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明治天皇 坂本竜馬 勝海舟 伊藤博文 西郷隆盛 大熊重信 高杉晋作 桂小五郎 大久保利通が一緒に写っている写真
http://www.asyura2.com/0406/idletalk10/msg/503.html
投稿者 てんさい(い) 日時 2004 年 8 月 22 日 00:40:15:KqrEdYmDwf7cM
 

(回答先: Re: 第五章 解き明かされる明治維新の裏(新潮社) 投稿者 野田隼人 日時 2004 年 8 月 19 日 10:23:34)

近代日本とフルベッキ の画像を見やすいように調整し、検索しやすいように名前を記載してみました。
http://www.asyura2.com/0406/bd36/msg/340.html






写真に写っている人たち

明治天皇     え?
坂本竜馬 龍馬
勝海舟
伊藤博文
西郷隆盛
大熊重信
高杉晋作
桂小五郎
大久保利通


中野健明
中島信行
後藤象二郎
江藤新平
大木喬任
井上肇
品川弥二郎
村田新八
小松帯刀
西郷従道
別府晋介
中村宗見
川路利良
黒田清隆
鮫島誠蔵
五代友厚
寺島宗則
吉井友実
森有禮
正岡隼人
陸奥宗光
中岡慎太郎
岩倉具綱
ウィリアム
フルベッキ博士
岩倉具定
横井小楠
大村益次郎
江副廉蔵
岩倉具慶
広沢真臣
岡本健三郎
副島種臣
日下部太郎
横井左太平
横井太平


調整前の写真

http://www.asyura2.com/bigdata/bigup1/source/010.jpg

調整前の名前

http://www.asyura2.com/bigdata/bigup1/source/011.jpg

してその実態は!
★阿修羅♪は現時点で下記のコメントを尊重しています。2007/07/26

http://www.asyura2.com/0406/idletalk10/msg/783.html
「…これは、勝海舟が志士達を長崎に招集して撮影したものだと言われています。
坂本竜馬、高杉晋作、西郷隆盛、桂小五郎、勝海舟、etc
幕末・維新に活躍したメンバーが一同に会した写真だと言われています。
しかし、実はこの写真は志士達が集合した写真ではないのです。
本当は「英語塾『敬遠館』の若者達」という写真なのです。(略)
これだけの人物が一同に会することができる時代を考えてみてください。
どこかで矛盾が生じてくるはずです。
例えば、この写真が薩長同盟後に撮られたとしたら、
『何故この場に幕臣の勝がいるの?』
ということになるはずです。
また、大政奉還後だとしたら、
『どうして死んでるはずの竜馬や高杉がいるの?』
ということになるはずです。

この写真が撮られたのは明治になってからです。
この写真では少しわかりにくいかと思いますが一番前に石畳があります。
この写真の撮られた場所は写真屋のセットでこの石畳が出てくる写真は
明治になってからのものに多くあります。

この写真の詳しいことをもう少し説明すると
明治2年、長崎の上野彦馬の写場で撮影されました。
中央に外国人がいますが、彼はオランダの宣教師フルベッキという人です。
その彼が、東京に移る際に長崎で教えていた英語塾の学生達との送別の時に
写された記念写真です。
また、この写真の他に同じ場所で別の門下生達と同様に写した写真もあります。」
「幕末写真館」(http://www.dokidoki.ne.jp/home2/quwatoro/bakumatu.shtml)
というサイトより
(件の写真の説明はhttp://www.dokidoki.ne.jp/home2/quwatoro/bakumatu/ishin.html)

というわけで「フルベッキ氏」以外は志士達とは関係ないようです。

★阿修羅♪お勧め本、広瀬隆の持丸長者幕末維新編P257に、この写真のことも触れられています。現代日本を読み解くために参考になるお勧め書籍です。

2014/10/03 管理人追記 ↓

フルベッキ写真の真相

2005年8月30日 (火)
フルベッキ写真の考察

慶応大学の高橋信一助教授と、ここ一ヶ月ほど「フルベッキ写真」を巡ってメールのやり取りを行いました。8月26日のフルベッキ写真(8)で取り上げた大隈重信の章でも既述したように、フルベッキ写真に写る“岩倉具経”は、実は江副廉蔵であったことを高橋助教授に指摘していただき、大変有り難く思った次第です。その高橋助教授の承諾を得た上で、「フルベッキ写真の考察」と題する同助教授の論文を以下に転載します。なお、「フルベッキ写真の真偽」と題して、昨日まで公開していた「謎のフルベッキ写真」とともに以下のURLにアップしましたのでお知らせ致します。

