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(回答先: Re: ホロコーストと創価学会の関係 投稿者 ブッシュ親子の自作自演テロの11 日時 2005 年 2 月 23 日 20:39:27)
アンネの手書き文書については、81年にオランダ国立法科学研究所において、紙質、インク、糊などに関する文書調査と筆跡鑑定が行われ、結果、42年から44年の間に、本人が書いたものと結論付けられた
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アンネの日記は小説(フィクション), 2004/08/07
レビュアー: おぐりきゃっぷ 兵庫県 Japan
このエルンスト・ロエマーの申出に対する独逸連邦犯罪調査事務局(BKA)の調査結果を西
独逸の週刊誌「シュピゲール」が暴露した事があった。
それによると、『アンネの日記』の原本恥、長期に亙って全巻が発表されていなかった。しか
し裁判の結果遂に第4冊目が調査される事になったのである。その4冊目はボールペンで書かれ
ていたと云う。よく考えれば、ボールペンが世に出て一般に使われている様になったのは195
1年以降である。アンネはそれよりも遥か以前に死んでいた。
第4冊目に書かれているボールペンの筆跡は第一冊目、第二冊目、第三冊目に書かれている筆
跡と全く同じ物である。と云う事は、この日記はアンネ自身の手に依って書かれた物ではないと
云う事の動かし難い証拠となったのである。
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↑これが、否定されている↓ らしい
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トリビア アンネの日記は偽書, 2004/06/24
レビュアー: シオン賢者の手先(嘘) 北の国から
「アンネの日記は、アンネの父オットーと米国の作家であるマイヤー・レヴィンが共謀してでっちあげた。その対価としてレヴィンに5万ドルが支払われた」説の真実。
レヴィンは、オットーと契約して52年に『日記』の戯曲の脚本を手がけた。が、脚本の出来と上演権を巡ってトラブルとなり、裁判に発展した。偽作説を主張する者は、裁判の一部を恣意的に捻じ曲げて「日記はレヴィンの創作小説」としているに過ぎない。58年ニューヨーク州最高裁で、レヴィンに5万ドルの損害賠償が支払われる判決が出たがすぐに棄却され、翌年の和解案では1万5千ドルとされた。これはあくまでも戯曲などの二次創作に絡んだものである。レヴィンについては、『アンネの日記 もう一つの真実』(平凡社)に詳しい。
アンネの手書き文書については、81年にオランダ国立法科学研究所において、紙質、インク、糊などに関する文書調査と筆跡鑑定が行われ、結果、42年から44年の間に、本人が書いたものと結論付けられた。
この調査によって、「日記はボールペンで書かれており、かかる筆記具が一般的に使われるようになったのは、アンネの死後の51年のことだ」という有名な伝説も否定された。
問題のボールペンによる記述は、60年の文書鑑定の折りにファイルされた小さな二枚の紙片に見られるに過ぎず、日記の内容に影響を与えるものでもなければ、アンネが書いたものでも、ましてやレヴィンが書いたものでもない。この紙片の筆跡は、ドロテア・オッケルマンのものである。
以上、読書の前のトリビア。
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まあ、『嘘だ嘘だ』と騒いでいくうちに矛盾を炙り出す、という戦術なのだろうけど。
『嘘だ嘘だ』という騒ぎが一人歩きしていくからな。
その後に、
ブッシュ親子の自作自演テロの11君のように、
検証抜きの騒ぎ屋さんが、いっぱい控えているというわけだ。