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(回答先: 【視点】桶川ストーカー殺人国賠訴訟 市民感覚とズレ (産経新聞) 投稿者 愚民党 日時 2005 年 1 月 27 日 09:42:43)
最高裁でこんな判決が出るのはおかしいし、裁判長が主文を読み上げてからほんの1分程度で部屋を出たのも変な感じだ。
「おかしい」と言いましたのは、「判断がおかしい」と言いました。何故なら、「警察は最悪の場合を人よりも先回りして推定・想定して行くべき」だからです。
確かに、そのストーカーの異常行動が直ちに殺人に結びつくと考える事は断定が難しいかも知れないが、「最悪の場合を常に想定する」のが警察というものだ。アメリカだってどこだって、そうであろう。FBIにも異常犯罪者の心理分析をする機関がある。(http://oriharu.net/jvideo.htm#Nagasaki_Jiken)つまり、警察のお手本である。その態度は「ネガティブを避けず・嫌わずにどんどん・とことん追求する」という態度が必要である。
では、なぜ日本では当たり前の事が「警察でさえ避ける」のだろうか? それは、日本というのは「仲良し教」が行き過ぎている状況だからだと思う。「仲良し教」では次のような不文律・傾向が発生する。
1.悪を叩こうとしない為に、悪が放置される社会傾向
2.自分の身近であるというだけで「仲良く」してしまい、疑うことを忘れる無警戒の社会傾向
(勧:あれ?あの人、こんな時間に帰宅して、どうしたんだろうか?と思い、追求する精神が必要)
3.「仲良し教」にやられてしまっているので、自分だけは社会から「恩恵だけを受け取る立場を維持したい」と考える。自ら率先して社会の不安要素(悪)に関わり、解決しようと努力を続けようとはしない非人、すなわち「ただ単に利益を待ち構えている」ような、「おんぶにだっこ人間」が増えていると思う。責任を避け、利益に流れがちなのは当然ではあるが、その傾向を助長している理由としては、社長とか部長とかの管理職が「余計な事を考えるな。君は責任を取らなくていいんだからいいよね」と言われて来た事があると思われます。そのように言われ続けて社員は「責任を取ることを怖れる」ようになるがためであろうと思う。社員とは、人数にして最多勢力の一つだと思います。
だからといって、警察組織が「悪を放置」したり「悪い事は思いたくない」と言ってたり、「自分は利益だけを受け取っていればいい」と考えたりするのは異常である。
この場合は、最高裁の裁判長が1.はなんとかこなしているが、2.と3.に該当してしまっている性格傾向ではないのか? だから「警察が、そのストーカーが殺人まで犯す場合を想定できなかった」などという結論を導くことに当然性を感じてしまったのが判決の根拠ではないのか? 他所からの圧力がなければ。