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(回答先: Re: 「粉砕」という言葉について 投稿者 如往 日時 2005 年 2 月 07 日 22:32:55)
如往さん、こんばんわ。コメントありがとうございました。
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Re:日本国民概念序説
http://www.asyura2.com/0502/senkyo8/msg/432.html
投稿者 如往 日時 2005 年 2 月 04 日
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さきほど返信をRE:として投稿させていただきました。
掲示板を下降し、また上昇し、返信を書いております。
ここ政治・選挙版もかなり重層的なテキスト展開になってきたな、そう思いました。
これが庶民によるパブッリク・ジャーナリズムの展開なのかな、そうも思いました。
6日、兄貴と兄嫁が建ててくれた親父の墓参りに行ってきました。
自転車で30分、そして坂道を歩いて登り、お寺があります。
帰り、久しぶりによく自分が公演チラシを配布していた駅の広場に行きました。
地上に形成された駅前広場です。
そこで「まちかどコンサート」をやっておりました。
おらは椅子に座り、若きミュージュシャンの歌を聴きました。
シンガーソングライターです。ストリート・ミュージュシャン出身です。
「あの熱き時代〜」と歌っていました。
彼の学生時代とその仲間への思いを時代として歌っているのです。
おらは70年代をふと思い出しました。
故郷でペンキ職人見習であった頃、親方から教えてもらったことがあります。
「どんな世代でも誠実な人間はいる」
その言葉から「どんな世代でも自分たちの世代を思う人間はいる」そのようになります。
時代とは世代であり青春でもあります。
ギターを鳴らしながら歌う、若き歌い手の表情と身体を見ながら、再度、親方の
言葉を確信しました。
これは京大西部講堂での年越しイベントでも
若き歌い手に発見しました。世代と個人、70年代は継承されているのだと思いました。
やはり若き歌い手は詩人なのでしょうか。青春の語り部たち。
如往さんのコメントを読みながら
やはり気概であると思いました。
いまだ気概は粉砕も打倒もされていないわけです。
1989年以降、思想は「揺らぎ」のなかで、個人によって深化するしかない場所へと
転換いたしました。
単独かもしれませんが、阿修羅は単独による集合的応答に
日々、庶民によるパブッリク・ジャーナリズムの可能性を提示しているのかも
そのように思います。
ありがとうございました。