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【聖なる目眩まし:Holy Smoke and Mirrors / バチカンの陰謀】
Holy Smoke and Mirrors / The Vatican Conspiracy
by David G Guyatt
http://www.nexusmagazine.com/articles/smokemirrors.html
【その共産主義を粉砕するという熱意のなか、バチカンは第二次大戦中に多様な秘密結社、ファシスト団体及びスパイ組織との協働体制を纏め上げ、以来これらのネットワークを維持している】
Extracted from Nexus Magazine, Volume 7, Number 5 (August-September 2000) or September-October 2000 in the USA only.
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▼ マフィア、CIA、及びバチカンの諜報組織 ▼
アルベルト・ヴィンセント・カロネは、陰というものが立ち込める場所ならばどこにでも顕れてはまた蒸発する雨粒のような人生を送った人々の内の一人だ。彼は存在し、また存在しなかった。
アル・カロネ、このアル・カポネに名前が似ている人物はカポネとは違い、真の意味で謎の背後に隠れる神秘に包まれたパラドックスそのものであった。
カロネはニューヨーク市警察の刑事であったが、このことは「ジェノバの犯罪ファミリー」の男給仕になる妨げにはならなかった。彼は、ヴィト・ジェノベーゼ、サム・ジアンカーナ、サントス・トラフィカンテ、ジョー・コロンボ、ポウリー・カステラーノ等を含む当時の全ての「首領」と知り合いであった。
カロネの娘のディーにとっては、彼らは全て「叔父さん」だった。彼女が結婚した際には、父親は2つの控え室を用意してニューヨーク市警の客とギャングの客を分けたものだった。しかし、こんなことは表向きの体裁作り以外の何物でもなく、ニューヨーク市警でのカロネの主要任務の一つは、CIAの麻薬を様々なマフィア・ファミリーに流す作業を維持するための「集金人」としてのものだったのだ。
カロネは1990年に謎めいた状況の下に死んだ。これは彼個人が人生において幻想から自由になる過程の果てに起こったことであり、1985年に密命を帯びて多くの無辜の女性や子供が無意味に殺されたメキシコへ行った時以来の期間に相当する。
彼の死は無惨なものであり、From The Wildernessニュースレターを発行するマイク・ルパートがこれについて報告しているが、彼はカロネの人生を調査し特別レポートを書いている。(覚え書き参照)
話は戻り、いま一人の「叔父さん」はレーガン政権における中央情報局長(CIA長官)のビル・ケイシーであった。ケイシーは第二次大戦中は戦略サービス局(OSS:Office of Straregic Service)員であり、1970年代には国防交易委員会長( Chairman of the Securities and Exchange Commission :SEC) になったが、これはアメリカの投資産業を統括する組織であった。
娘のディーによれば、この役職にいた任期中にケイシーはカロネを「尻尾切り」として、微妙なインサイダー情報をゴロツキのポウリー・カステラーノに流すことに使っていたという。
カロネはアメリカ陸軍の統括大佐でもあったが、ここでは彼は陸軍防諜局(Army's Counter Intelligence Corp:CIC)を指揮していた。
ビル・ケイシーとの親密な関係から見れば驚くべきことではないが、彼はCIAの隠れた作戦執行員でもあった。
