★阿修羅♪ 現在地 HOME > カルト1 > 505.html
 ★阿修羅♪
次へ 前へ
ユダヤ教に関する雑感
http://www.asyura2.com/0502/cult1/msg/505.html
投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2005 年 5 月 19 日 21:34:26: SO0fHq1bYvRzo

ユダヤ教に関する雑感


私は先日来、戦争板で、英文インターネット誌「シオニズムと対決するユダヤ人たち(Jews Against Zionism)」の記事を日本語に翻訳して投稿しているのですが、その以前にはユダヤ人ジャーナリストのジョン・サックが行った公演の記録を投稿しました。

こういった投稿(翻訳)をしているうちに、またいろいろなユダヤ教徒(ただし反シオニストの立場のものですが)の文章を読んでいるうちに、私自身、今までユダヤ教に関して少し思い違いがあったことに気付いてきました。

今まで、ユダヤ教といえば、旧約聖書に描かれる天地創造の迷妄と異民族皆殺しによる征服、異教徒をゴイム(家畜)として利用し搾り取るあくどい手口を合理化する教え、かたくなに他の思想や宗教を拒否する偏狭な宗教、といったイメージを強く持っていたのですが、少なくともシオニズムに反対する一部のユダヤ人たちが持っている感性は、このイメージとは少し異なっているように見えます。


****************************************

http://www.asyura2.com/0505/war70/msg/197.html
シオニストによる言論封殺の一例:ジョン・サック「目には目を」に対する『焚書坑儒』

より、抜粋。(時間がある方は全文をお読みください。コンテキストによって理解の仕方が変わってくる場合がありますので。)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【前略】

第二次世界大戦が終わったとき、ドイツのグライヴィッツの刑務所の所長でした。ドイツ軍兵士が囚人でした。しかし、ドイツ軍兵士のふりをしているナチス党員やSSもいました。アウシュヴィッツ所長であったヘスやへスラーを探しました。メンゲレも探しました。メンゲレは、母に「左に行け、お前は死ぬであろう」と、私には「右へ行け、お前は生きるであろう」と言いました。メンゲレを見つけ出したなら、どのようなことをしたかわかりませんが、何かをしてしまったことだけはたしかです。

 ある日、刑務所で、ゲシュタポを発見しました。太っており、40歳でした。腕には刺青をしていました。AとかBと書いてありました。彼の血液型だったのです。ゲシュタポのメンバーは全員そのような刺青をしていたのです。私は猛り狂って「不潔な豚め、いまわしい豚め、何人のユダヤ人を殺したんだ」と叫びました。そして、彼を平手打ちしました。彼は床に倒れました。そして、私のブーツにしがみついて、「御慈悲を、御慈悲を、どうか御慈悲を」と嘆願しましたが、足で蹴りつづけてやりました。

 これがローラの話です。このような話を好む人はいないでしょう。私も嫌いでした。それについて何かを書こうとは思いませんでした。不愉快な話だと思います。ローラも嫌っていました。ローラの言うところでは、もし母が生きていたとすれば、やはりこの話を嫌うでしょう、母はいつも『トラー』を読んでくれて、「憎んではならない。憎しみはお前を傷つけるだけです。お前の魂を腐らせるでしょう」と話してくれていたからでした。

【中略】

否認につぐ否認です。もちろん、否認はすぐれて人間的な行為です。しかし、歴史的に見てみると、否認はユダヤ人のやり方ではありません。アブラハム、イサク、ヤコブが罪を犯しても、私たちユダヤ人はそのことを否定しませんでした。私たちの民族の父アブラハムは罪を犯しました。神は彼にイスラエルに行くようにお命じになられましたが、そのかわりに、彼はエジプトに行きました。私たちはそのことを『創世記』の中で認めています。ユダー(「ユダヤ人」という単語はここに由来しています)は売春婦と関係しました。私たちは『創世記』の中でそのことを認めています。モーゼでさえも罪を犯しています。だから、神は彼を約束の地にお導きにならなかったのです。私たちはそのことを『申命記』の中で認めています。善良で賢明なソロモン王でさえも悪事を行なっています。彼は「偶像を崇拝していた」のです。私たちはそのことを隠蔽していません。『列王記』の中でそのことを認めています。

 これがユダヤ的伝統でしょう。もしも私たち自身が間違ったことを行なって、そのことを隠蔽してしまったとすれば、ドイツ人、セルビア人、フツ族に「あなたがたの行なっていることは間違っている」ということができるでしょうか。今日ここにおられる人々は、そのような人々ではないことを願っています。アブラハム・フォックスマンやエリー・ヴィーゼルが、そのとおりです、1945年に悪事を行なったユダヤ人も存在しましたと話してくれることを願っています。しかし、ユダヤ人エスタブリッシュメントがそのようなことを話さないとするならば、私が話さなくてはならないと思います。

