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(回答先: 朝鮮人差別を粉砕しましょう! 投稿者 ワヤクチャ 日時 2005 年 2 月 05 日 19:42:13)
ワヤクチャさん。こんばんわ。
「粉砕」とか「打倒」という、70年代から80年代におけます
用語なのですが・・・
言葉というのは、自分にも帰ってくるわけです。
手元から飛ばし、また手元に帰ってくるブーメランといいますか。
「粉砕」と使いますと、おのれが「粉砕」されてしまう、ことがあるわけです。
「打倒」と使いますと、おのれが「打倒」されてしまいうといいますか。
例えば市長選挙などで、最終日に
共産党候補が、前市長候補を倒す宣伝戦術として
「自民党○○市政よ、さようなら」なんて大量ビラを全戸配布したとします。
そうすると、住民から自分たち陣営が「さようなら」されてしまうわけです。
「それから、さようならという宣伝文句は最終日につかわないことにしたよ」
と近所の共産党の旦那さんから聞いたことがあります。
「さようなら」ではなく、なにか生まれ変わるかもしれない期待感とわくわく感、
躍動感がある「新しい市政よ、こんにちわ」が最終日の宣伝文句らしいです。
日本語とは言霊といますか
他者(対象)、自己、それを読む住民(読者)といますか
3者構造に存立していると思っております。
綱渡りの微妙なバランス感覚があり、なおかつ読者を求心するといいますか
件名としての題名は、なかなか、住民の心との接続です。
多様な思い、多様な思想、多様な言及のバランスによって成立しているのが
阿修羅であり、そこがおもしろいと思っております。
寺山修司は
「演劇は観客によって成立している」と断言しております。
彼にとって観客の存在は永遠の謎であり探求課題でありました。
寺山修司は短歌から出発しておりますから、言葉のひだの感覚がすごかったといいますか・・・
寺山修司の弟子の作家から聞いた話ですが
「読者が次のページをめくるのは何故か、おれは徹底して考えたよ」と
聞いたことがあります。
阿修羅でいえば
「読者が題名をみて、クッリクするのは何故か」であると思います。
多様な思い、多様な思想、多様な実存、多様な言及。
そしてそれぞれの生活。個人史。感情。感覚。
モニターに表示される言葉は、単独で読みますので、けっこう内面に入るといいますか
自己対話に限りなく近いです。
「粉砕」という言葉は、すこし強烈といいますか、違和感がありました。
「粉砕」という言葉で、応答と対話がスットプしてしまうという感じがいたしました。
感じたことを書いてみました。
ワヤクチャさん。ありがとうございました。
粉砕され打倒されたおらの敗北人生もこれからであります。
やっぱ、日本国民党は庶民の希望です。