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(回答先: 【人格抽出の失敗】 投稿者 ゾンビに朽ち無し 日時 2005 年 1 月 04 日 01:49:55)
人間(個人)が、生成し変化し続ける「現象」、であるなら、
その人間(個人)をアイデンティファイしようという試みは不完全に終るしかないのであり。
人は、その人の「生」は死後に初めて確定されうるものなのではないでしょうか。
「アイデンティティ」「自己同一性」という言葉は便宜上のものであり、
“アイデンティティとは「社会」が我々に押し付けてくる、いわば強制されるものである。”
という C.L.ストロースの言葉も
“わたしはときおり自分は流れつづける一まとまりの潮流ではないかと感じることがある。堅牢な固体としての自己という概念、多くの人々があれほど重要性を持たせているアイデンティティというものよりも、わたしにはこちらのほうが好ましい。
これらの潮流は...すくなくとも常に動きつづけている...中心となる主旋律は不在のままに。これは自由のひとつのかたちである。”
という E.W.サイードの言葉も納得のいくものであると考えます。
「私は誰なのか?」
こんなことは私が死んだ後に、誰か酔狂な人が考えてくれればいい事なのです。