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(回答先: 言葉の用法・・みんな「キチガイ」になって叫びだそう。 投稿者 ジャン 日時 2004 年 12 月 11 日 07:49:41)
>言葉の用法・・みんな「キチガイ」になって叫びだそう。
>http://www.asyura2.com/0411/dispute20/msg/135.html
>投稿者 ジャン 日時 2004 年 12 月 11 日 07:49:41:tV9DFzLB7Zpg6
>(回答先: キチガイという言葉:議論19へのリンクを兼ねたマルチレス 投稿者 バル>タン星人 日時 2004 年 12 月 09 日 08:19:33)
> キチガイという言葉の用法いろいろ考えてみましたが、
> 狂った世の中で、まともな神経でいられるわけはない。
なんですが、世の中狂っていると皆が思っているんでしょうか?
狂っていると思う事は、まともな社会をどこかに想定しているわけで
その想定はどこか生まれてきたのでしょうか?
「まともな神経でいられるわけはない。」という事は
どこかで「まともな神経」なるものを一旦身に着けたが
それが狂った社会の為に崩されてきたという事になるわけですね。
私の考えでは、社会には歴史的に決まり事が形成されてきていて、
生まれてきた人間はその決まり事を守るようにしつけられるのであるが
なんらかの原因でそのしつけを拒否する人間が現れてくると思うのです。
そういう人間の事をキチガイ(狂人)と呼んで来たと思います。
例えば、理由無く誰彼なく暴力を振るう人間はキチガイと思われてきたでしょう。
しかし、生まれた時はそうではなかった人間がそうなるにあたっては
その人の歴史があるのだと思います。
しかし、社会は決まりを守る人間という結果を求めるだけであり、
決まりをどうしても守らない人間の処置に困り狂人として隔離して
きたと思うのです。
恐らく狂気に至る理由はほとんど解明されていないでしょう。
それは解明する動機が精神科医(社会)の方に無いからでしょう。
精神科医の主要な関心事は患者を社会復帰させる事であり
ブラックボックスである患者の内的論理に踏み込む事は難しいのでは
ないかと思われます。
脱構築派の精神分析医は、患者の内的論理に自ら浸る事によって
解明しようと試みたのだろうと思います。
ところで精神障害者の方は自分で自分の事を対象化できるのでしょうか?
私がもし何らかの精神障害を持っていたとしたら私は自分の事を一定
対象化できると言えます。
それは文章を書きそれを読み返す事によって行ってきました。
話があらぬ方に行っているようで済みません。
>みんなキチガイになって、叫びだそう。
> っていうときの、キチガイの用い方は、許せますね。
キチガイになるっていってもどうやってなるのですか?
ただひたすら連呼するとか?
例えば、この世の中の何かがとても気なって頭から離れなくなり
その事ばかり考えている人はキチガイになるのかも知れません。
この場合は肯定的な意味になるでしょう。
つまり、キチガイという言葉は肯定的にも否定的にも使う事が自由自在
という事になりますね。
否定的な意味だけに使おうとしても無理があるでしょう。
このような曖昧な言葉はなるべく使わない方がいいというのが
私の考えです。
> 要するに、言葉狩りというより、使い方の問題なんでしょうが、誤解がとければそ>れでよしというところかもしれません。
解ければね。
解けない場合が想定されるので警戒しているのです。
> それと、キチガイはまだしも、精神病判定のほうがもっとレッテルだという考え方>もあるようです。
医師の判定の際にどのような根拠に基づき判定したのかという事は患者側に
示されるのでしょうか?
もし充分な説明が無いとするならばいい加減な判定をしている可能性はありますね。
その判定を早く出せば出すほど患者家族から信頼されお任せするという事になるで
しょうから。
精神科医も所詮商売ですからね。
> 以下引用
>* 「社会復帰」「社会復帰」と唱えても私たち“キチガイ”の魂は解き放たれませ>>ん。
それはそうでしょう。
今の社会が嫌だからこそ「キチガイ」になった可能性大ですものね。
ですから、一体何故嫌なったかですね。
その理由はしかしながら健常者には中々言いたくは無いでしょう。
「な〜んだ。そんな事で悩んでいるのか?」とバカにされるのがオチだからです。
この辺りが原因で精神病は解明されにくいと思います。
患者にとって医師は健常者であって信用できないからです。
健常者に何を言っても理解すまいという警戒心があるでしょう。
恐らく、精神障害者が語る言葉をそのまま受け取る事ができる医師が
出てこない事には解明は進展しないでしょう。
ところで、精神分析の研究者の理論はあくまで健常者の立場から作った
理論であろうし、患者側の批判がなければとうてい理論としては
使いものにならないと考えます。
そのような作業というものは行われているのでしょうか?
>それは今の「社会」の良しとする価値観に私たちが屈従してしまうこと、−“キチガ>イ”としての自分の存在を否定して「健常者社会」に適応させていく道だからです。
せっかくキチガイになれたのに、また健常者に戻すのかよ?という感じでしょうか?
