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(回答先: 【如往さんへ】遅くなりましたが返信です (名前登録から転載) 投稿者 フニャコ 日時 2005 年 2 月 02 日 14:20:04)
Carry That Weightさん、暫らくでした。レスをありがとうございます。
[Carry That Weightさん]≒[フニャコさん]なのですか? 私はCarry That Weightさん宛にしたいと思っていますが、よろしくお願いします。
さて、何故日本においてキリスト教系大学に心理学科が設置されたのか、諸外国の事情に通じていないために照合ができないことからも、一面的な見方になってしまう惧れがありますが、少し私見を述べてみたいと思います。
先ず、70年代初期、私は特に日本に上陸してまだ日の浅かった臨床心理学に関心がありましたが、当時は何と云っても関東地区では立教大学や群馬大学にその萌芽があったと記憶しています。立教大学におかれたキリスト教教育研究所(JICE)は、逸早く心理療法的なMethodの導入を図っていました。それが後に柳原光氏の編纂によってCreative ODに結実していきます。それ以前にも、ボーイスカウト(キリスト教系団体が運営)の教練ではCreative ODの中にもあるようなMethodの原形がCWT(Group work training)として使われていたようです。もちろん、大いに興味を持ってCreative ODにあたったのですが、中断を余儀なくされたために、心理学が主にキリスト系大学に導入されていった事由について明らかにできぬまま今日に到りました。
そのような現状では確かなことは言えないのですが、キリスト教系大学で心理学科が設置されていく背景には、おそらく一神教という性格から見ても、キリスト教においては神が天上におかれ人間は地上にて横一線上にあるといった構造を前提にしていることが、密接に関係しているのではと推察しています。もちろん、日本キリスト教協議会が世界キリスト教協議会から「教会における集団生活指導者研修会」(Church and Group Life Laboratory)の事業化の要望を受けて、1962年4月に立教大学内の一機関として、ラボラトリー方式による「人間関係訓練」(Human Relations Training)を実施するためのキリスト教教育研究所(JICE)が設立されたことも無関係ではないでしょうし、むしろ大きな契機になったと想われます。
そこで、今回のCarry That Weightさんの回答についてですが、キリスト教の教義を中心に据えたときに生じる人間間の関係性に整合性をもたらす機能、すなわち横糸という調整役を心理学に求めたという見解は肯けるものです。そして、日本人を教化していくための橋頭堡でもあったキリスト教系大学にとっては、新たな人間関係の形成に日本人を誘導するためにも、重要な役目を果たすものとして心理学を捉えたことも容易に推測が可能だと思います。仏教では個人にたいし自らが菩薩になれること、つまり他者を救済する主体になる可能性を残していますが、キリスト教では済い救われるはあくまでも神と信者の一対一の関係であり、人間間の世俗的な関係性は捨象されたままです。ですから、近代になり教会からの要請もあって、旧来の共同体感覚に替るものとして、あるいは共同体意識を補完する機能を果たすような何らかの媒体を必要としたのではないでしょうか。それが心理学であったと云えるかも知れません。
しかしながら、他にも上智大や聖心女子学院や日本女子大等、比較的に早くから心理学科が設置された大学の実情も調査してみないと一概には語れないと思っています。また、昨今では仏教系大学の心理学科も受験生に結構人気があるようですが、医学部を有する国立大学では心理学を文科系の分野に属するものと見做す傾向があり、しかも心理学は文学部にもその居場所を見出せない現状があります。
キリスト教と心理学の関係を見てきながらやや隘路に踏み入った感がありますが、他にCarry That Weightさんの心に留まっている点などありましたら、投掛けていただければできる限り回答していきたいと考えておりますので、よろしくお願いいたします。
また、会いましょう。