【中略】

憎悪というものもそのように理解しなくてはなりません。憎悪の念を抱き、それにもとづいて行動すると、もっと憎悪の念を抱いてしまうのです。一滴の憎悪のつばを吐き出したとすると、何が起こるでしょうか。唾液腺を刺激してしまって、一滴のつば、1クォーターのつばが作り出されてしまいます。それを吐き出せば、一滴、二滴、三滴、ティースプーンのつばが、そして、テーブルスプーンのつばが作り出され、ついには、聖ヘレネ山のような量のつばが作り出されてしまいます。私たちは、憎悪を使えば使うほど、多くの憎悪を手に入れてしまい、ついには、永久運動機械と化してしまいます。そして、憎悪を永遠に使い続けることで、ホロコーストを作り出してしまうのです。

 そのような状態となるのに、ドイツ人である必要はありません。セルビア人でも、フツ族でも、ユダヤ人でもよいのです。アメリカ人でもよいのです。私たちはフィリピンにいたときそのように振舞いました。ヴェトナムにいたときそのように振舞いました。10000年にわたってアナコスティア・インディアンの故地であったワシントンDCででもそのように振舞いました。今日、合衆国ホロコースト記念博物館と呼ばれているところには、アナコスティア・インディアンの収容居住地があったのです。

【後略、引用終り】

****************************************


これはジョン・サックが、本来ならば合衆国ホロコースト記念博物館で行う予定であった公演をシオニストがリードする主催者に断られ、「歴史見直し協会」で行った発言の一部です。

もちろんこのジョン・サックは、ユダヤ教というよりヒューマニズムに基づいた良心の持ち主、と考えることもできますが、ただ私にはもう少し根の深いものがあるように感じます。それは次の文章の抜粋からうかがわれます。


****************************************

http://www.asyura2.com/0505/war70/msg/257.html
「シオニズムと対決するユダヤ人たち(Jews Against Zionism)」からの翻訳(1)

からの抜粋。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【前略】

我々は、妨害されることなくトーラーを学び聖なる土地の外で成し遂げることの困難な聖性のレベルを手に入れることができるように、G-dからあの聖なる土地を与えられた。我々はその恩恵を悪用しそしてそこを追い払われた。それはまさにユダヤ人のすべてがあらゆるユダヤの祭典で祈る言葉の中にある"Umipnay chatoenu golinu mayartsaynu"「我々の罪のために我々は自らの土地を追われた」ということである。

我々はG-dによって「予言される時が満ちる以前にあの聖なる土地に一団となって入ってはならない」「居住する国々に対して反乱を起こしてはならない」と禁じられ続けている。忠実な市民でありなさい、どんな国の意図にも逆らって行動してはならない、復讐、不和、賠償、補償を求めてはならない、「時が来る前に追放の身から逃れようとしてはならない」と。そうではなくて、我々は謙虚に追放のくびきを受け入れなければならない。この誓いを犯すならば、それは「あなたの肉体が藪の中の鹿やカモシカのようにいけにえにされることをもたらすだろう。」そして救済は遅らされることになるだろう。
(Talmud Tractate Ksubos p. 111a).

【後略、引用終り】

****************************************


この中で、『我々の罪のために我々は自らの土地を追われた』というユダヤ教の祈りの言葉があるのですが、これがユダヤ教における「原罪意識」の表れであるように思います。アシュケナジを除く本来のユダヤ人たちは定住した地域から集団でバビロンに連れて行かれ(これも不思議な話ですが)、そこから一部の部族がパレスチナの地に入り、他はそのままバビロン(イラク)に残るか、他の国々に散っていったと言われます。さらに紀元1世紀にローマ帝国に対する反乱を起こした結果パレスチナを追い出され、また各地(主にローマ帝国内)に散って行ったようです。

そしてユダヤの聖典には『我々の罪のために我々は自らの土地を追われた』とある。ということは必然的に、その『罪』が消える、神によって許されることの無い限り、『自らの土地』に戻ってはならない、ということになります。彼らがこのような「原罪意識」を持っている限りシオニズムにはなりえないわけで、このトーラーを守り抜こうとする保守派ユダヤ人たちにとっては、シオニズムは「異端の邪説」以外の何物でもなくなります。つまり、シオニズムおよびそれに同調するユダヤ人の宗教は、「原罪意識」を失って単なるカルトと化した思想、ということもできるでしょう。

