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(回答先: 今後は投稿を少なくします 投稿者 スパルタコス 日時 2004 年 8 月 14 日 21:21:08)
スパルタコスさん、どうもです。
半分ぐらいは揶揄だと思っていますが、せっかく評価をいただいたので簡単にレスさせていただきます。
まず、「知識」の保有量や理論的説明そのものに価値があるとは思っていません。
それらは、それらを使って自分の目的(欲求)を実現することに活かして初めて価値があると考えています。
現状では“商売”や自慢のネタになりますが、本質的には、知識や知性で優っていることになんら意味がないと思っています。
「知識」は、書籍やインターネットそして他者の頭のなかにもあるものですから、ことさらそれを自分の頭のなかに詰め込む必要はありません。
今はそういう目的を持っていませんが、かつては「世界を丸取り」しようという目的を持っていたので、そのために必要な「知識」を書籍やひととの議論を通じて得てきました。(ある時期以降は、ひとり一人が自分の「世界」を持つことに意味があると思っていますので、それを阻害しているリアルな世界の在り様(支配−被支配関係)を壊すことが目的になっています)
その過程で気づいたのは、「知識」は自分の頭のなかに「世界」を築くためには必要であったり重宝なものであっても知識自体は意味がないということです。
それどころか、逆に、それにしがみついたり意味を感じる人たちはイデオロギー主義者という悪弊に陥り、知識体系であるイデオロギーで現実世界を裁断する愚を犯しているように見えます。(知識で知識を否定したり肯定したり、価値観と論理を混同したり、経済学で経済社会を裁断したり、マルクス主義で世界を裁断するような...)
自分の頭のなかに“動態的で関係的な”「世界」を築けば、「知識」がそれほどなくとも、自分の頭のなかの「世界」を見ることで「知識」(概念や説明理論)を得ることができるようになります。
自分の頭のなかの「世界」を見るとは、「想像力」を働かせるということです。
“動態的で関係的な”「世界」は、それ自体が連関的に動く“観念的存在”ですから、「想像力」の働きを助けてくれるものです。
(自分の「想像力」では解決できない(腑に落ちない)テーマにぶつかったときは、「知識」を外部に求める必要があります)
もちろん、生きるなかで新しい「知識」(説明理論)を知ることで自分の頭のなかの「世界」は修正されたりより具体的で緻密なものになっていきますから、そのような意味で「知識」の吸収も重要だと言えます。
しかし、「知識」の集積だけでは、時々刻々変化していく現実世界を捉えることはできないと思っています。
「意味」として世界を認識するのは、そのなかで生きて思考しているひとり一人です。
存在としての世界自体は、確かに存在しているとしても、「意味」はないのです。
世界の「意味」をつかむことで、ひとり一人が気持ちよく生きていくために世界をより巧妙に利用することができるようになります。