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(回答先: 上記スレの参考資料:自由民権派の憲法草案(私擬憲法) 投稿者 竹中半兵衛 日時 2004 年 6 月 30 日 17:12:45)
GHQはアメリカでは革新的な人々で、革新的な改良で日本を封建的な軍国主義から近代的な民主主義国家に変貌させる事は企図していたかも知れませんが、それでも日本国憲法には革命権までは記されていません。むしろ、明治期の場合、戦後と違って、ニューディーラーを介さずに純粋にフランスやアメリカの啓蒙思想のラディカルな考えがストレートに入ってきたために、戦後民主主義よりももっとラディカルであったと思うのです。
戦後民主主義というのは、「平和とくらしをまもれ」という事で、古典的なマルクス・レーニン主義を掲げる新左翼系の極左を除いては、「この暮らしを守りたい」という保守主義と「選挙に行きましょう」という議会主義が全てであったと思うのですが、明治の民権運動は市民革命のイデオロギーが虚勢されずに、そのまま入って来たから、すごく大胆でラディカルだと思うのです。それも、新左翼・極左の場合、「経済がこうなれば、自然に革命が起こるのだ」というような運命的・予定調和的・預言者的なノリがあるのに対し、明治の民権運動の方がマルクス主義的な「時代の流れはこうなる」ではなく、「権力がこうなる時は、国民はこうせねばならぬ」という、より行動に対する積極性があるように思います。マルクス主義の方がどっちかというと、マルクス主義研究会みたいな学者論議で終わりかねないものは持っていると思います。
アメリカという国もキリスト教原理主義に帰るなど、思想的に随分年老いたと思います。本来、アメリカは国家権力より地方自治を大切にする風潮がありました。レーガン率いるネオコンに熱狂するアメリカ国民はかつてのトクビルが見たアメリカ国民よりはるかに保守的で物分りが悪くなっているのではないでしょうか。今、米英は一体ですが、本来アメリカはイギリスと異なるスタンスが合って良いし、アメリカが大統領の権威の元に一つにまとまる必要もない。今、アメリカでは「大統領の権威を穢す奴は誰だ?」というノリが幅を利かしているようですが、元々は大統領の権利は国民に由来し、大統領だから自動的に偉いというノリではなかったのです。元首の名称すら決めあぐねていた。単に米英一体、アメリカは一つでは、何のために独立戦争をしたのか分からない。ローマ共和国が帝制になったように、アメリカも思想的にも帝国化してしまったのですね。もはや、リンカーンの逸話ですら、アメリカの選挙の現実ではない事はアメリカ人自信が知っているはずです。ここも民主主義は建前で事実上の貴族政治になったのです。