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(回答先: 精神障害者の内的論理の記述 投稿者 ワヤクチャ 日時 2004 年 12 月 11 日 22:50:49)
ワヤクチャさん、どうも。
>世の中狂っていると皆が思っているんでしょうか?狂っていると思う事は、まともな社会をどこかに想定しているわけでその想定はどこか生まれてきたのでしょうか?「まともな神経でいられるわけはない。」という事はどこかで「まともな神経」なるものを一旦身に着けたがそれが狂った社会の為に崩されてきたという事になるわけですね。
言葉の用法として考えてみたたけですので、真面目に反応しないでください。ただ、怒りが必要だろうとは思っていますので、怒りを表明しないことが正常であるかに慣らされているとしたら、それを超えていこうという程度の感覚です。
>私の考えでは、社会には歴史的に決まり事が形成されてきていて、生まれてきた人間はその決まり事を守るようにしつけられるのであるがなんらかの原因でそのしつけを拒否する人間が現れてくると思うのです。そういう人間の事をキチガイ(狂人)と呼んで来たと思います。例えば、理由無く誰彼なく暴力を振るう人間はキチガイと思われてきたでしょう。しかし、生まれた時はそうではなかった人間がそうなるにあたってはその人の歴史があるのだと思います。しかし、社会は決まりを守る人間という結果を求めるだけであり、決まりをどうしても守らない人間の処置に困り狂人として隔離してきたと思うのです。
何か精神病者と犯罪者をごっちゃにしたような議論のような気がしますが、気のせいでしょうか。妄想内容や妄想の中の恐怖の解決手段として暴力を使えば、それは触法精神障害者になりますが、・・
現在のように、精神医学のなかった時代には、当然、精神病という言葉はなく、キチガイという言葉が一般的でした。そして、キチガイかどうかは周囲の集団社会が決めていたと思います。現代医学はキチガイの判断基準を示し、精神疾患として取り扱うことになりました。これにより、キチガイという言葉は、半分、その意味を奪われ、集団社会が特定のものを勝手にキチガイと決め付けて排除することは、その根拠がなくなりました。しかし、精神障害者にとっては、逆に精神医療によって医学的に宣告されたこととなり、仮に周囲からキチガイといわれても否定しがたい状態になル場合もあるでしょう。
>ところで精神障害者の方は自分で自分の事を対象化できるのでしょうか?
意味がよくわかりませんが、私は、かつて精神障害者の家族であったというだけで、本人ではありませんし、たまに作業所で作った石鹸とか買いにはいきますが、そのような立ち入った話はしませんので・・。それに精神障害者も一人一人違いますから、なんともいえないというところです。
>医師の判定の際にどのような根拠に基づき判定したのかという事は患者側に示されるのでしょうか?もし充分な説明が無いとするならばいい加減な判定をしている可能性はありますね。その判定を早く出せば出すほど患者家族から信頼されお任せするという事になるでしょうから。精神科医も所詮商売ですからね。
ええ、それはもちろん、妄想があるとか、○○の症状があるとかいわれたりしますが、はっきりいって、何をいっておられるかよくわからなかったりします。個々の症状に名前をつけて、それで説明したことになるのかどうか。そんなもの名前をつけられなくてもいっしょにくらしてたらわかってますよって感じでしたが。
で、精神病の判断は、世間との均衡にたえられなくなった家族の申請で、わりとたやすくなされたりするのに、完治という判断はほとんど難しい。それこそ何が正常で何が異常か。何が妄想で、何が妄想でないか。言ってることが全て正しく論理付けられていても、それ全体が妄想という場合もあるし。
もし、完治とは周囲の集団社会に溶け込んで生活していける状態なのだとしたら、その人の家族や親戚、地域の人間関係を知らない医師が、どうしてそれを判断できるのか。相手がかりに触法精神障害者であれば、誤診といわれるのが怖くて、とても外に出せないし、触法精神障害者でなくても、やはり似たような傾向はあるのではないかと思います。
以下、引用部分についていろいろとコメントされていますが、精神病者本人たちがキチガイという言葉を使っている場合があるという例です。
その主張については、心情的には分かりますが、必ずしもそれが精神病者全体の意見ではないということも抑えておきたいところです。なにしろ、一人一人みな違いますから。