■謎のフルベッキ写真
■フルベッキ写真の真偽

※「フルベッキ写真の真偽」の一番下側の江副廉蔵、中野健明らの氏名が入った写真は、高橋助教授が作成したものです。
※高橋助教授の論文中の付表1は、以下をクリックしてダウンロードしてください。
chronology01.xls

「フルベッキ写真」に関する調査結果

慶應義塾大学 高橋信一

最近数年間に渡って世情を騒がせている所謂「フルベッキ写真」は明治28年7月雑誌「太陽」に戸川残花によって初めて一般に紹介され、大正3年江藤新平の伝記「江藤南白」にも掲載された。戦後肖像画家の島田隆資が昭和48年と50年の二度に渡り、雑誌「日本歴史」に論文を発表して「フルベッキ写真」の撮影時期と20数名の人物の比定を試みている。しかし、比定の方法や時期の推定に甚だ疑問があるにも関わらず、この論文の再評価は未だ全くなされていない。以後様々な文献に「フルベッキ写真」は取上げられているが、写っている人物について確定的なことは分かっていない。今回の騒動は、佐賀の陶業者(彩生陶器)が「慶應元年2月に撮影された幕末維新の志士たち」として全員の名前を入れた陶板額を発売したことに始まると考えられる。フルベッキが教え子たちと写っている写真はいくつかあり、長崎奉行所の済美館の関係者と写っているものもあるが、ここでは46名が一同に会して撮影されたものを「フルベッキ写真」と呼ぶ。

島田氏及び陶業者山口氏の主張は当時長崎で、薩摩・長州の藩士を中心に日本の将来を語る集会が開かれたのを機会に集合して写真が撮影されたとするもので、幕末から明治にかけて活躍した多数の名士が写っているというものである。その論理の矛盾点を取上げ、真相を究明しようとした結果を以下にまとめた。

先ず、撮影場所と時期に関しては、昭和50年刊「写真の開祖上野彦馬 写真にみる幕末・明治」(産能短大)の中で上野一郎によって解明されている。撮影者は上野彦馬であり、場所は彼の自宅に慶應4年から明治2年にかけて完成した新しい野外写場であることが、背景に配置されたものによって特定された。この研究は40年間無視されて来た。詳細を再確認する必要はあるが、反論の余地は無い。

万が一、慶應元年の2月説が正しいとすると以下のような大きな矛盾を孕むことになる。この年、薩摩藩は20名近くの人間を秘密裏に英国に送り込んだ事実がある。慶應2年6月に海外渡航が解禁になるまで、密航以外に外国に出る手段はなかった。薩摩藩は五代友厚の提案により、慶應元年1月20日に留学生を偽名で琉球視察と称して鹿児島を送り出したが、行き先は長崎でなく、串木野の海岸の羽島の船宿に2ヶ月間潜伏させるためである。長崎から回航してきた船に乗り込んで、人知れず乗り継ぐ蒸気帆船の待つ香港に出発したのが3月22日である(大塚孝明の「薩摩藩英国留学生」)。この間長崎に出かけることは秘密を諸藩に公開することになり、密航の失敗に繋がったはずである。この時期に薩摩藩の主だった藩士が長崎に集合することは考えられない。諸藩集合の理由がない以上、長州藩も長崎には集結していない。その前年の暮れから年明けまで、長州は内乱状態でもあった。因みに、高杉晋作と伊藤博文は3月に薩摩藩を手引きしたグラバーを尋ね、英国密航の相談をしているが、説得されて諦めた。もし、写真が撮影された際に薩摩藩の密航を知っていれば、3月に長崎に出向く必要はなかった。尚、「フルベッキ写真」には密航薩摩藩士が5名写っていることになっている。

