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(回答先: 「知識」ではなく「想像力」です(笑) 投稿者 あっしら 日時 2004 年 8 月 16 日 17:04:37)
学者・政治家・官僚といった“知的活動者”が典型ですが、左翼やリベラリストそしてフェミニストなどある理論体系や価値観を信奉している人たちに感じるのは、理論体系や価値観を自分の頭のなかにある「世界」で“動かして”確認していないのではということです。
文章や話の表面的な論理の正しさや価値観表明の同一性(類似性)で、ひとの言説を受け容れてしまう傾向に危うさを感じています。
どんなに高名なひとの言説であっても、それはそのひとの頭のなかに「世界」を表現したものでしかありません。
言葉(概念)を言葉(概念)のまま捉えるのではなく、自分の頭のなかにある「世界」でそれを動かしてみて、どういう意味なのか、具体的にどういうことなのか、説明に矛盾や齟齬はないのか、そのようなことを行ったら「世界」はどう変化するのかなどを、「想像力」で確認してYES・NOを判断しなければなりません。
議論する(対話をする)というのは、お互いが自分の「世界」を説明するということです。
類でも高が知れている存在なのですから、個人が構築している「世界」には抜け(不足)や思い込みに溢れています。
それを補う有効な手法が、現実に働き掛けることであり、他の人たちと対話をすることです。(書物や書き込みを読むというのも、単方向ながらも「対話」です)
ひとり一人の「世界」が違っていながらも、相互関係的活動で生きていかなければならないという現実が、それぞれの「世界」で共通の目的がどのような手段で実現できるかの議論(対話)を要請します。
修得した「知識」の表明(反復)ではなく、それを支えにしているとしても自分の「世界」を表明することが重要だと思っています。