しかし、事はこれで終わらず、カロネは「マルタ独立軍事結社の大騎士:Grand Knight of the Sovereign Military Order of Malta (SMOM)」でもあったのだが、この組織は歴史的にはバチカンの軍事組織とされており、それ自体の外交パスポートを発行するなど独立した国家としての十全な力を持つと見なされているものなのだ。
ここ何十年においてSMOMはCIAの為の投資の抜け道として機能してきたが、これは金(gold)の闇市場向けや資金洗浄の為のものであり、これらの行動のなかではバチカンの諜報組織としても機能していることは知られていることだ。
例えば、ソビエトのミハエル・ゴルバチョフが政権を追われた1991年には2000立方トンを上回るロシアの金備蓄が消えた事件などに関係していると言われている。
マルタ騎士の身分は、軍事や諜報組織に属する多くの指導的立場の人物に与えられた。例えば、CIAのビル(ウィリアム)・ケイシーはマルタ騎士だったし、元NATO司令官で後のアメリカ国務長官のアレクサンダー・へイグもマルタ騎士であった。
他には、ジョージ・ブッシュ長官の下のCIA副長官であり、後にレーガン政権時の無任所大使に指名されたバーノン・ウォルターズ陸軍大将がいる。
また、OSS(第二次大戦中のCIAの前身)の伝説的な長官であった”ワイルド”・ビル・ドノバンは戦時中の同僚で後のCIA対諜報局長であるジェームス・ジーザス・アングルトンと共に騎士に叙せられている。そして、もう一人このアメリカの「怪物」組織の重要人物であるジョン・マッコーンもマルタ騎士だと認識されている。
リストは続くわけだが、最も興味深い人物はラインハルト・ゲーレンで、元ナチの諜報専門家であり、1945年から46年にかけてアメリカに請われ「ゲーレン機関」を指揮したが、これは秘密のドイツ起源のアメリカ諜報機関であり、元SSやゲシュタポのメンバーで構成されていた。この組織のメンバーの多くはクラウス・バルビーを含め指名手配されたナチの戦争犯罪者たちであった。
これまでに挙げた人物達の名前は、西側の諜報組織社会では、ここ50年以上に亘り最も権力と影響力を持った者たちのリストということになる。
バチカンの中にあり、マルタ騎士団と特に強い結びつきを持つ集団には、ウルトラ右翼であるオプス・デイ(Opus Dei) がある。これは今日ではバチカン内部に巨大な権力を持つ組織であり、またその「善を為す」表向きの活動は人類に知られる最も暗黒な政治的、経済的機構を隠蔽するものだ。これを言っても驚くべきこととはならないだろうが、多分カロネはオプス・デイと、特に1944年に起源を持つ秘密作戦とに緊密な関係を持っていたのだろう。
これは「アマデウス作戦」という。
▼ ラットラインから麻薬密輸ルートへ ▼
この極秘の作戦は、アレン・ダレス(戦時中はスイス駐在のOSS上級職員であり、後にCIA長官になった)とSS隊長のカール・ウォルフとの間で交渉が行われたサンライズ作戦の一部であった。この愛想が良く、幅広い人脈を持つSS幹部は当時イタリア内のSS及びゲシュタポのシンパを指揮していた。
現在知られている限りにおいて言えることは、この一連の交渉において合意されたことは、「西側」に忠誠を誓う見返りに大量のSSとゲシュタポの軍人に恩赦を与えるというものだった。そして、このことは予め計画されていたソビエト共産主義からの「脅迫」を撃退するための秘密戦争に荷担するということであった。
この戦争とは、言い換えれば「冷戦」のことである。
このダレス-ウォルフ合意からの副産物の一つには、バチカンが行った「ラットライン:ネズミのの抜け道」があるが、これは指名手配されたナチの戦犯を安全地帯に秘密裏に逃がすことに協力した。このラットラインの結果、数万人に及ぶSSとナチ党員が拘束を逃れたのだったが、これらの中には、トレブリンカ絶滅収容所の所長であったフランツ・シュタンゲルや、彼の友人でソビボー死の収容所を運営していたグスタフ・ワグナーなどがおり、その他としては「ホロコースト」の演出者であるアドルフ・アイヒマンも同様の方法で逃亡した。