以上から、今後「フルベッキ写真」はフルベッキを中心とした佐賀藩の英語塾、致遠館係者が写っているものとして究明を行う。先ず、撮影時期の特定のために、この写真に写っている可能性の最も高い人物を選び出し、それらの人物の行動を日を追って調べた。選んだ人物はフルベッキ、大隈重信、相良知安、岩倉具定・具経兄弟である。フルベッキと大隈重信に関しては多数の写真が残っていて間違いないところである。相良知安は画面一番左端に立っている人物である。鍵山栄の「相良知安」の口絵、福岡博「佐賀 幕末明治500人」、長崎大学の「出島の科学」によって同定することが出来る。勝海舟には似ていない。岩倉兄弟の写真は「フルベッキ書簡集」に掲載されている。彼らの行動は「相良知安」および杉谷昭の「鍋島閑叟」、「久米邦武と佐賀藩」(久米邦武の研究(大久保利謙編))、並びに久米邦武の「鍋島直正公伝」を参考に調べた。フルベッキに関しては上記以外に大橋昭夫・平野日出雄の「明治維新とあるお雇い外国人 フルベッキの生涯」と村瀬寿代訳「日本のフルベッキ」を参考にした。

付表1に明治元年から2年にかけての関係者の行動をまとめた。大久保利通や岩倉具実、木戸孝允の動静も「大久保利通日記」、「木戸孝允日記」、「巌倉具実公傳」などで調べた。相良知安は鍋島閑叟の侍医として、京での行動を共にしている。この表から推測すると、明治元年の10月に鍋島閑叟を頼ってきた岩倉具定・具経兄弟の面倒を命じられた久米邦武はフルベッキに預けることにして、相良知安に長崎まで送らせたのではないか。致遠館では彼らを歓迎し、フルベッキが長崎を離れることになっていることもあって、記念写真を撮った。同じころ、長崎奉行所の済美館(当時は明治政府の管轄となり、広運館となっている)の関係者とも写真が同じ上野彦馬の写場で撮影された。こちらの写真の人物名はかなり分かっており、長崎市立長崎商業高等学校の「長崎商業百年史」に掲載されている。フルベッキは11月に佐賀に赴き、鍋島閑叟と二度目の面談を行っている。その後、11月末に鍋島閑叟は相良知安と京に出航し、12月に京に入った。知安は明治2年1月に政府から医学校取調御用掛を命じられ、以後政府の仕事を始めたので、閑叟との関係は終わった。フルベッキは1月6日に山口尚芳の訪問を受け、東京に新しい大学を作るための招聘を受ける。この時点で大隈重信は東京におり、再婚して新居を構えているので、「フルベッキ写真」の明治2年撮影は不可能である。以上より、「フルベッキ写真」の撮影は明治元年10月23日から11月19日までの一ヶ月足らずの間に行われたと推測される。

次に、「フルベッキ写真」に写っている人物の同定について、現時点で分かっていることをまとめる。

相良知安? 左端の立ち居の人物(鍵山栄の「相良知安」他)
中野健明? 知安の右隣り(福岡博「佐賀 幕末明治500人」の口絵)
丹羽龍之助? 大隈重信の左隣り(「江藤南白」)
江副廉蔵? 大隈重信の前(「佐賀 幕末明治500人」)
岩倉具経? 大隈重信の右隣り(「フルベッキ書簡集」、「明治維新とあるお雇い外国人 フルベッキの生涯」)
山中一郎? 後列右から6人目(「江藤南白」、村瀬之直「維新名誉詩文」)
香月経五郎? 山中一郎の右隣り(「江藤南白」、「佐賀 幕末明治500人
副島要作? 香月経五郎の右隣り(「佐賀 幕末明治500人」の口絵)
中島永元? 後列右から2人目(「佐賀 幕末明治500人」の口絵)
石橋重朝? 副島要作の前(「佐賀 幕末明治500人」
岩倉具定? フルベッキの右隣り(「フルベッキ書簡集」、「明治維新とあるお雇い外国人 フルベッキの生涯」。尚、岩倉具綱・具儀兄弟は遅れて佐賀に到着し、弘道館に入ったので、長崎に来ていない)

