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カルトによる、脱会者・批判者に対する虐待(集団ストーカー)のプロセス
これはいくつかの事例を組み合わせた仮想事例であり、特定個人の実例ではない。
ある宗教団体「S会」は、有力な信者のA氏に法外な布施を繰り返し要求していた。A家は資産家であり、S会にとってはいわば「お得意さま」である。A氏は先祖供養と浄霊を通じて、自らの経営している不動産業の発展や家内安全といった現世利益の獲得を願っていた。A氏の妻、息子、娘はもちろん、親、兄弟、親戚も、A氏の勧誘によってS会に入会していた。A氏は筆頭格の熱心な信者であり、不動産業の仕事仲間にも声をかけて、大勢の支部会員を入会させていた。
(中略)
ところが、いくら信仰しても望むような結果は出ないのに、寄付金や先祖供養、除霊にかかる費用は膨らむ一方である。A氏は嫌気がさし、団体を脱会したくなった。ついに、これ以上S会の神仏を崇敬しても無駄だと判断し、教団を辞める決心をした。
周囲の人間にも脱会宣言をし、本部に脱会届を出すことにした。だが、本部はこうして脱会する信者を引き留めるために、さまざまな慰留策を採る。その一つが、専属祈祷師を使って信者の身に不幸を引き起こすことであった。
実際、新宗教団体の多くは、信者数が頭打ちになり減少傾向にある。その理由の一つは、新宗教がめざしている組織的活動をする信徒共同体が個人主義化し、私生活を重んじるようになった現代人の意識と合わなくなってきたことにある。物質的、経済的に安定した社会では、人々の関心は個人の幸福追求に向けられるようになるし、それに伴って組織や集団による束縛を嫌うようになる。
A家でも、親兄弟はともかく、息子や娘の世代になると、組織ぐるみでの活動や集会に参加するのは面倒だと感じており、そういうつき合いから逃れたいと思うようになっていた。また、一族の中でも若い世代ほど組織を嫌っていた。息子夫婦や娘夫婦は、真っ先にA氏の脱会に賛成し、歩調を合わせた。
A氏は、本部宛に脱会届を出した。しかし、本部は脱会を容易には認めず、留保した。いま彼ら一族に脱会されては、教団としては大打撃である。家族や世帯ぐるみでの入会を奨励しているS会では、一人の脱会は連鎖反応を起こし、親類縁者こぞっての集団脱会につながりかねない。そして何よりも、資産家であるA一族の脱会は、収入の減少、支部の存続に関わる問題でもあった。
(中略)
S会は、脱会を阻止するために、地域支部会員による説得、本部役員による手紙や電話による説得を行なったが、Aの決意はいささかも揺るがなかった。
ついに、教団は最終手段に訴えた。専属祈祷師による集団祈祷である。祈祷の念力によって、A氏の意思を打ち砕こうと試み始めたのである。祈祷する側から見れば、これは神仏の御教えに従う正当なものであり、脱会は信者が地獄へ転落する「魔」を意味する。みすみす「魔」に陥る信者を見逃すわけにはいかない。神仏のそばに引き戻すために、救済の儀式をして「信徒の幸福を祈っている」のだと思っている。ところが、それはあくまでも組織のエゴであり、祈祷される側にしてみれば、望んでもいない状況に強制的に足止めされる「呪詛」でしかない。
ある日を境に、A氏の身体が突然変調をきたすようになった。たとえば疝痛が決まった時間に始まり、ある時間を境に止まる。また、精神的には、一定の時刻に悪夢を見、金縛りを繰り返す。病院で診察を受けたが、診断はまちまちであった。
次に起こったのは経済的な制裁であった。不動産業を営むA氏に、仕事上のトラブルが急に増えた。契約を交わしていた仕事が立て続けにキャンセルされたり、契約相手が突如蒸発して数千万円の負債を背負う羽目にもなった。
A氏は困り果てて、噂で聞きつけた祈祷師に泣きついた。
(中略)