アイヒマンは、後にイスラエルの諜報員に捕らえられてテルアビブに密かに送られ、裁判に掛けられたが結果的には処刑された。これに比較して、「白い天使」として知られ、アウシュビッツの囚人に対する非人道的な人体実験を行い指名手配を受けていた戦犯であるジョセフ・メンゲレは、アルゼンチンに逃げ延び長い余生を送った。
アマデウス作戦とは、SSとナチの戦犯を南米大陸に空路で逃がすことに特化した作戦であり、後には現地人に対して「反共産主義」の旗の下に正当化された残忍な秘密行動を取ったことでも知られている。アマデウス作戦に関わった人物には、元ゲシュタポ隊員のクラウス・バルビーがいるが、彼は世界には「ライオン殺し」として知られている。
このアマデウス作戦に対する主要な資金調達手段は、高い利益が見込める麻薬ビジネスであった。大戦終結時におけるサンライズ合意に従い、大量のSSのモルヒネ備蓄がヨーロッパから密かに運び出され、「カトリックの」南アメリカに運び込まれていた。
このモルヒネは、強奪されたSSの金(gold)と大量の偽造された英国紙幣を伴っており、これらの紙幣は強制収容所内の偽造技術に長けた囚人によって作られたが、これは「ベルンハルト作戦」と呼ばれたSSの計画の一部であった。
この逃亡のための「ライン」は、お尋ね者がイスラエルのエージェントの疑い深い眼から逃れながら南米中を移動することに使われたが、ドラッグの密輸のためにも理想的な条件を揃えていた。これにより何十年の後には、CIAに守られたマフィアが南米産のコカインと共にアメリカ国内に備蓄したヘロインを密輸して供給するということになった。
1980年代に脚光を浴びた人物の中にオリバー・ノース大佐がいるが、この人物はこの麻薬の輸送に深く関わっていた。彼はまた、コントラの活動に資金提供をするために武器と麻薬の交換を承認していたのだった。オリバー・ノースはカロネにとっては、その「作業」名のジョン・カフリーとして知られていた。この時期にカロネはCIAの指揮するコカイン貿易を、コロンボ・ファミリーのメンバーであるジョー・”ピクルス”・パーシリアと共に始めたのだった。
この興味深く、常に隠蔽された政府(軍と諜報コミュニティーの合同体だが)とマフィア及びバチカンとナチ戦犯の関係は、ある特異な歴史を持っている。少なくとも第二次大戦中にアメリカ海軍士官とマフィアのドンであるチャールズ・”ラッキー”・ルチアーノの間で結ばれた秘密合意があるが、これはマフィアが1943年にヴィト・ジェノベーゼにコンタクトを取ることによって、連合軍のシシリー上陸のために協力しようとする決定を行う結果になった。述べてきたように、このイタリア側部隊は当初からサンライズ作戦協議に関わったSS隊長ウォルフ指揮下のSS-ゲシュタポ部隊によって構成されていた。
この間、大量のナチス党員がラテンアメリカにおける共産主義の脅威と戦うために南米に逃亡していたわけであり、またこれは個人的にも麻薬と武器の商売というのは儲かるものであったのだが、より重要なポイントは、ヨーロッパに於いてファシストで構成され、「グラディオ作戦」の援護の下の「ステイ・ビハインド(待機)部隊」のネットワークを使って、民主的に選ばれた政府というものを打倒もしくは妨害するという下工作が行われたということだった。
これも驚くべき事ではないが、ここでも関わったある種の人物たちは他人の不幸を元手に個人的な財産を築いており、このような状況は言うまでもなく余りに有りふれたものだ。
これらのネオファシスト活動家は、1980年代のアンブロシアーノ銀行の破綻および、ロンドンのブラックフライアー橋に吊られながら”自殺”とされたイタリアの銀行家ロベルト・カルビの死により脚光を浴びることになったが、この事件はバチカン銀行とIORのカルビ金融帝国内での役割をセンセーショナルに暴露することとなった。また、この金融帝国ではマフィアの資本家であるミケーレ・シンドーナが急速に力を増していたこと、そしてこの人物の動きは、マフィアの活動にヨーロッパやアメリカの支配層を相手にする銀行群が関わっていることを示唆しているものだったのだ。
