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理論なき行動は死、行動なき理論は無。
http://www.asyura2.com/0411/dispute20/msg/807.html
投稿者 如往 日時 2005 年 4 月 06 日 19:13:13: yYpAQC0AqSUqI
 

(回答先: 縄文ビトさんの論理 投稿者 ワヤクチャ 日時 2005 年 4 月 05 日 23:44:22)


 ワヤクチャさん、こんにちは。
 尚、スパルタコスポノさんには割り込みレスになりましたことお詫び申し上げます。


 あの時代、どの大学にも校舎や教室の壁には「理論なき行動は死、行動なき理論は無。」(H.マルクーゼ)の落書が見られました。60年代後半から70年代前半にかけての新左翼運動の実存主義的性格を象徴する成句です。
 もちろん、理論の構築よりは行動を強調することで自身を鼓舞し、同時に他者との連帯を企図したものであるのは言うまでもありません。少なくとも当時の私はそう受けとめて運動に参加しましたし、民青(日共系)以外ではあればどんなセクトであってもよかったものです。そんな不明瞭で付和雷同的な発意から運動に飛び込んだことが尾を引いているのか、現状の分派闘争にはあまり興味がありません。けれども、敢えて申し上げれば、近年の荒岱介氏の環境派的な言説からもブントの生き残りである戦旗派は表面的には政治的色彩が褪せて社会的な視座に身を引いてしまっていると感じています。ただし、派閥闘争を含めて今も尚政治活動に勤しんでいる革共同関連の動向については論及することは控えたいと思います。
 それでも、ソ連は全く過去のことになりつつありますが、今も現役である中共で起きた天安門事件に関する既成新左翼の認識やその動向を、私と同様に団塊の世代で新左翼運動に係わった人間は注視していると想います。それほど天安門事件は左翼思想について再点検を迫らせずにはおかない問題でしたし、私にとっては人間の思想的・宗教的営為を再考する契機にもなりました。

 ところで、縄文ビトさんにたいする疑念絡みで私の率直な感想を述べますと、縄文ビトさんに欠落しているのは政治的行動(体験)であると想います。今では私は「理論なき行動は死、行動なき理論は無。」を、綿密に仮説を立てて実際に検証すべしとの意味で捉え、さらに検証結果を新たな仮説に反映させていく作業が重要であるというように考えています。縄文ビトさんの言説が一向に進化しないのはおそらく検証過程の欠如に起因しているのではないでしょうか。さらに、若き頃より経済活動に突入せざるを得ず、また長らく経済的な問題の解決に勤しまざるを得なかったことで、学際的な方法を習得する境遇とは無縁の状態のおかれたことが縄文ビトさんにとっては不幸であったと思います。これらは楢篠賢司氏(=縄文ビトさん)の著書を手にして判ったことなのですが。
 社会的政治的なテーマを検証なくして、すなわち思考実験のみで論証するのには相当な学際的な能力を要するでしょう。無論、私にはそのような才能はありません。ですから、マルクスやレーニンを耽読したことがないと吐露されている縄文ビトさんが、彼等の理論を超えられると簡単に言ってのけることに非常に違和感を覚えていました。

 ここ阿修羅では私は相変わらず交通整理の役回りを演じることが多く、人間行動学の本質的な部分に迫っているかというと、決して満足のゆくものではありません。それは元々阿修羅に投稿した切っ掛けが投稿者間の話が噛み合っていないと感じたこと、そして、早々反応ではなく応答すべきであると公言してしまったことによりますし、爾来寄稿するときの弁えとして書籍や備忘録を検索して臨むのが習慣化し、そうこうしていると忽ちのうちにスレッドが流れて時宜を逸してしまったことがよくあります。その点あっしらさんは同等の人間が複数いるのではないかと紛うほど、適宜にかつ精力的に応答されてもいましたので、その博覧強記ぶりには驚嘆も尊敬もしていました。
 そして、『ここ阿修羅議論板は一つには各自にとっての思考実験の場であり、抽象論が飛び交うことは必然的な現象です。逆にアナロジーという抽象を重ねていかなければ思考実験は成立しないでしょう。互いが互いの思考実験の受け手もしくは媒介項となってそれぞれの思索を深めていく、それが阿修羅の醸し出しているシチュエーションであると考えます。後はかかる成果を己の行動原理に如何に組み込むかは各自の裁量に任されているのではないでしょうか。』との認識に至っては、あっしらさんの一聯の投稿姿勢に学ぶところが大きいものでした。

 >我々が生きる為には労働の売買は必要悪なのです。後は資本の制御をするだけです。

 こうした認識は今回の縄文ビトさんとのやり取りから得られたものではなく、おそらく元々ワヤクチャさんの問題意識の照準には十分入っていたことでしょう。私は、今後は我々人類が生み出してしまった本能(id)の異形である資本の運動を如何に制御すべきか、人類が自らの叡智(ego)を働かせて対処していかねばならぬと考えています。中でもワヤクチャさんが提起されている資本(生産手段)の労働者による分有化は重要な視点を与えてくれていると言えますし、導入方法や一般化の方法については今後とも多くの知恵を集めて研究していかねばならぬ課題であると感じています。さらに、税制改革は労働者が資本を入手するための資金手当てに資することにもなりますので、導入を円滑にすすめるための条件整備になるかも知れないと想像しています。

 しかし、今後の阿修羅がワヤクチャさんや私にとって思考実験を重ねていくための土壌にあるのか不確かです。それとも、私達の方に現実的な投企や体験の不足が生じているのかも知れません。その点では縄文ビトさんという存在はその良き反照なのかも、そんな思いにもさせられました。「行動なき理論は無」にならぬように理論の断続点を何らかの実践で繋げていく必要があると感じますし、同時並行して権力やその一群に誑かされて「理論なき行動は死」にならぬように情報を精査し現象を洞察すべく研鑚していかなければならぬと思っています。

 また、会いましょう。

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