その他の佐賀藩士として、江藤新平、大木喬任、副島種臣の可能性が上げられているが、根拠はなく、当時長崎にはいなかった。当時副島は40歳に近く、月代を剃っていた。似ているというだけで、人物を振り当てるのは学問的でない。伊藤博文は兵庫県知事としてどのような仕事をしていたか、フルベッキとの繋がりなど明らかになっていない。致遠館に学んだものとして、日下部太郎、横井大平、横井左平太は当時米国留学中であることが判明している(「明治維新とあるお雇い外国人 フルベッキの生涯」)。当時、薩摩・長州・土佐から何人か長崎に遊学するものがいたが、致遠館に在籍したものの氏名は明らかになっていない。大久保利通・岩倉具実・木戸孝允はこの時期天皇とともに東京にいた。大村益次郎も付表2に見るように東京で内乱平定の総指揮をとっていた。副島種臣・後藤象二郎・小松帯刀は京にいた。当時既に死亡していた坂本龍馬・中岡慎太郎・高杉晋作について言及する必要はない。薩摩・長州藩士の大部分は写真を収集して比較したが、西郷兄弟を始め該当する人物は認められなかった。大村益次郎、陸奥宗光は面長であったことが各種肖像画及び写真で知られているが、「フルベッキ写真」に該当者はいない。

慶應3年以降に致遠館に在籍した佐賀藩士の名前は岩松要輔の「幕末維新における佐賀藩の英学研究と英学校」(九州史学)とそれを転載した杉本勲編「近代西洋文明との出会い」中の「英学校・致遠館」に詳しく記載されているが、上記にまとめたもの以外に特定出来る人物を把握出来ていない。特に「日本のフルベッキ」や「江藤南白」などに「フルベッキ写真」に写っているとされる柳谷謙太郎、堤喜六、中山信彬、古賀護太郎、鶴田揆一、山口健五郎、山口俊太郎などを特定出来ていない。

佐賀藩の多数の出身者は鍋島藩主の意向を受けて、弘道館や長崎海軍伝習所、致遠館、済美館などで海外の情報を積極的に学び、留学生も多数に及んだ。致遠館の生徒も膨大なものだったが、明治政府の中核として名を残したものは、山口尚芳・副島種臣・大隈重信他数人であり、薩摩・長州出身者に比べると極めて少ない。維新以後の功績を称えられて華族に任ぜられたものの数は400人を超えるが、佐賀出身者は20名余りと薩摩・長州の数分の一である。各種の明治の肖像写真を調べたが、ほとんど成果がなかった。この原因は江藤新平・香月経五郎が断罪された佐賀の乱を引き金とする明治14年の政変によるものとされているが、誠にもって残念なことである。フルベッキの傾倒を受けた多数の人材がところを得ずして消費されてしまったのが、明治の後半の日本の政治の姿だったのか。それが軍国主義へ、果ては太平洋戦争の敗北に繋がって行ったのだとしたら、慙愧に耐えない。

(平成17年8月23日)

2005年8月30日 (火) フルベッキ | 固定リンク

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コメント
 
10:07
2009/11/23 10:07
02. 2010年2月27日 22:07:52
この写真持っています

03. 2010年3月08日 17:33:27
平井加尾の写真はないですか?

04. 2010年4月28日 05:22:57: b4zpofpdwM
山口県大田村で戦死した騎兵隊世木奇六の写真はないですか?

05. 2010年6月06日 22:48:32: l9AryqpZOs
明治中頃の勝海舟の写真有りますよ!薩摩の上級士族の末裔、眼科医の祖父が明治30年代建築の武家屋敷に;今もあります。尾崎紅葉;森鴎外、徳富蘆花、など文豪の写真も。  偽写真ダメですよ!

06. 2010年8月14日 23:42:39: RLoUL54ghA
上の説明間違ってませんか?
坂本龍馬と高杉晋作は明治に入る前の、慶応3年(1867年)に亡くなっているはずです。

07. 2010年11月02日 23:51:37: rzKlBjsods
徳川慶喜が薩長藩と岩倉ら公家グループと慶喜派を統合して「慶喜連立内閣」つくろうとし慶喜が勝を使い勝が龍馬と相談し龍馬が木戸と西郷引き合わせ薩長同盟をつくったが木戸が明治天皇を中心とする新政府をつくるうえで慶喜に権力もたせたら明治天皇の命が危ないと判断し薩長が慶喜を撃つことにしたからこの写真に勝がうつっているのでしょ?

