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昨日第3次小泉内閣が発表された。あたらしく創設されたポストに少子化・男女共同参画相として猪口議員が担当することになった。大臣の仕事像はこれから先だが、ここ数年来の世相を追っていくと、女性の生き方は、またもや、国家によって大きく変えられそうな気がする。
まず、ごく少数の富裕層と大多数の貧困層とに近未来の日本社会が二分されることは、おおかたの思うところである。わたしもそれに同意見だ。女性については高度経済成長時代にさかんに言われていたのは、ほどほどの最終学歴→腰掛けで就職→結婚→出産で家庭にはいることであった。主に男性が社会の労役を担う代わりに家庭内では家事労働は免除してもらい、女性が主に担うように誘導された。そのコースからはずれて生きようとする女性は陰に陽に叩かれもした。
一部の女性は女性解放運動を実施し、除々に結実していったが、国策と言っても過言ではなかった既婚女性を専業主婦にさせる政策が、国の経済状況の悪化によって、ここにきて強引にまた変更させられようとしているようだ。これを表層化させた事例が、今回の猪口大臣起用なのではないかと思っている。
専業主婦から働く主婦へ――かつての敵が今度は背中を後押しする。男女平等はたしかにかつての女性運動家が思い描いた像かもしれないが、その像はこれから政府が後押ししたい像とはたして合致しているのであろうか。自分は逆に暗澹たる気分になってくる。
各省庁が省益のみで主張するのを大雑把に集めると、まず、青少年期の入口(13歳ころ)までに自分の将来像を決めなさいと言ってくる。自分の潜在能力はどの分野か?後天的に教育によって獲得したい技能は何なのか?そして学業を終えたらすみやかに働きなさいと。正規社員にこだわらず、とにもかくにも働けと。働かずにニートをしていると、今後は陰に陽に陰口を言われるようになるかもしれない。結婚はぜひしてくれと。そして結婚しても働きつづけるようにと。否、これからはミドルクラスの消滅により、大卒以上のホワイトカラー層もごく少数の成功者とそれ以外とに二分され不幸にも少数の成功者にはいりそこねたら、『食うために』働きつづけなくてはいけなくなることだろう。マシーンのように壊れるまで働かされるのだ。男も女も。わが子が病気でも、病児向けの保育施設にいれて、働きつづける。健康保険の自己負担のパーセンテージ次第では、自分が病気になっても病欠できずに働くことになるかもしれない。さらに、制度的に労働時間が守られたにせよ、今でも砂上の楼閣のようなものだから、さらに、守られなくなる恐れもある。途中で疲れてペースを落とした勤労形態を望んでも、給料が減額されても『食うに困らない』ならばいいが、そうでなければペースダウンもできなくなる。また、老いた親はなるたけ家庭で診るとなれば、就労して疲れて家路についても、小さな子や介護があれば、家事労働に加えてそのエネルギーも蓄えておかなくては
いけない。
このように家の外でも内でも、さらには地域住民同士のつながりをつくるという美名の下に、ボランティア的地域活動が増やされることもおおいにありえる。となると、命の洗濯といおうか、自分のための時間、自分のための勉強は、まず脇にやられそうだ。
このように「アメリカの今」の社会に日本は今後なろうとしている。だんだん加速がついてきて、悲しいけれども、もうブレーキは利かないように感じられる。国策によって、あるときは女性は専業主婦を推奨され、これがうまく稼動しないとわかれば、ダブルインカムという美名で外でも働き、内でも働くよう操作される。
世相に無関係に自分の考えに立脚して人生設計を組み立てられる女性(ひと)もいるだろうが全員がそれには該当しまい。むしろ例外的存在だろう。80年代以降バブルがはじけるまで一見女性たちも自分で人生設計を組み立てられる社会が到来したかのように感じられたがあれは今となってはつかのまの白日夢だったのかもしれない。