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世田谷の一家四人殺害事件から4年になり、新たに、近隣住民による情報提供の呼びかけも行われている。
この事件は、残忍な殺害方法、閑静な住宅地の一見幸せそうな家族への攻撃として、事件当時、多くの関心を呼んだが、遺留品の多さにも拘わらず、犯人像の絞込みすら未だにできていないように伝えられている。
▼ 『新潮45』2002年2&3月号(238号&239号)の「一橋文也」のレポートから抜粋:
被害者の宮澤みきおさんは、1987年に米国大手コンサルタント企業の日本支社に入り、シニアコンサルタントの肩書でCIブロジェクトを手掛けていた。
1997年3月に同社を退職し、同年7月に同業他社に転職。一年後には、英国の大手経営コンサルタント企業の日本支社に移籍し、CI部門のリーダーに就任。
みきおさんの妻・泰子さんの父親は在日の不動産ブローカーで、1983年9月に亡くなっている。
みきおさんと泰子さんは、1986年12月、自己啓発セミナーで知り合って結婚。
1988年に資生堂を退職した泰子さんは、翌年から目蒲線の奥沢駅前で姉と共に学習塾を開設。
惨劇の現場となった上祖師谷の自宅は、1990年5月、宮澤さん夫婦が泰子さんの母親や姉夫婦と共同で約一億五千万で購入した中古住宅で、購入後、約二千七百万かけて、平屋から三階建てに増改築し、1990年12月から1階で泰子さんが学習塾を開いていた。
宮澤さん宅と隣接する都立祖師谷公園の拡張整備計画が1991年から本格化したため、周囲にあった約二十軒の住宅は次々と移転した。
都東部公園緑地事務所によれば、宮澤さんとは2000年3月時点で立ち退き交渉がまとまり、都は既に土地売却料と物件移転補償費の一部を支払っており、登記簿上も同月付で所有権を移転、2001年3月には、宮澤さん一家は都が用意した代替地に転居する予定だった。
ところが、宮澤さん一家が転居する予定地は事件発生時点で、都との売買契約が成立しておらず、所有権移転も建築確認申請も行われていない。
壁一つ隔てた隣家には、初め、康子さんの姉一家と康子さんの母の4人が住んでいた。
康子さんの姉は、在日の夫の事業のため、一家で1992年から英国に移住していた。
姉一家のうち、妻子は長男の中学入学のため2000年4月に帰国、単身赴任中の夫も事件直前の12月24日には帰国して、事件当夜は家族4人の全員が隣家にいた。
一方、韓国の宗教団体(統一とは別)関係者が、韓国内でスカウトした青年をネバダ州(遺留品の「特殊な砂」の由来とされる)の武闘訓練施設で養成して実行犯に仕立て、宣教教会(日本福音キリスト教会連合の一員)系の在日の牧師(世田谷区在住)らが関与して、事件を実行した可能性がある。
実行犯と目される男は、ソウルで一度はインタビューに成功したものの、二度目は、インタビューを目前にして、数人の男に囲まれるようにして大型のワゴン車に乗り、消息を絶った。
また、現場と杉並の劇場周辺から採取された指紋が一致し、指紋照合について、警視庁の要求を韓国側が拒否したとの情報もある。
さて、犯行動機は何だろうか?
▼ 『行政調査新聞』2001年2月&2002年3月号から抜粋:
この事件の1ヶ月前にあった、日本在住20年の朝鮮総連元幹部の逮捕に、宮沢みきおさんが関与し、これに対する見せしめの一家惨殺であったとの見解を持っている。
状況証拠に頼ると、夫婦が知り合った能力開発セミナーは半島系のもので、宮沢みきおさんは北朝鮮系のスパイ活動を行っていた可能性がある。
日本全域に隠れ棲む北朝鮮工作員に対する司令塔的存在だったこの幹部は、国際キリストセンター事務総長として、バプティスト教会系のボランティア組織を通じて活動していた。彼の逮捕により、20年の歳月をかけて構築した半島と日本に広がる指令網を破壊された北朝鮮の情報工作活動は、根本から再構築の必要が生じた。
半島系の牧師らが、キリスト教関連の団体を隠れ蓑に、スパイとして活躍し、裏では相互の利害対立から暗闘を繰り広げている。
▼ 推測の追加:
事件の起きた2000年に宮澤みきおさんは、2002年の日韓ワールドカップに向けて、ワールドカップのマスコットをCI事業の一環として受注、作成したという。
それと平行してみきおさんには、直近での転職話が持ち上がっていたという。
ここからが、新たな推測になる。
コンサルタント企業が売買するものは情報であり、それは諜報活動に連動している。
英米のコンサルタント企業の中には、キリスト教関連の団体同様、諜報活動を本来の目的としているものがあると言われている。
ちょうど、渋谷の地下道のアクセサリー売りのユダヤ人が、実は諜報活動を行っている場合があるように。
事件当時、日韓ワールドカップ用のマスコット作りを隠れ蓑に、宮澤みきおさんもやはり諜報活動をメインに日韓で活動し、その活動で得た情報を土産に、高額の報酬目当ての転職話を進めていた可能性がある。
宮澤みきおさんは、立ち退き後の新しい土地と家の取得に絡んで、まとまった金が必要になり、転職の誘いに乗ったのではないだろうか?
この転職話が、当時在籍していた英国企業、および、そこに関連した半島系団体の不利益となり、見せしめ殺人が起きたのではないだろうか?
英国は世界有数の諜報活動のメッカであり、英国企業が絡んだ犯罪を突付くことは、『ルーシー・ブラックマン事件』の推移をみれば分かるように、日本の警察には難しいかも知れない。
以上、近隣住民の一人として被害者の冥福を祈るとともに、類似事件の再発を防ぐため、および、真相究明がなされずにパニックに陥りがちな近隣住民のため、少しでも資する所あればと願っております。
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