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(回答先: Re: 天皇家の将来となると右派が許さない。 投稿者 田無限 日時 2005 年 1 月 10 日 05:39:35)
タイトル 菊池 武夫男爵と上杉慎吉はいまどうしているか。
本 文 かりんちゃん さんは言いました。
>ソフトマシーン さんは言いました。
>>おそらく、かりんちゃんは自分が何者かを隠す為に、あのような文章デ表現されているのではないでしょうか?
>>
>>それで彼が言っている事が事実であるとするなら、その様な事を知りうる立場にあるから、、、
>以上引用文です。僕は、思いました。
>わたしは自分が何者と言われたら、ただものなのです。
>わたしの言っているは事実でです。しかし、ブラックボックスに包装されているのです。
>ソフトマシーンさんは高見なのでよくご存知だと思うんです。
>しんめんもくすると、教育やぎょうせいが役立たずになっていることなんです。
>わたしは、生活者なのです。生活者起点にたつとキタガワの知事がいわれたのです。
>Do you know ROW?と野呂知事がみえけん愛を叫んでいるのです。
>
79 :うんうんm(^_^)m田中幹也やっちろでe-デモ予算消化 :05/01/10 15:37:27 ID:???
http://www.asyura2.com/0406/idletalk10/msg/795.html
金児 茂 氏(元・東京大学 大学院 情報学環 助手)はいま10マンもらって
三重県庁e-デモでアルバイトして安すぎか高いか住人監査訴訟待ちだが、
伊勢神宮のお膝元で天皇機関説を披露するなど左翼がかった思想を展開している。
天皇機関説というのは、 1912年に発表した『憲法講話』で天皇は国家の一機関であるとする天皇機関説(立憲君主であるとする)を発表。
穂積八束の後継者として東京帝国大学教授に就任した上杉慎吉との間に論争を展開した。
1935年には機関説が国会で問題になり、著書は発禁処分に。
のち上杉慎吉らの天皇主権説が主流となった。
天皇機関説事件 1935年、天皇機関説が排撃された天皇機関説事件について、
昭和天皇は侍従武官長・本庄繁に「美濃部説の通りではないか。自分は天皇
機関説で良い」と言った。天皇も法の下にあるという近代国家にとって当然
のことを説いた天皇機関説は、昭和天皇が帝王学を受けた頃には憲法学の通
説であり、昭和天皇自身は何の違和感も持っていなかったと思われる。
裕仁が天皇機関説を支持していたのは事実ですが、井上清が指摘しているよ
うに、裕仁は天皇機関説を理解していませんでした。
菊池 武夫1875 − 1955
貴族院議員、奉天特務機関長、陸軍中将
・ 宮崎県出身。米良菊池氏の後裔。男爵。
・ 陸士卒、陸大卒。日露戦争に中隊長として従軍。
・ 奉天特務機関長など歴任後、中将で予備役。のち貴族院議員。右翼団体にも関係する。
・ 中島久万吉商工相の足利尊氏論を貴族院で攻撃、辞任に追い込む。
・ 貴族院本会議で美濃部達吉博士の天皇機関説を国体に対する謀反と批判。
・ 美濃部博士を「学匪」と非難、国体明徴運動の火付け役となった。
・ 国家革新運動で活躍、戦後、A級戦犯として収容されるも不起訴。のち釈放。
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