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(回答先: 警察は、論理的に起こり得る「あらゆる最悪の場合」を追及せよ 投稿者 オリハル 日時 2005 年 1 月 27 日 21:14:06)
当コメント元発言で「非人」という部落差別用語を使った事が私の問題になっている様子である事に2005.01.30(日)の「サンデー・プロジェクト」で気づきました。気づくことが出来たのは、今日になったばかりの00:00を過ぎてから私はコンビニで「実話ナックルズ」2005年03月号を買って読んでいたからです。具体的に言いますと、そのP35を読んでいた時に「非人」という言葉を目にした時、「あれ?この言葉は先日、阿修羅発言で自分が使った言葉だったけど、“特定の意味合い”があるのね」と認識したからです。私は部落差別問題というのは他の阿修羅発言で読んで、かつてそういう差別問題があったことを知ってはおりましたが、個々の具体的な話は再度読み直すか何かしなければ具体的に思い出せません。既に現代では消滅した問題だと思っているし、そういう意識もないからです。また、問題が残っていたなら、確実に被害者の側に立つ人間です。そういう私を、なぜ加害者であると断定したのか大いに疑問があります。多分、私の他の発言を読まずに根拠無しに加害者だと断定して考えた人間が主導したのでしょう。そして、それに同調し、乗った人間達も沢山いる様子です。人というのは、かくも「根拠無しの断定屋」なのだなぁと思いを新たにしました(^^;。
「非人」という言葉は自分の「造語」だった訳ですが、それが「歴史的に特定の意味を持っていた」事を認識していませんでした。それに、私という人間は科学的な基礎はあっても、歴史的な基礎はなく、それで興味があるから勉強している訳です。勉強の途中で発言するわけです。歴史を知らない人間です。つまり、歴史的な積み重ねの上で発言しているのではない人間です。その言葉に込めた意味は「被害者を意図的に見捨てながら生きるのは人間に非ず」という意味でした。まあ、人の為になることを何一つしたことがない人というのも珍しいかも知れませんが。でも、一つ二つやっただけではなく、常にそうし続けようと、少なくとも意図する事は人として求められる態度だと思います。そういう社会的同意をよそに、「人を貶めてでも利益だけ得ていればいいや」としている人を金銭病にかかった「人に非ず」という造語で述べた訳です。
で、問題を元に戻せば、裁判所の警察寄りの判決態度です。(200501302339)
http://oriharu.net/jkei.htm#JN200503
(こちらには、そのP35などの画像等もありますので)