シンドーナとカルビはまた、オプス・デイとも近い関係にあり、オプス・デイはシンドーナの金融帝国が破綻したときには約5500万ドルの損失を被った。カルビの家族によれば、ロベルト・カルビは殺された時期にはオプス・デイがIORに対する支配力を高める為の助力に奔走していたという。
また、カルビとシンドーナは両方とも秘密めいたフリーメイソンのプロパガンダ・デュー(P2)・ロッジのメンバーであり、これは共産党が選挙で勝利した場合にはクーデターを準備していた「平行政府」だと言われている。
P2は当時ファシストで元ナチSSの構成員であり、イタリアの新聞に「人形使い」のあだ名で呼ばれたルチオ・ジェッリによって運営されていた。ジェッリのヨーロッパ及びラテンアメリカに於けるウルトラ強硬右翼とファシストのコネクションは手広いものであった。事実として、大戦後に「最悪の」ナチ戦犯が連合国側の裁判から逃れたバチカン仕様のラットラインの構築に深く関与している。関係者の意見を総合すると、約5万人のナチスの逃亡が幇助されたのだった。
ジェッリは、イタリアの独裁者ベニート・ムッソリーニを含む多くの有力な友人を持っていた。彼はまたアルゼンチンの総帥ジャン・ペロンの個人的友人でもあったが、このアルゼンチンとの親密な関係は、後にはフォークランド戦争時に英国の駆逐艦を沈めたフランス製のエクゾゼ・ミサイルの輸出供給に於ける重要な地位を与えることになった。この過程に於いて彼は、ハワイ・ベースの金融会社であるビショップ・ボールドウィン・リウォールド・ディリンガム・アンド・ウォンの創始者であるロナルド・R・リウォールドと密接な関係を持って活動したが、この金融会社はCIAの所有する会社であり、同様にCIAの所有するヌーガン・ハンド銀行の前身であった。
このようなCIAのフロント企業による資金供給および主たるアメリカの連合国(英国)に対して向けられた武器の供給が、アメリカ大衆の政府への全面的な支持によって行われたということは何かしら奇妙なことに見える。しかしながら、「ブラック・オペレーション」の世界では「敵」と「味方」というのは相互に交換できる言葉であり、両陣営の側で働くというのは当たり前の営為なのだ。
ヒエラルキーの観点からは、ジェッリはウンベルト・オルトラーニに報告を上げていたが、この人物はあるライターによれば「偉大なるバチカンの窓口人」であり、「教皇一族の秘密の侍従」と表現されていた。オルトラーニは、そのP2コネクションに加えて、マルタ騎士団の機密評議会のメンバーでもあり、また第二次大戦に遡る軍の諜報組織との関係も持っていた。
▼ オクトパスとスパイダー ▼
ヨーロッパには、表に現れたり消えたりする多くの秘密結社やメーソン団体が存在するが、彼らの殆どはカトリックの性格を帯びている。
これらの内の一つとしてシオン修道院(Priory of Sion)があり、これは1982年に出版された「聖なる血と聖杯:The Holy Blood And Holy Grail」というベストセラー本によって初めて大衆の耳目を集めた秘密結社だ。この団体は南フランスの小村レンヌ・ル・シャトーで発見されたという伝説のソロモンの財宝に密接に関係していると言われ、またこの小村に財宝を隠したのはマルタ騎士団の前身であるテンプル騎士団であると言われている。
この、スイス国境沿いのジュネーブ近郊のアンネマッセに本部を置いたシオン修道院はソロモンの財宝の「守り手」という体裁を取っているが、最も興味深いこととして、彼等は第二次大戦に遡る多くのファシストや右翼との地下コネクションを持っているというものがある。
また、銘記すべきこととして、アンネマッセは既述のグラディオ作戦に於ける対共産主義者用の「ステイ・ビハインド部隊」の中心地であったと言われていることがある。
