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コミュニケーション内容に優越する、コミュニケーション主体を想定する場合に、コミュニケーション内容としての論述の、その行間から人格情報を取得し、初期信用の可否を判断しようとする2重解読が、往々にして行われるはずである。
じっさいには、冗長性は避けがたいがために気泡の如くに含み持ってしまっているかの領域を以て検分材料としているのであろう。そして、これは受信側の積極性にもとづく、意図されない人格性のパケットコミュニケーションであるはずなのだ。
しかるに人格性は、論理的整合性とは性格を異にし、充分に小さい単一の単位コミュニケーション内容を調べた段階では、むろん最終判定までは至りえないと思われる。なぜなら、しばしば虚偽と演出の余地が認められるはずだからである。
しからば、そうした脇見による誤謬も頻繁に生じうるはずであり、それはしかしコミュニケーション内容の評価とは別の、副次的事態といえるはずなのである。また人格性がその本性から常時変動し、しかも、それが常時知覚されうるものだといえるのであれば、同一であるべきはずの同一発信者情報としての別トラック情報は、必ずしも同一であるはずもないと思われるのである。
(暫定)