08. 2010年11月29日 21:47:58: W5Salfjkl2
適当な写真に知っている人物の名前をくっつけただけの児戯もいいところ。
個人的なおふざけとしては楽しいだろうが、こんな愚にもつかぬ悪戯をまことしやかに世に送り出す輩には、不快を通り越した憎悪をおぼえる。

09. 2011年1月22日 11:20:43: DnMQAr5MWY
竜馬って英雄だよね。お龍は、横須賀で、再婚してたらしよ。

10. 2011年1月22日 11:28:04: DnMQAr5MWY
近江屋事件、残虐だよね。

11. 2011年6月07日 14:02:57: uSro8Wqtqw
もしこれが 本物なら 凄いよね。

12. 2011年7月19日 21:21:11: D0fNVIrBg2

びっくりしました★こんなに昔にも、カメラあったんだ(*_*)

13. 2011年7月19日 21:25:36: D0fNVIrBg2
バカなので・・・伊藤博文さんの顔とか知りませんでした<笑>勉強になります★

14. 2011年7月26日 22:00:30: mQNlx3OwWk
嘘を言ってはいけません!

これは、明治になってからの写真です。
写っているのは、外国人から学んでいる若い士族たちです。

冷静に考えればわかりますが、偉人達がこんなに集合することはありえません。

みなさん、だまされないように。


15. 2011年9月13日 21:23:37: 6dHqgqOHNw
ooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooo

16. 2011年11月21日 22:01:56: HywHEvrLKU
あああああああああああああああああああ

17. 2011年11月30日 16:04:40: coTEfa25II
おもしおおおおおおお

18. 2011年12月03日 00:00:32: FyuWV1JbFA
明治天皇はこんな顔じゃない

19. 2012年3月09日 21:48:35 : VoqCNmtQsM
資料では、この写真は、「慶応元年:1865年、2月中旬〜3月18日」の頃撮影されたようです。各人の(死亡年齢・写真時の年齢)を記入してみます(多少の誤差あり)。1:勝海舟(76才・42才)2:中野健明(54才・21才)3:中島信行(53才・19才)4:後藤象二郎(59才・27才)5:江藤新平(40才・31才)6:大木喬任(67才・33才)7:井上馨(井上聞多)(80才・30才)8:品川弥二郎(57才・22才)9:伊藤博文(78才・24才)10:村田新八(41才・29才)11:小松帯刀(35才・30才)12:大久保利通(48才・35才)13:西郷隆盛(50才・38才)14:西郷従道(59才・22才)15:別府晋介(30才・18才)16:中村宗見(?・?)17:川路利良(45才・31才)18:黒田清隆(60才・25才)19:鮫島誠蔵(35才・20才)20:五代友厚(50才・30才)21:寺島宗則(61才・33才)22:吉井友実(63才・37才)23:森有禮(42才・18才)24:正岡隼人(?・?)25:陸奥宗光(53才・21才)26:中岡慎太郎(29才・27才)27:大隈重信(86才・29才)28:岩倉具綱(82才・24才)29:ウィリアム(?・?)30:フルベッキ(68才・35才)31:岩倉具定(59才・14才)32:高杉晋作(28才・26才)33:横井小楠(60才・56才)34:大村益次郎(村田蔵六)(44才・40才)35:桂小五郎(木戸孝允)(44才・32才)36:江副廉藏(?・?)37:岩倉具経(37才・12才)38:岩倉具慶(66才・58才)39:広沢真臣(38才・32才)40:祐宮睦仁親王(60才・13才)41:岡本健三郎(43才・23才)42:副島種臣(77才・37才)43:阪本龍馬(32才・30才)44:日下部太郎(25才・20才)45:横井佐平太(30才・20才)46:横井太平(21才・15才)・(戸川残花・上野彦馬:カメラマン(66才・27才)。資料からは上記のようになりますが、誤差はあると思います(逝去年齢・写真撮影時年齢)。「慶応元年二月中旬から三月一八日までの間に、長崎へ集結をかけられた各藩の勤王党は西郷南州翁及び、勝海舟と共に、世界の情勢に明るいオランダ人宣教師フルベッキ博士を訪問。今後の日本について議論した。」そうです!?。

20. 2012年7月28日 09:27:51 : YyoIizPgUE
ってかさ
勝海舟ってかっこいいよね!
素敵だと思うなぁ♡

21. 2012年11月16日 09:53:07 : RhObaNecBo
この写真は慶喜が、勝に撮らせた写真という噂です。もし、同窓生のなら、同窓生にも配られていて不思議ではないでしょうが、この写真が明らかになったのは、随分後のようです。勝が明治政府を揺さぶり徳川家を守るために表に出したと思います。

22. 2013年1月26日 12:17:39 : VsT2cJxu0k
Quienes son esa bola de locos?

