現在地 HOME > 管理運営8 > 121.html ★阿修羅♪ |
|
(回答先: Re: 真実を見分ける判断材料をお間違えのないよう 投稿者 はまち 日時 2005 年 2 月 22 日 19:29:07)
今回のことで外野さんが沈んでおられるなら、元気付けたい、傷を浅くしたいと願い、投稿しました。
ですから結果的に更に迷惑をおかけすることは、絶対避けたい。
ここに私の書いた文章から、このような表題が生まれるなら、それは、読んだ方が、このような感想を私の意図に反して抱く可能性があることを、投稿前の私には想像する、余裕の無いことが文章にあらわれているからでしょう。
おっしゃることは、私が、「尊い精神に触れられる文章」と書いたことから派生するのでしょうが、あなたがお取りになったような、表現上の美醜は、内容の真偽の基準に置き換える得るとは、言っていません。主に、評論や資料に対する感想であって、文学表現のことを必ずしも指しません。
その上、はまちさんの話の運び方では、(今は、ウソがあるのかないのかが明らかにはなっていない段階の筈ですのに)『すべてが、シオニズムに発端していることが、感じられ』ない人の発言は、いくら優れていても、ウソを擁護したことになり、その美しさは意図的に『外をとりつくろった』ものと、強引に帰されてしまいます。この話を保証するのは、『ウソ』があるという仮定ですが、ここであなたの仰る『ウソ』とは具体的には?『ウソを真実っぽく語』った話とは、具体的に何を指すのですか。あなたがウソだと考えておられることを教えていただけたら幸いです。それとも、ヨーロッパに広く「何かを隠蔽しようと言う澱み」を感じたと?感覚を得るにも、情報はあったはずですから、あれば、教えてください。いつもの、靴の上から掻くようなもどかしさです。また、ここで、シオニズムがいきなり出てきます。シオニズムが法律を作らせたと言う文脈ですが、そうであるかどうか、私には判断材料がありません。
今、私はk氏を信用しません。それは、自分に文責のある論に疑問が提出されたら、答えられる範囲答えるという、言論人に当然要求される責任ある態度を取らなかったからです。罵倒がその主な理由ではありません。ただし、ホロコーストに、具体的にこういうウソがあると、他の方が正確な表現と誠実な手法で明かされたなら、傾聴します。
エリ・ヴィゼル、はまちさんに言われてアマゾン検索しましたが、見つからず購入出来ずにいます。内容には、触れられないのです、ごめんなさい。ホロコーストを扱った文学で私が読んでいるのは、「夜と霧」(但し途中まで!)ぐらい。
私の知っている方では、、サイードは薄っぺらかったでしょうか?
『すべてが、シオニズムに発端していることが、感じられ』たら、薄っぺらくなくなるのですか?木村さんの例は、むしろ薄っぺらく成ってしまいました。他に、信用するに足る論者が居られれば、お教えください。
美しいと感じる投稿例として、http://www.asyura2.com/0502/war67/msg/474.htmlジェノサイド研究の展開「ナチ・ジェノサイド研究の最前線」を挙げます。『ポーランドを手始めとした東欧全域に新しい経済的社会的秩序を押しつけることが計画されていた。それは「遅れた」農業国と考えられていたこの地域を「大ヨーロッパ」、つまりドイツ人の「生存圏」の生産的一部へと変えるためであった。・・加害者の追求する長期目標および彼らの描く社会変革構想という点からみても近代的「犯罪」であったという考察である。・・ドイツ人に対して特価で提供されたユダヤ人財産は、占領地域からの略奪品と同様、ドイツ社会においてナチ体制への同意を促進する効果をもった。科学エリートの場合には、国家権力との協力の基盤となったのは物質的利害よりはむしろ研究と計画の地平が拡大されたことにあった。この道具的で、無慈悲で、反道徳的なプラグマティズムは加害者社会を説明するためには重要である。』このような投稿を、私は、良いと感じます。こういうものを読みたいと言っているのです。
強制収容所にだけ目を奪われず、ドイツの侵略により沢山の東欧人が辛酸を舐めたことにも目を向けるべきだとのご指摘は、尤もだと思います。しかし、全てを奪われ、死の恐怖が付きまとった収容者と、占領下で抑圧されたポーランド人を、同じ、と言い切ることに感じる違和感を、超えるだけの資料を、私は持ちません。
はまちさん、論旨には、承服できないところがありますが、他のホロコースト否定派の方々のように極端に悪い人ではなさそう(ごめんなさい)。勉強しろ、よく観ろと言って呉れてはるように受け取りました。観る、ことに関してですが、ヨーロッパに行った事がない訳ではないのですが、どういう体験をすれば、あなたの仰るような「感じ」を得るのかが、想像できません。
最後に、私は、私の浅薄さを自覚していますから構いませんが、それを私の評価する対象の性質だと言い換えられるのだけは、間違いです。