もし、これだけでは充分ではないと言うならば、今一つの事実が興味を盛り上げることになるだろう。近年、このシオン修道院は本部をバルセロナに移し、今では「スペインのグランド・マスター」を標榜している。このことは、もう誰にでも分かることだが、スペインに1928年に創設された歴史的なオプス・デイの中心地に物理的に近付きやすいようになったということなのだ。
もし、オットー・シュコルツェニーがSS同胞団の逃亡ルート:ダー・シュピン(ザ・スパイダー)の指導的運営者であり、SS隊長カール・ウォルフがOSSのスイス長官アレン・ダレスとの交渉窓口であったのなら、もう一人のナチであるミラン特殊部隊のワルター・ラウフはナチの密輸システムの構築に関わったバチカンとの間に存在する二人の密通者の内の一人だったということになる。このキャリアの初期にラウフは「黒カラス」として知られるナチスの移動式ガス室車の開発を監督していたが、この車は10万人近辺のユダヤ人をガスで殺害した。このやり方というのは、車の後方のヘルメット状に密閉した部分に排気ガスを封入するというものであり、犠牲者の殆どは女性と子供であった。
バチカンとSSの逃亡ルートを繋ぐ重要なリンクはフリードリッヒ・シュウェンツだったが、この人物もまたSSの偽札洗浄の罪を問われている。第二次大戦以前には、シュウェンツは国際的な武器商人をやっており、中国やロシアと取引をしていた。彼はまた、最初の妻の叔母であるバロネス・ジェミンゲン・グッテンバーグの家族の財産に関する投資顧問もやっていたが、この叔母はアルゼンチンに基盤を置き、「オクトパス」としても知られる巨大な国際企業バンジ・コーポレーションを運営する非常に裕福なバンジ家の出身であった。
この(オクトパスという)称号は興味深いものだ。何故なら、これはフリーランスのジャーナリストであるダニー・カソラロ殺害に関係する、所謂「オクトパス」に関連があるかも知れないからだ。カソラロは殺害された当時の1991年には、司法省による"PROMIS"として知られる「追跡」コンピューター・プログラムの盗難を含む多くの政府高官による違法行為を調査していた。彼は自分の発見したことを本に書いていたのだが、その本には当初は「青ざめた馬を見よ」というタイトルが付けられ、後に変更を加えられ「ザ・オクトパス」という題名になった。この本のト書きページには、この集団に対する彼の説明があるが、ここには「国際的な陰謀組織であり、その流動的な仕事は地区の政治的な圧力創出、スパイ活動、生物毒を含む洗練された兵器技術、麻薬貿易、マネーロンダリングおよび嘱託殺人までも包括する。」と書かれている。カソラロはまた踏み込んで、この集団は「30年前の”冷戦”の陰のなかで産み落とされたのだ。」とも書いている。
カソラロの死後、ジャーナリストのキャロル・マーシャル(ペンネームだが)は彼の調査を引き継ぎ、未だ刊行されてはいない「最後のサークル:The Last Circle」という題名の文書を書き上げた。このなかで、マーシャルはオクトパスの中心人物の一人であるロバート・ブース・ニコルスに関する調査報告を書いているが、この人物は彼女の記述によれば「選ばれた者たち:The Chosen Ones」として知られる秘密組織の一員であり、「骸骨と交差する骨の指輪(skull and crossbones)をはめ、言うならば、古きドイツのSSオカルティズムの同胞意識と内輪のサークルの儀式において同じ価値感を共有していた。」のであった。
オクトパスの調査を進めるなかで、マーシャルは上述したようなSSオカルティズムの概略は、マイケル・アキノ大佐に関係することを発見したが、この人物は自称サタニストであり米軍の諜報及び極秘の心理戦争事項に関する自身の仕事においてトップシークレットのセキュリティー・クリアランスを持ったグリーン・ベレー出身者であった。アキノはウィーウェルスブルクに於ける黒魔術儀式の司祭を勤めたが、この城はかつてSS長官ハインリッヒ・ヒムラーが、テンプル騎士団に習ったチュートン騎士団を創設するために使用されたものだ。