23. 2013年4月30日 10:51:21 : qaHgaRDZ1E
Don't know what you mean..

24. 2013年8月30日 16:30:31 : kSOa5EhiN2
☮◆西郷隆盛 本当の顔 本物の写真 フルベッキ写真 13人撮り写真 
☮◆http://pub.ne.jp/sakura2011/?entry_id=4895498
☮◇http://pub.ne.jp/sakura2011/image/user/1368984220.jpg
☮◆☮http://pub.ne.jp/sakura2011/image/user/1368984194.jpg

25. 2014年2月04日 02:45:42 : jPnsmbCmW6
こんなでたらめを言ってる犯人を捜すことが先決です、これはれっきとした偽証で罪になります。小学生でもわかります明治天皇がこの中にしょたくれた着物を着て刀を持っていることじたいが

26. 2014年6月01日 08:10:31 : mtdTwQ56aw
この写真が本物だったら貴重なものだが、どうも納得がいかない。
明治2年撮影はまちがっている。竜馬や中岡はすでに世にいない。
龍馬が若すぎる。明治天皇としてはしょぼくれている。
後藤象二郎、勝海舟、横井小楠等々は本人だとおもいますが、問題はいつどこで
どのような記念の時に撮影されたのか知りたい。

27. 2016年1月08日 19:47:36 : Mz0XqnNMiM : ckkee8p_mbo[33]

日本版フリーメーソン神州不滅歴史的完全犯罪でした〜

●初代日本フリーメーソン偽旗劇団旗揚げ〜

国籍不明キリスト宣教師成り済まし高位メーソンフルベッキ監督を囲んで…

後の日本国の最悪不幸の出発点がこの写真なんですねえ… あ〜あ

坂本龍馬殺害芝居〜は、
226事件の戦争画策自作自演クーデターなどの先発公演猿芝居だっのですねえ〜 鳩山邦夫の言うとおりにみんな仲良しだったのでした〜
日本の最高美談神話西郷隆盛は実は生きていてロシアで生涯を閉じたとかの話や山本五十六も実はヒトラー同様に粉砕死体にわざわざ白の海軍軍服着せて自作自演〜 世界中のどこかのイスラエル逃れの町≠ナ後の半生をすごしたのでしょう。
そもそも18世紀世界革命はフリーメーソン米英仏ロシア中国日本等々権力乗っ取り謀略〜長い間すっかりだまされていました〜ぐすんぐすん〜
日露戦争や第一次大戦や第二次大戦の欧米列強黒幕(既に通貨発行権独占ユダヤ金融の完全支配でした、完全に…トホホ)の日本国の操りぶりと、すり替え天皇と閨閥日本メーソン第一期生劇団員達の息のあった見事な歴史的詐欺くそ芝居〜 拍手喝采〜♪

しかしね〜 後悔している徳川後継者達が、全身ライ病四肢壊疽状態売国奴であっても、1〜2%程度は、侍の誇りの原型を保持していていそうな気がしますがねえ〜 もう、一人残らずサタニスト毒まんじゅう常食で、ゾンビに成り果てましたか〜 明治元勲くそ芝居のその後の最悪国家になんとか責任≠とろうという日本男児≠ヘ残っていないのでしょうなあ… 
明治維新のメーソン頼みの大失策に気づいていて、なんとか日本国家崩壊を食い止める対策を早期にこうじていた国士ということですが〜、薄汚い悪魔法冷酷行使専門手口メーソンちやほや特権貴族様がたには一人も残っていそうな気はしませんが、やはりいないのでしょうなあ〜 全員で諸手を挙げての緻密な連携のNWO共犯〜 人類破滅のNWOの渾身の大賛同〜 よほどのあほでない限りは、日本フリーメーソン劇団構成員はNWO確信犯… それは総員人間崩壊内面ゾンビ化を意味する… でしょう?

