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(回答先: 雨ふる冬に。ほぅぅ。 投稿者 べらぼうめえ 日時 2005 年 11 月 03 日 14:52:45)
と言う事の危険性を言っているのです。
個々人はそれぞれ真理を追求するでしょう。
人々が競い合うのは
「誰が言っている事が一番真理らしいか?」
って事だ。
「オレ様こそが唯一真理を掴んだ。」
などとのたまうヤツはその「真理」によって支配をしようとしているのだ。
「真理」に「客観的」などという形容詞を付けるのは概念のデッチ上げである。
誰の主観が最もリアルか?
しか無い。
最もリアルな主観に従って行動し、不具合が生じたら修正するという無限の営みしかない。
客観的に存在すると考えられるものを多く集めるだけではリアルにはならない。
世界の構造を直感によってうまく表現できなければならない。
この直感は主観に過ぎないが、多くの直感が語られた文章でなければ
世界の本質をリアルに表現する事はできない。
客観的真理を掴んだと称する者が複数生まれてきたら?
殺し合いが始まるだろう。
宗教間の殺し合いや党派の殺し合いがそうだ。
あくまで主観の範囲内だと自覚する人は意見が異なる人を殺したりはしないだろう。
言葉によって人を殺すなという事だ。