助金をカットすれば、国は同額の税源譲与をせざるを得ない。これで霞が関の中央集権に風穴を開けられると考えたのでしょうが、危険すぎる賭けです」
官僚がまず削るのは”教育費”
義務教育費を国が負担する制度を廃止すればどうなるか。
地方に税源移譲されて、一般財源化される。ゆとり教育を進め学力低下を引き起こした文科省より、改革派知事に教育を委ねるほうがいいように見える。
が、そうとばかりは言えないのである。
まず、自由に使える一般財源化の危うさだ。それを示す一例が、学校図書館の図書整備費である。
文字どおり学校図書館の本を買うための予算なのだが、これが本の購入に使われていない。地方交付税として一般財源化されたために道路になったか借金返済に回されたか、分からないのである。
童話作家の肥田美代子衆院議員(民主)が言う。
「子供のお金をかすめ取っているようなものです。子供は文句を言えないから構わないと思っているとか思えません」
実際、都道府県によって本を買う予算のばらつきが激しい(グラフ1)。
政策を分かりにくくするためなのだろう。官僚が意図的にわざとそうしたに違いないが、実に複雑な仕掛けなので、詳しくは163ページの別稿にまとめた。要するに、学校図書館の蔵書は、住む地域によって差ができる。ひどい場合その違いは、図2のようになるのである。使途制限のない一般財源だから、図書に使うはずのカネがほかの用途に化けている、ということである。
京都大学経済研究所の佐和隆光所長は義務教育国庫負担を廃止したら、同じことが起こると懸念する。その結果、
「義務教育に地域格差ができる」
と警告するのだ。
地方自治のカラクリを知る若手キャリア官僚は、
「予算を減らす減らさないは知事さん次第。制度として減らせるようになったら……。最初は削らないかもしれない。ただ、財源不足が進めばどうするか。背に腹は代えられない。そもそも、義務教育にいくら払っているかなんて知事さんは知らない。感覚論で自分だったら減らさないと言う。けれども、財政を担当する役人は少しでも削りたいと思う。そういう時には、かんなで削るように薄く薄く削っていくんです。教育費は削りやすい。なぜなら大きい塊だから。分からないように少し削るだけで、大きな額になる。財政をやる人間は必ず手を出す」
その結果、教師の人数が減るか給与が減るかしかない。いずれにしても、教育の質は低下する。
教員の給与は現在、行政公務員よりやや高めに設定されている。そうまでしているのに、集まっている先生の質はご存じの通りだ。これ以上給料を下げたら、学校は先生になりたいだけの、子供オタクな人ばかりになってしまう。
この官僚は正直に、
「そうなったら子供を私立に入れようと思ってますけどね」とおっしゃるのだ。
官僚であるお前がそれを言うなという気もするが、これが彼の、父親に戻った時の本音なのだ。
そもそも、経済財政諮問会議の動向を見ていると、教育を現状維持するための地方交付税が確保できるのかさえ心配になってくる。財務省は教育費を削ろうとしている。カネの保障があやふやなのである。
2・5兆円削られ文科省予算は半減
何だか文科省の肩を持っているような雰囲気になってきた。それも嫌なので、ハッキリさせておく。文科省の本音もやはり省益だ、と私は思っている。
『近代日本教育費政策史』(勁草書房)の著者、奈良教育大の井深雄二教授(教育行財政)に援軍を頼もう。
「各省庁からすれば自分のところで確保している予算が仕事の基です。一般財源化すれば、今まで文科省が所管していたものが総務省に移る。2・5兆円が削られれば、文科省の予算が半減することになる。文科省にとっては省益がなくなる大問題ですよ」
この問題について、文部大臣経験者でもある森喜朗前首相がまっとうなことを言っている。毛嫌いしてはいけない。さまざまな問題発言など、ちょっとずれているところもある。が、会ってみると愛すべき、子供好きのおじいさんだ。作家の池波正太郎氏日く、
「ひとは悪いことをしたからといって、いいことをしないわけではない」
森前首相が熱っぽく語る”正諭”
つまり、森前首相は、
「知事会の結論は、教育哲学をぶつけ合って決めたことなのか。河村(文科相)にも言っている。いっぺん、公の場で(小泉)総理とやり合え。ほかの大臣が口を挟んだら『君たちは黙っててくれ』と言え。河村の哲学をぶつけて、総理の哲学を聞け。総理が聞いてくれなかったら辞表をたたきつけるくらいしろってね。単に財政うんぬんではなく、国の行く末を左右する、教育の根幹に触れる議論なんですよ」
熱っぽく語るのだ。さらに、続けて、
「総務省は自分たちで決められないものだから知事会や市町村会に決めさせた。これはずるいやり方です。知事会と言うけど三十数人が総務省の役人出身者です。副知事から総務部長、財政課長みんなそうです」
さすが前首相。はっきり言っちゃうのだ。163ページの地図(図3)をご覧いただけば一目瞭然。森前首相の言葉通り、ほとんどの自治体で総務省出身者が要職を占めているのである。
まだある。地方6団体を実質取り仕切る「事務総長」の出自はどこか。6人がすべて、これまた総務省出身なのである。
これでは、
「知事会議が白熱した、といいますが、みんな総務省がシナリオを書いて、ガス抜きしただけなのです」
森前首相が真っ赤になって怒るのも無理はない。
どうも最近、発言の内容ではなく、誰が話したかで判断するきらいがある。森前首相、石原慎太郎都知事、自民党族議員に文科省──。
一方、この面々に対するは改革派知事連合だ。どう見ても、文科省側が「悪もの」の構図である。
だが冷静に考えてもらいたい。池波先生の言葉を思い出してもらいたい。
人は悪いことをするが、いいことも、まあ時にはではあるが、いいこともするのである。
本誌・若狭毅