[32初期非表示理由]:担当:同じ事を無関係スレに何度も書くのでアラシ認定で全部処理

28. 2016年5月31日 05:41:00 : A8rEX99Mdk : 9V7WQLOcCSY[1]
明治天皇=大室寅之助ではないでしょう
写真で見比べても別人ですしw
フルベッキ写真は2013年4月24日の読売新聞にて
佐賀藩校の生徒との見解が出されています。
グクルと見つかると思います。

しかしながら明治天皇はすり替えられたと思います。
もし、天皇すり替え説を隠そうとするならば否定するよりも
ミスリードさせたほうが賢いやり方です。
フルベッキの写真をうまく使ったのでしょう

明治維新では維新と同時に孝明天皇が死ぬ。
尊皇攘夷とか言いながらその後はw外国勢力が色々関わっているグラバーとか
京都御所からなぜ東京に?明治維新からこの国は?だらけですよ。
この国は現在も明治維新を起こした血筋の人間に支配されてることでしょう。

あと、熊本地震のドサクサにまぎれて警察が盗聴することが令状なしできるようになりました。
インターネットのプロバイダではDPIで盗聴されてますw
最近の国産車では位置発信機が標準で付いてますw
超監視国家:日本の誕生ですw
この手の話題を閲覧及び書き込みするのはリスクがあります


29. 2016年12月26日 11:20:40 : ieWv9dCDTY : dFq@yhjfgTc[22]
この写真の下の名前、左右反対じゃないかな。
明治天皇(大室寅之助)が刀を縦に抱えているところをみると
左右反対になっていると思える。
この写真は天皇すり替え説の本にもあるし、あちこちに拡散されている
有名な写真です。

30. 2022年1月05日 20:08:18 : T82axgn0Tk : cXlmU2dhZzRmbXM=[1] 報告
外国人は自分の功績を記録に残したい欲望があるようだ
それで自分が教え指導した生徒たちとの集合写真をとり、友人に託した
伊藤などはまさかそれが後世、公になるとは思わなかったろう
長州、薩摩のなんら日本へのビジョンもない若者を唆して、テロリストに育て、成功させた
それが明治維新という闇黒です
31. 2022年1月10日 11:32:11 : GxN0HkOHFI : YU80N1V2RDE5ZzY=[2] 報告
ふたば、4chanに続く第3の画像掲示板、モッドちゃんねるがクリスマスにデビューしました
よろしくお願いします
外国人日本語話者が多いのが特徴です
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32. [1185] iKQ 2022年9月07日 22:26:01 : y5tSktzi0c : QXNpTVRDN0M5d1E=[69] 報告

 この写真は 有名ですよね!!

 長州 田布施 + 薩摩 田布施 

 

33. [1183] iKQ 2022年9月08日 07:49:24 : y5tSktzi0c : QXNpTVRDN0M5d1E=[67] 報告

 つまり ネットワークですね

 彼らは 非民として虐げられたために 忍者的な裏社会の一面を持っていた

 現代においても 長州田布施を代表した安倍と 薩摩田布施を代表した小泉が

 同じ清和会というのも 当然なことで、 一方の安倍がいなくなったわけだから

 小泉の意向が 清和会の今後を決めるのは当然でしょう
 
 小泉 ー> 安倍 ー> 小泉ジュニアー へと 時期を待っていたのが

 清和会の危機 = 田布施結社(南朝の牙城) なのですから

 小泉(親)も ゆうゆう隠居している場合ではないですね〜〜

 

34. [1185] iKQ 2022年9月08日 08:23:06 : y5tSktzi0c : QXNpTVRDN0M5d1E=[69] 報告

 日本には いろいろな対立があるよね〜〜

 源氏 vs 平家

 北朝 vs 南朝

 東大 vs バカ

 平家的なもの + 南朝的な物 + 馬鹿の集団 = 安倍晋三

 と考えると 一番 早く理解できるかもな〜〜〜

 ===

 だから 東大を首席ででた官僚を敵にして その上に立ったのが 3流大学の安倍だよね〜〜

 これで 日本が良くなるはずがないよね〜〜
 
  

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