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(回答先: それから(4) 投稿者 西岡昌紀 日時 2005 年 3 月 05 日 21:44:42)
今訂正した様に、文春は、(1995年)1月30日(月)に「マルコポーロ」の
廃刊を発表しました。それで、世の中は大騒ぎに成りましたが、その際、文春は、
2月2日(木)に田中健五社長とクーパー氏が、ホテル・ニューオータニで合同
記者会見を開くと発表したのでした。それで、マスコミは、その日(1月30日)
から、もう2月2日(木)に文春が開く記者会見に注目していましたが、とにかく
その日(1月30日(月))、私は、風邪で自宅に居ました。そして、その翌日の
1月31日(火)、私が病院に出勤した処、私は、お話して居る様に、登院と同時に
院長室に連れ込まれ、院長と複数の事務職員に囲まれて、「もう何も発言するな」と
言う趣旨の脅迫を受けました。−−暴力こそ振るわれませんでしたが、大勢で囲まれ、大声で長時間怒鳴られ続けたのですから、脅迫と呼びます。−−そして、それが
一時間ちょっとでしょうか、続いた後、私は、業務が有るので、一旦院長室を出て、
病棟に行きました。そして、その合間に公衆電話から、木村さんに電話をした処、
木村さんから、その翌日の2月1日(水)に、記者会見を開こうと、提案されたの
でした。
マスコミの事に全く疎かった私には、記者会見などと言う発想は全く有りません
でしたが、木村さんにそう提案されて、その手配をお願いして、電話を切りました。
そうして、しばらく病棟で仕事をして居たと記憶しますが、木村さんとの電話を
切って一時間も経たない頃でしょうか。私は、再び、院長室に来る様にと言われた
のでした。それで、何だろう?と思って院長室に行った処、そこで、院長から
驚くべき言葉を聞いたのでした。
(続く)