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(回答先: 概ね理解できますが、2点だけ。 投稿者 風のように 日時 2005 年 6 月 04 日 00:01:50)
風のようにさん、早速のレス感謝です。
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【(人々は理解し合えるという)共同概念は非常に大切なもので、これなくしては人間同士、社会内部において共存していくことができない。】と考えることが、諸問題と呼ばれることを引き起こしている原因となるのではないかと思っております。
「人々は理解し合える」という期待は、「理解し合いたい」という価値判断からくるものであり、それを社会としての必要性として捉えてしまうことは、「人々は理解し合える」と“期待しない”者を排他的に捉えてしまうことになりえます。
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概ね、自分で書いてて最も自信のないところをご指摘いただきました・・(-"-;A
実はこれ、俺の「決めつけ」なんですね。
「人はお互いが、永久に理解しあえないという前提に耐えられるか?」という視点から、「そりゃ、無理だろう」と結論付けた訳です。
>「人々は理解し合える」という期待は、「理解し合いたい」という価値判断から
>くるものでありであり、それを社会としての必要性として捉えてしまうことは、
このへんもしかしたら、社会学的な考察が必要になるかもしれませんね。
よく日本のCMで、「人は、わかりあえる」みたいなキャッチコピーを見かけるので、これは一応、幻想としてでも社会的ニーズがある概念なのではないかと推測した次第です。
まあ自分としては、もう少し深層心理学的な推論も加えてはいるつもりなのですが、さすがにそれを記述することは、俺の手にあまります。(-"-;A
ただ俺は、ここで風のようにさんが言及されているようなhttp://www.asyura2.com/0505/idletalk13/msg/432.html
高次の「調和的な生き方」をしている人を念頭においてはおりません。
風のようにさんは別として、俺自身がそういう人と未だかつて会ったことがないので・・(悲)
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A夫とB子
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これちょっと、お返事をパスさせてください。(爆)
書いて一晩寝て、翌日読み返してみたのですが、自分でも何でこんなこと書いたのかわからない。(爆)
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この“愛”については、「愛とは何か」を考えることにも繋がるとも思われ、
以前の膝枕さんへのご質問に答えていくものに繋がることかもしれませんね。
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俺もそれが知りたくて、ふだんアーでもない、コーでもない考えています。
アーでもコーでも程度の考えで、答えが見つかるとは思っておりませんが(爆)
言葉で理解できるとも思っておりませんが、悲しいかな今のところでは、言葉をもって探索していくしかありません。
お時間のある時でけっこうですから、風のようにさんのお考えをお聞かせください。
どんなに長い対話になっても、俺はあきらめませんから。
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