タルムードが『復讐、不和、賠償、補償を求めてはならない、「時が来る前に追放の身から逃れようとしてはならない」と。そうではなくて、我々は謙虚に追放のくびきを受け入れなければならない。』と教えるとき、「原罪」の意識がなければその教えを素直に受け取ることはできないでしょう。


キリスト教に関しても、私は少し前から、「原罪意識」こそがキリスト教にとっての唯一の救いだったのではないか、というようなことを申し上げています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(参照)
http://www.asyura2.com/0502/cult1/msg/299.html
超巨大カルト、バチカン:(2)第2バチカン公会議「カトリックのユダヤ化」
http://www.asyura2.com/0502/cult1/msg/402.html
透徹した懐疑と内省無き「正義感」は権力志向か権力盲従に堕するのみ、だと思います
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

従って、この「原罪意識」を水で薄めあるいは失ったキリスト教は、要するに単なるカルト集団でしかないわけで、こういったカトリック、プロテスタント、ユダヤ教の一神教的カルト集団が野合していくのは必然的な流れなのでしょう。そしてそれが世界の頂点にいる「カネと権力を追究する集団」の道具となることは言うまでもありません。


先ほどのジョン・サックの話にしても、その意識(無意識)の深い領域に、絶望的なまでの『罪』の意識があり、そこから嘘(彼は『否認』と呼んでいます)、憎悪、そして復讐に対する告発が出てくるように思います。彼が『憎悪を永遠に使い続けることで、ホロコーストを作り出してしまうのです。』と言うとき、彼は人間が等しく背負う「原罪」を意識しているようです。(当然、聞いている人たちがキリスト教徒であることを意識して。)だから『今日、合衆国ホロコースト記念博物館と呼ばれているところには、アナコスティア・インディアンの収容居住地があったのです。』という言葉も必然的に出てくる。

もちろん私はシオニストたちが宣伝する「ホロコースト」に対しては断じて否定します。しかしたとえ「ガス室」が無かったにしてもユダヤ人、共産主義者、社会主義者、ジプシー、ホモ、心身障害者に対する大量虐殺があったことに間違いはなく、サックが感じているように「人間とその社会の持つ基本的な残虐さ」のシンボルとして、それを新たな意味の「原罪」としてとらえることには何の抵抗もありません。そしてこの視点が、真実を追究する人間とネオナチとの最大の相違点だ、と思います。

ただ米国人たちの多くが『今日、合衆国ホロコースト記念博物館と呼ばれているところには、アナコスティア・インディアンの収容居住地があった』ということをどのようにとらえているのか、極めて疑問です。まして、ベルリンで「ユダヤ人だけのための記念碑」をドイツ人に押し付けるシオニスト・ユダヤ、サックの言う『ユダヤ人エスタブリッシュメント』などは、「自分にしか正義は無い」のカルトの極地であろうと思います。この「ホロコースト記念碑」など、まさに悪魔の記念碑と呼んでも差し支えないでしょう。

(参照)
http://www.asyura2.com/0505/war70/msg/216.html
ベルリンの『不愉快な記念碑』:「なぜユダヤ人だけ?」(エル・ペリオディコより)

サックや「ホロコースト産業」を書いたフィルケンシュタイン、そして「シオニストと対決するユダヤ人たち」は、ユダヤ人の中でも少数派なのでしょうが、このような一部のユダヤ教徒からは、いろいろと学ぶべきことが多いと思います。シオニストとそれに追従する多数派のユダヤ教徒に囲まれての苦しい活動でしょうが、彼らには引き続き注目していくべきでしょう。


【ついでに】

Jews Against Zionism の原文記事を読んでいて、アレッ?と思った箇所があります。

Never, G-d forbid, did they have any nationalist or sovereign intent whatsoever which, as mentioned above, is forbidden to us.
断じて彼らは何らの国家主義的あるいは統治権を――G-dは禁じている――求める意図を持たなかった。上に述べたように、それがいかなるものであろうと我々には禁じられているのだ。

この「G-d forbid」でforbid は複数現在で扱われているように思います。ということは、G-dは単数ではなく複数、という意識がある、ということになります。中東の神々の神話から生まれた古代のユダヤ教では神が複数だった、という話は聞いたことがありますが、現在でもユダヤ教徒たちは「複数の神」という意識を持っているのかな、と興味深く感じました。(ただし、代名詞にした場合には単数形のHeとなるのですが。)

この点について詳しい方がおられたらご教授お願いします。

 次へ  前へ

▲このページのTOPへ      HOME > カルト1掲示板



フォローアップ:


 

 

 

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。