これらの先行するコネクションは、彼等にとっては第二次大戦中も後の冷戦中においても、利益を伴いながらいつでも存在を否定できる軍や諜報組織の陰の国のなかで、地球規模で相互に噛み合う右翼的ファシスト集団という巨大な構造を形成する為に役立ったのだった。
このような観点から興味深いのは、ここで述べた最も有力なカトリック系団体の一つである「シオン修道院:Priory of Sion」は、その文書に多様に表現された”オクトパス:蛸”や”スパイダー:蜘蛛”をシンボルとして使用していることだ。シオン修道院が蛸を使用するという事は、容易に上述した所謂「オクトパス」との関連を見い出せるが、この集団内ではアメリカの軍と諜報機関の人員とが連携しながら組織犯罪が行われているのだ。また一方で、シオン修道院のシンボルが蜘蛛であると規定した場合、そこにはオーストリアのカトリック信徒であるオットー・シュコルツェニーと彼のSS同胞団であるダー・シュピン(ザ・スパイダー)の使ったバチカン仕様の逃亡ルートの様相が浮かび上がってくるのである。
▼ 神のビジネス ▼
始めに述べたように、アル・カロネは彼の他のコネクションに加えてジェノベーゼ・ファミリーの男「給仕」であった。従って、興味深いのはライターのキャロル・マーシャルによれば、また一人の指導的な「オクトパス」のメンバーは、フットボールチームのダラス・カウボーイズの所有者であるウルトラ右翼の石油王クリント・マーチソンだということになる。マーチソンの会社、マーチソン・オイル・リース・カンパニーは20%程ジェラルド・カテナに所有されており、この人物はジェノベーゼ犯罪ファミリーの代表代理だったからだ。
第二次大戦中及びその後に於いても、チャールズ・ヒグハムとその著書「敵との商売:Trading With Enemy」によれば、「アメリカ、イギリスおよびドイツ経済界のある主要な人物たちによって、パールハーバー以降も彼等の協力関係は継続されるという一般合意」があった。そしてヒグハムは続けて、彼はまた「戦争中の政府(複数)内のある種の人物たちはこの活動に協力するためのお膳立てを行った」ことも学んだという。ヒグハムのその後の調査では、彼が「フラターニティー:友愛団」とあだ名している政府高官達は実在していただけではなく、第二次大戦を通して巧妙に利益を得ていたことが明らかになった。このことから、この著者は尋ねる:----------------
『一体、何百万人のアメリカやイギリスの人々が配給クーポンを争い、ガソリンスタンドに行列を作っていた時、1942年にはニュージャージーのスタンダード石油の重役達が中立のスイスを経由して敵の燃料を輸出し、敵はまた連合軍の燃料を輸出していたなどということを知ったとしたら、どんな事が起こったのだろうか?
大衆が、パールハーバー後のナチ占領下にあるパリのチェイス銀行がマンハッタンにある本部の了解の下に敵と数百万ドルのビジネスを行っていたことを発見したとしたら?
また、フォードのトラックがミシガンのディアボーンの承認の下に、フランス内のドイツ占領軍の為に組み立てられていたことを知ったなら?
国際通信コングロマリットITTの会長ソステネス・ベヘン大佐が、ニューヨークからマドリッド経由でベルンに飛び交戦中のヒトラーの通信システムを改良したり、ロンドンを破壊したロボット爆弾を改良したりしていたのを知ったなら?
ITTがイギリスやアメリカの部隊を爆撃したフォッケ・ウルフ戦闘爆撃機を組み立てていたのを知ったのなら?
アメリカ軍がその供給不足に絶望していた時に、アメリカ戦時生産委員会の副会長がフィラデルフィアのゲーレンの従兄弟と共謀して、貴重だったボールベアリングをナチに協力するラテンアメリカの顧客に向けて輸出していたのを知ったなら?