A氏が相談に訪れたのは、噂を聞きつけた土着系拝み屋であった。彼の名をB宮司としておこう。祈祷や占い、神道の教師の資格を持つ拝み屋である。B宮司は一目見てA氏が入信している宗教団体から足止めの法力をかけられていることを見抜き、その呪縛を解いて身体の変調を取り除くための祈祷を行った。その結果、A氏の症状は治まり、再び仕事に身が入る状態に回復した。その後、契約者とのトラブルも解消して、事業は順調に運ぶようになった。A氏はこの時点でB宮司に傾倒し、仕事の選択や事業の展開の方法について助言を請うようになった。
他方で、A氏とS会との間の紛争の火種は大きくなっていった。S会の幹部は「どこのどいつがわれわれに刃向かってくるのか」とA氏に詰問した。A氏は自分の境地を救ってくれた人物として、B宮司の名前をあげた。それを確認した幹部は本部に戻って事情を報告し、以後、B宮司を「組織の敵」と見なし、専属祈祷師を使って呪詛することに決めた。
そしてA氏には「どちらが本物かそのうちわかるであろう。きっとわれわれの元に泣いて戻ってくる羽目になるぞ」と捨てぜりふを吐いた。いよいよ宣戦布告である。
S会では本部からの命令を受け、専属祈祷師がA氏の居住地域の支部に派遣され、シフトを組んでB宮司を日夜呪うための儀式を執り行った。その頃、B宮司は自分の周囲に霊的な異変を感じ、結界を張ることにした。
(中略)
呪詛も一種の念力である。この場合も、呪う側は最終的な結果だけを一心不乱に念じ続けるのであり、相手の生活環境や身体の堅強さなどの情報がわからなくても、「想い」を飛ばし続けることで、やがて相手の身体機能の弱っていた部分から弱体化が起こって、急性の病に至ることもありうる。
ところが、S会の専属祈祷師たちは、A氏の張った霊的結界によってブーメラン効果が起こり、バタバタと倒れていった。
心行会が送り込んだ祈祷師集団が全滅した知らせを受けた幹部は、怒り心頭に発した。B宮司の霊的な実力を甘く見ていたことを反省した彼らは、A氏に呪詛をかける専属祈祷師の人数を増やす作戦に出た。中村幹部は、以前よりも霊力の強い祈祷師を使い、組織の面子にかけて呪えと叱咤激励した。「目的を達するまでは、帰ってくるな。神仏のご加護があらんことを」と中村幹部から檄を飛ばされた祈祷師たちは必死になって呪い続けた。
その頃、B宮司は不覚にも倒れていた。もう呪詛をかけてこないだろうと気を緩めたのである。彼は一週間のあいだ高熱に見舞われ、次の一週会のあいだに持病の内臓疾患を悪化させて緊急入院し、手術を受けることになった。
(中略)
A一族の中でも分裂が起こり始めた。一時は親類縁者も巻き込んで、いっせいに脱会しようとしていた風向きが変わり、S会に戻る者とあくまで脱会する者とに分かれたのである。
(中略)
S会は復帰に抵抗するものを片っ端から呪ったり、物理的嫌がらせを行なう作戦に移った。たとえば脱会した人の家の前に地域の信者を送り込み、一日じゅう立ったまま、ニタニタ笑わせる。家の者が出入りするときに「最近、顔色が悪いようですね。何かご不幸でも起こったのですか」と声をかける。また、信者の仕事に顧客としてアプローチする。
A家にも、毎日のように無言電話がかかったり、地域信者からの押しかけがあった。連日の執拗な嫌がらせに、A一家は心身ともに疲労困憊し、再びB宮司に救いを求めて泣きつくことになった。
このようなパターンが延々と繰り返されるのである。これこそ(中略)「救済という名の呪詛」や、恐怖喚起を目的とした「信者の呪縛」なのである。宗教集団は、組織の外部に敵と敵意を見いだそうとしがちである。部外者はこちら側の教えに改心させる対象にはなっても、そのまま放置できる存在にはなりえない。とりわけ布教活動に反対したり邪魔をするものは組織の敵であり、呪われた存在になる。呪われた存在は、神仏にかわって殺してもよいと結論されてしまうのである。(某書より。一部改変。)
以上、現在の集団ストーカー犯罪の蔓延につき、何故そのような犯罪が横行しているのか、考える際の一助になる仮想事例だと思われます。