>* 私たち“キチガイ”は「社会」の抑圧―差別の価値観、(非人間的社会関係)に我>慢に我慢を重ね、苦悩し、ついに“狂気”となって非人間的「社会」に“異議申し立>て”をし、“反逆”したからです。
そうなんですね。
異議申し立てをしたという自覚があるのですね。
それはすごい事ですね。
しかし、その異議申し立てはどこまで健常者に届いているのでしょうか?
精神障害者の人が健常者に解る形で異議申し立てができたのなら、それは
もはやその人は精神障害者では無いと目されるでしょう。
これはパラドックスですね。
ミイラ取りがミイラになるように精神障害者が健常者の説得を試みれば
精神障害者は健常者に変身しそうですね。
>いまだ「社会」の抑圧―差別(非人間的社会関係)は、改まらず存在し続け、更に悪>化の一途を辿っています。
それは無理解からくるものだと思いますし、
理解をする為の努力がどれだけなされているか疑問でありますし
またそのような努力自体あまりこの社会では評価されないのでしょう。
あまりマジメに取り組めば、逆に社会の狂気が浮き彫りにされる事にもなりかねませんし。
また、マジメな医師の中には、自ら精神障害になる人もいると聞きます。
しかし、これはあるいは精神障害者の側の逆オルグが功を奏したという事かも知れませんね。
>それほど、「健常者社会」は深刻な問題を“内”に抱えているのです。
どのような問題でしょうか?
私も考えようとは思いますが、あなたのお考えをお聞かせいただきたいです。
>* そして、私たち“キチガイ”を精神医学は「精神病」というレッテルを貼り、そう>した“社会の状況”を“キチガイ”の個人の「心」の問題に、―個人の資質の問題に>すり替えて、“社会の状況”の問題としての“キチガイ”の叫びを圧殺してきたので>す。
なるほど、そういう事ですね。
キチガイは社会が生み出したものであり、社会とは切り離された個人の問題では
ないと。
そりゃあそうですよね。
>* 「社会復帰」路線という事柄が生まれてくるのは、「健常者社会」の価値観を問題>なしとする事を前提としてそれに合わせられない者や「病気」になる方に問題がある>という捉える考え方、「病気」は、「社会」から切り離された個人の資質の問題なん>だとして“キチガイ”を否定的に捉える考え方が前提になってこそ成り立つ概念で>>す。
その通りですね。
>だから「健常者社会」の価値観に再び適応させる為に、「治療」があり、施設などで>のリハビリがあり、「社会」が“良し”とする「健常者」並みを目指そうとするので>す。
その通りです。
>* 問題の出発点は、「社会」の抑圧―差別的人間関係を“内”に抱える「社会」の価>値観や社会構造そのものにあるのです。
はい。
>それを私たち“キチガイ”はそんな中では生きられない!!と“狂気”となって叫び>を上げているのです。
はい。
>* 私たち“キチガイ”の魂が解き放たれるのは、決して精神医学で“キチガイ”とし>ての自分を、「社会」の深刻な抑圧―差別性を問題にもしないで、ただただ“個人的>病気”として否定される事でもなく、また「社会復帰」で今ある「健常者社会」の価>値観や社会構造に迎合することでもありません。
>* 私たちが、“キチガイ”として存在しなければならなかった、「社会」の価値観、>社会構造、―抑圧―差別的社会そのものを逆に否定し変革して、新たな人間的―人間>関係、社会関係を創造していく中にしか、解放への道はありえないのです。
はい。
>“キチガイ”万歳!!
キチガイが社会を革命するのですね。
だからこそ革命家としてのキチガイを弾圧してきたのかも知れませんね。
>* 今の精神医療が、「健常者社会」の価値観を良しとして、擁護し、それに“異議申>し立て”をする“キチガイ”のあり方を否定的に捉えるあり方は結局、「健常者社>>会」全体の“キチガイ”のあり方に対する、差別・偏見の考え方と同じでしかない。>だから今の精神医療では、またその上に立つ「社会復帰」路線では、「健常者社会」>全体の“キチガイ”への差別・偏見をなくす事は出来ないのは当たり前です。なんや>かんの言っても、精神医療は、「健常者社会」の番人でしかありえていない!!
そうですね。
>“キチガイ”の未来や自由を奪うなよ!!
>保安処分にしろ、精神保健福祉法にしろ、なんで“キチガイ”にだけ特別な治安法を>作って、「隔離」され、「排除」され、「管理」されなきゃならんのか。
そういう事です。
例えば凶悪な犯罪が起こった場合、すぐに精神鑑定が問題になる事自体
精神障害者差別になっておりますね。
精神障害と言っても千差万別であろうし、何もかも一緒くたにするなと言いたいですね。
マンガの「ブラックジャックによろしく」の第10巻だったかな
この問題を扱っていましたね。
>「社会」の“内”にある非人間的抑圧―差別社会構造の支配そのものを不問にして、>なんで“キチガイ”の個人の資質の問題にすり替えて事をおさめようとするんか、い>いかげんにせーよ!!
責任転嫁ですね。
社会の責任を問わず、個人に責任を負わせるという事でしょう。
患者の内的論理をうまく記述していく事ができたならば
社会がひっくり返るかも知れませんね。
ゆで蛙ではなく
ひっくり蛙
しょうもない事を言って済みません。