もしくは、これらの協定をワシントンは知っていて、情報を検閲したり無視したりしていたのを知ったとしたなら、どうなっていたのか?』
ヒグハムの言う「フラターニティー」は、所謂「オクトパス」と似たような性格を持っているが、これはまたオリバー・ノース大佐の「エンタープライズ」とも似たものを示している。これら全ては、利益の為に最もいかがわしくも違法な活動に関与しており、全ては連携して組織犯罪を行っていたのだ。これら組織は思想的に言えば、全て右翼に傾いており「ファシスト」と呼んでも差し支えはないだろう。
また、これらの組織のどれもが人々の苦悩などには全くかまうことはなく、実際にも倫理や道徳的価値感に遭遇したときには、常にそれらを踏みにじってきたのだ。
オクトパスもしくは「オクト・オプス:Oct Opus」、これはあるヨーロッパのドキュメンタリー映画製作者がオプス・デイ(1928年10月2日に誕生した)に掛けて表現したものだが、この蛸は口の周りに8本の腕を持ち(これは常に食料の供給
を約束する)、3つの心臓を持っているので飢えたり死にかかったりするようなことはない。しかし、その奇妙な生態ゆえに認識されやすいものだ。
これを書いている私の観点からは、オプス・デイとは今ではバチカンを支配し、間違いなくこの地球規模の犯罪ネットワークの一つの腕となっているというように見える。一方この蛸の3つの心臓のほうはより見付けやすいのだろうか? これらはニック・トッシェスが、殺されたマフィア資本家のミケーレ・シンドーナの一生を綴った著書「地上の権力:Power On Earth」の中で、「教会と国家およびマフィア、これらは世界の陰に繰り広げられる劇中に遍在している権力なのだ。」と述べているようなことの比喩にはならないだろうか?
ここにまた一つ、この組織合同の拡大について興味深い曲折があるが、これはオランダのベルンハルト皇太子についてである。皇太子は、なかなか表に出たがらない西側のパワーエリート達であるビルダーバーグ・グループの創始者だった。この陰に隠れ秘密めいたグループは毎年5月から6月の間の週末に会合を持つが、これはほぼ完全な報道規制の下に行われる(これに関するレポートを読んでみよう)。ここには世界中から、金融、経済、政治、メディア、貿易機構、および学術の分野で権力を持ち影響力のある人物達が招待される。定期的な出席者としては、例えば、ヘンリー・キッシンジャー博士、デビッド・ロックフェラーやイタリアの”キングメーカー”、ジャンニ・アニェッリなどがいる。このグループの最初の会議は1954年の5月に行われた。
不思議なことに、この同じ年にベルンハルト皇太子は「オランダ・ヨハネ騎士団:Johanitter Orde in Nederland」の長に叙せられているが、この団体は「エルサレムの聖ヨハネ騎士団連合:Chivalric Alliance of Orders of Saint John (Alliance de Chevalerie des Hospitaliers de Saint Jean de J屍usalem)」を構成する4つの組織の内の一つになっている。この北ヨーロッパ諸国のドイツ、オランダ、スウェーデン、及びイギリスに置かれ「アライアンス:The Alliance(連合)」として知られている4団体が公式に掲げる目的というものは、「キリストの敵を萎縮させ沈黙させる。」ということになっている。また、この内のスウェーデンとイギリスのものは古くから「大神聖結社:the Most Venerable Order」として知られてきたものだ。そして、この「アライアンス」の本部はスイスに置かれている。
これらは、カトリックと言うよりはプロテスタント団体であるが、明かな事として1963年の11月26日にこの「アライアンス」は「SMOMの大長官であるレスターノ皇太子と大神聖結社のウェイクハースト卿及びプライアー卿との間で、ロンドンのセント・ジョンズ・ゲートに於いてマルタ独立軍事結社と大神聖結社の合同宣言に調印して結束を固めた。」のであった。
これは別の言い方をすれば、カトリックとプロテスタントの結社同士が結束して、「キリストの敵を黙らせる」為に働こうということになるが、この「敵」とは明らかに共産主義のことなのである。
面白いことに、テンプル騎士団は「ヨハネ教」や「マンダ教」といった異教に”感染”しているとされて来たが、これらの異教の主張するところはイエスを「間違った預言者」として糾弾し、本来の救世主は洗礼者ヨハネの方であるとするものだ。
この線では、シオン修道院の初期の二人のグランド・マスターがヨハネ教の傾向を持っていたと言われている。レオナルド・ダ・ビンチとアイザック・ニュートン卿だ。そして一方では有名なテンプル騎士団の創始者であるヒュイ・ド・パイェン(Hughes de Payens)はバチカンからはヨハネ教徒であると糾弾されてきた。
ここでは、これ以上秘教の歴史に踏み込むことはしないが、ベルンハルト皇太子については、彼のビルダーバーグ・グループとオランダ・ヨハネ騎士団に於ける役割に加えて、ヒムラーのSS部隊の名誉メンバーであったことと、NW7という組織で働いていたことは銘記すべきだろう。このNW7とは、I.G.ファルベンによる地球規模の諜報軍事組織であり、ナチの意向に沿って活動していたものだ。ラテンアメリカに於けるNW7の活動は、第二次大戦前後を通してここに掲げた物語に深く関連しているものなのだ。
多くの工作を準備したり時には自身で行うことによって、バチカンはキリスト教を軽蔑する共産主義イデオロギーを根絶することを幇助するよう努めてきた。
オプス・デイ及び多くのファシストと合同したカトリックの秘密団体は、聖職者の唱える長い祈祷のように大量の殺人、資金洗浄、麻薬売買、武器密輸、大戦中の略奪物隠蔽、横領、金融市場操作および多くの途方もない違法行為などに関与してきた。これら全ての活動の目的というものは、論議の余地もあろうが、西側キリスト教世界においてバチカンを精神的な防波堤とすることにあったのだ。
