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(回答先: 現象については同じでしょう。 投稿者 考察者K 日時 2005 年 5 月 22 日 08:09:47)
>Kの主張は「現象」と「先入観となる観念(あり得ないとする、科学至上主義も含まれる)」は切り離して、
>公正で冷静な解明が必要だろうと言うことです。
何をベースに、そして誰が公正で冷静な解明であると判断できるのか?
Kさんのご投稿を拝見していて思うことなんですが、Kさんは科学と思想を切り離し、別個のものと考えておられるようですね。
しかしながら、そもそも科学とは思想なんであって、この「科学とは思想である」という観点に立てない人達をして「唯物論者」と総称できると、俺は考えています。
まず全てを内包する大きな枠組み(パラダイム)があって、現在の科学もその枠組みの中に存在する。
科学がその枠組みの中にあるからこそ、我々はある現象をして、「科学的に正しい」とか「間違っている」とか判断できる。
何を言ってるのか、わかりますか?
わからなければ、例えば日本という国を考えて下さい。(あくまで例えです)
そして日本には、「人と約束した時間は守らなければならない」という社会通念がありますね。
日本人にとってはあたりまえのことであるし、誰も異論を差し挟まないでしょう。
ところがこれが、メキシコあたり行ったらどうでしょう?
メキシコに留学していた友人から聞いた話ですが、例えば昼の12時に落ち合う約束をした人間が、約束の場所に現れるのは平均すると午後の3時頃だそうな。
それでも当日現れればいいほうで、彼が経験した最悪のケースでは、なんと「3日後」だったそうです。(爆)
ここで日本という国をパラダイム、社会通念を科学と置き換えてもらえば、なんとなくわかってもらえると思います。
つまり、「約束の時間は守らなければならない」という社会通念は、日本という枠組み(パラダイム)の中にあってこそ存在意義があるいうことです。
未来における科学は、現在の科学の延長線上にあるだろうか?
俺は「そうではないだろう」と思っています。
我々がオカルトとか、超常現象とか呼んでいるところのものは、現在のパラダイム(=現在の科学)では理解不可能なんだろうなと。
そしてこれを理解する為には、我々(人類)は巨大なパラダイムシフトを経験せにゃならんのだろうなと・・。
唯物論、換言すれば「物質至上主義」という枠組みの中にある「科学」でもって、これら未知なる現象を解明しようという努力は、決して無駄ではないだろうと俺は思います。
然し現在科学を至上のものとし、そこから一歩も出ないって態度は愚かしい。(Kさんがそうだという意味ではありません。)
それでは、ガリレオを宗教裁判にかけた中世ヨーロッパの坊主どもと、何ら変わらない。
俺を含む、「唯心論者」の基本的理解を、長々と述べさせて頂きました。
俺たちは、「夜明けは近い」と信じています。
乱文、お許し下さい。