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(回答先: 多数決はあくまで「決定方式」ですから、民主主義とは無関係:「民主独裁」もあれば、「民主全員一致」もあります。 投稿者 あっしら 日時 2004 年 11 月 19 日 14:20:08)
あっしらさん、レスをいただきましてありがとうございます。
また、ふさわしくない投稿をしてしまったと後悔しておりましたので、
とても、うれしく思いました。
>法や政策などの物事を決める方式とは直接の関係はありません。
確かに民意での多数決とは関係ないようですが、党内、院内での過半数によって、
物事が決められていっていると云うことは、日本の政治では多数決ということが
大前提で進められているように思います。
ただ、その票の裏にどのような取り引きがあるのかは、私のようなものには
知るすべもありませんが。
また、代議制というものによって、多数決で選ばれた人によって、政が執り行われる、
この形態が、民主主義と言う言葉の意味とは違っていたとしても、
やはり、見える部分は多数決であり、身近な人との関わりに於いても多数決が氾濫しています。
私は、世の中を変えよう、政治を変えようなどと大それた考えは持っておりませんが、
日本の民主主義に於いて、現状を良しとしない認識であるならば、
それを、変える可能性は、ゼロではないと思っています。
先の米国の大統領選挙が、正当なる選挙であったのか、
疑問の声が多々聞こえてきますが、日本の選挙では、まだ、
人々にそこまで選挙上の不正があると言う話は聞きません。
政治と言うものを執り行う為には、それに見合う力(お金)と社会的基盤、がある
人にしか、それを司るだけの資格がないように思います。
もし、その力のないものが、表に立った場合、敵対する勢力にいとも簡単に
潰されてしまうであろうし、なにか選択すべきことを誤った場合に、
その責任を追及する声に耐える力もないであろうからです。
つまり、どんなに冴え、叡智に溢れ、国民の為になりうる方であっても、一国の首相にはなることはできず
逆に、その立場にふさわしい才能を持っていなくても、それに見合う、
権力とコネクション、資金を持つものがその地位に立つことができる、それが、現実なんだろうと思います。
日本的な考えなのですが、昔から、偉い人という考えで自分らとは違うのだと
無条件に社長、医者、先生、政治家等々、を尊び、敬う人々が多々いらっしゃいました。
現代では、その方々の不祥事の多さに、尊敬の念は失われつつありますが、
金と力があれば、どうにかなるのがこの世です。
日々の糧を得るので精一杯の我々には、彼等の実態を知る由もありませんし、
知る必要もないのです。
しかし、大事なことを自分達が決めているのだ、と言う自覚を、国民一人一人が持てば、
まだまだ、この民主主義の中で、せめて、恥知らずの「カス」をのさばらせないことぐらいは
できるかもしれないと、一縷の望みを持っております。
支配者と云われる方々が、まだ、民主主義と云うものを利用してそれに変わるものを
提示してこない限り、私たちにもチャンスはあるような気がいたします。
漠然とした表現ですが、被支配者である我々が、
勝たなくてもいいが負けない方法を模索できたならと思っています。
ありがとうございました。