もし、このような営為が「天国の神」を説く教会のビジネスであったなら、「地上のシーザー」は警戒しなければならないだろう。
新しい領主が街へ降りてくるのだから。
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Acknowledgements (覚書き)
In preparing this essay, I drew upon an indispensable group of published/unpublished work and sources, as follows:
* The full account of the unique story of Al Carone, by Mike Ruppert (available to order online at www.copvcia.com).
* Trading With The Enemy, by Charles Higham (St Edmundsbury Press, Suffolk, UK, 1983).
* Their Kingdom Come, by Robert Hutchison (St Martin's Press, New York, 1997).
* Web of Gold, by Guy Patton and Robin Mackness (Sidgwick & Jackson, London, 2000).
* Ratlines, by Mark Aarons and John Loftus (Mandarin, London, 1991).
* The Bormann Brotherhood, by William Stevenson (Arthur Baker, London, 1973).
* Unpublished manuscript by Peter Dale Scott on Barbie, Dulles and Operation Sunrise. It details how the OSS-SS preserved each other while serving their true masters: transnational corporations.
* The Last Circle, an unpublished manuscript by Carol Marshall, which investigates the so-called "Octopus".
* My thanks also go to Catherine Austin Fitts (www.solari.com) for her invaluable help.
-- David G. Guyatt
About the Author:
Following a 28-year career as a professional international banker based in the City of London, David Guyatt now pursues a career researching, writing and producing material for TV documentaries, films and magazines. His feature articles have appeared in diverse publications including BusinessAge, NEXUS, Fortean Times, The X Factor and Lobster.
In addition to his commercial writing, David has prepared background papers on anti-personnel electromagnetic weapons for the International Committee on the Red Cross (ICRC), as well as for Scientists for Global Responsibility. He has also written for the World Development Movement on his "insider" knowledge of international weapons financing.
David was engaged as an expert consultant for the two-part World in Action TV documentary, broadcast in the UK in April 1997, that exposed Britain's weapons trail to Indonesia; and he assisted Swiss TV in a documentary on non-lethal weapons, also broadcast in early 1997. At present, he is pursuing an in-depth investigation into the real secrets surrounding the enigma of Nazi gold and WWII treasure looted by both German and Japanese "plunder teams". It will also unravel some of the more enduring secrets of the gold market.